ただ一つ、願いを込めて

 百鬼隊に入らないかと初めて口にしたのは、知り合って少し経ってからの事。
 ウタカタに現れた今世のムスヒの君と噂されるモノノフ。
 どんな豪傑かと思いきや、本人はいたって平凡なほど平凡な容姿の女で、むしろ彼女が率いる討伐隊の方が問題児だらけで目立つくらいだった。
 だが、一見平々凡々とした女であろうと、何もなければ、ウタカタから霊山までその名声が鳴り響く事はあるまい。
(噂は所詮噂。どれほどのものか、この目で確かめてやろう)
 腕の立つものが一人でも二人でもいれば、鬼退治の役に立つ。最初はそれくらいの軽い気持ちだったのだ。
 しかしウタカタの里で北の鬼を追う任務を重ねていくうち、相馬の中で彼女の評価はどんどん塗り変わっていった。
 確かに見た目は目立たない。
 だが彼女はいついかなる時も怖気づくことなく、誰よりも早く走って敵と相対する。得物をふるう武術の腕は一級品、かといって単独で先走るわけでもなく、戦場の様子を隅々まで把握しているかのように目配りがきき、仲間が危機に陥っていれば、即座に助けにいく。
 皆の力を束ねて鬼千切・極という大技で、大型鬼の手足を引きちぎる様は壮観で、相馬は戦いのさなかだというのに、彼女に見とれてしまう事もあった。
 さらに鬼から解放した数多のミタマをその身に宿して力となすとあれば、人離れした八面六臂の活躍ぶりというものだ。
(火のないところに煙は立たない。なるほど、これは噂が中つ国を駆け巡るわけだ)
 だから百鬼隊へ勧誘をしてみた。とはいえ、それは冗談半分だ。
 あずまからやってきたという彼女にしてみれば、ウタカタは生まれ故郷ではない。
 だが、鬼門を開くトコヨノオウとの過酷な戦いを仲間と潜り抜けた彼女にとって、この地は故郷と同等の価値を持った、大事な居場所となっているだろう。
 ゆえに、一つ所に居を構えることなく、各地を転戦する百鬼隊についてくるはずがないと、答えはわかっていた。
『ありがとう、相馬。あなたにそういってもらえるのは光栄な事だね』
 だが、微笑みながらやんわりと拒まれた時、相馬は自身の胸に痛みを感じてひそかにたじろいだ。
 冗談半分、だが後の半分は本気だ。こいつが来てくれれば、百鬼隊の立て直しがずいぶん楽になると考えていた――いや、それだけではない。
(こいつと、もっと戦ってみたい)
 そう願う気持ちが胸の奥で芽生え始めていると、その時自覚した。
 富嶽ほどではないにせよ、相馬は戦う事が好きだ。鬼を攻めたて、地に屈服させ、完全なる勝利を得るたびに、高揚してもっと戦いたい、と気が逸る。
 そしてそれは、背中を預けられる仲間がいる時にはなおさら。
 相馬はウタカタに来て久方ぶりに、己に比する力量のモノノフ達と共闘する事が出来て、心が弾む思いだった。
(もっと戦いたい。どんな風に戦うのか、なぜ戦うのか、こいつを知りたい)
 彼女が任務への同道を依頼するたびに、そう願う気持ちはどんどん大きくなっていく。
 だから、彼女があの日、百鬼隊に入りたいと言ってきた時も、下手な思惑が何かあるようだと見抜きながらも歓迎した。
(こいつがウタカタを離れるとは思えないが、何かの拍子に、本当に百鬼隊へ入ってくれればいい)
 そうなれば自分はどれほど嬉しい事だろう。
 相馬はオオマガドキの英雄として人々の前に立ち、願いを背負って戦い続けてきた。
 それを厭いはしないが、共に並び立つ仲間のいないことを寂しく思う気持ちは常に抱えていたのだから。
(共に、戦いたい)
 北の鬼討伐の任務をこなす中、常に行動を共にするようになって、ますますその気持ちが強くなっていく。
 そして、吹雪に閉じ込められ、二人で異界での夜を過ごした時、本当に百鬼隊に入らないか、と今度はかなりの本気で勧誘してみたが、やはり彼女はそれを断った。
 焚火に手をかざしながら、緩くかぶりをふる彼女に、どうしても駄目か、と食い下がってみる。
『お前は度胸も腕もある。それだけの才を、もっと役立てたいと思わないか。ウタカタの里はもちろんいいところだが、あの場所を守ろうとすれば、どうしても守勢に回る事になる。百鬼隊は言ってしまえば身軽な身だ。里にいるよりもっと多くの鬼を討てるぞ。それに使う暇はないが、恩賞もいい』
 懸命に言葉を連ねるが、それは何も響かなかった。彼女はまたありがとう、と礼を言いながら、ゆるゆると語る。
『私はあずまで全てを失った。はいつくばって逃げ出して、何とか中つ国に来て、モノノフになって、ウタカタでようやく自分の生きる場所を手に入れた。
 あそこはただの里じゃない。私にとってはもう、故郷も同然なんだ』
 火の爆ぜる音を背景に、彼女は柔らかい声で囁く。炎の影が揺れる黒い瞳を伏せ、唇の端に微笑をためて。
『皆を守りたい。皆と共にありたい。今の私の願いはそれだけだ。もしかしたらいずれ、皆と離ればなれになる時が来るかもしれないけれど……その時までは、離れる事など考えられない』
 だって私は、あの里の全てが愛しいから、と。穏やかで慈しみのこもった口調で告げられた時、相馬は――刹那、息が出来なくなるほどの痛みに言葉を失った。
(なぜ、俺はこんなに苦しいんだ)
 話を切り上げ、洞窟の中で横になった相馬は一人考え込む。
 手を当てた胸はいまだ痛みの余韻が残っていて、ひどく疼く。
 拒絶された事への衝撃か。有用な人材を、仲間を得られなかった悲しみか。ありそうな理由を考えてみて、しかしそれらは的外れだと取り除き……少し離れた場所から彼女の寝息が聞こえてくる頃、は、と気づいた。
 この、胸をかきむしりたくなるほどの焦燥感は。
 なぜだ、なぜ俺と共に来てくれないのだと、彼女の肩を掴んで詰め寄りたくなるほどの怒りの由来は――
(――嫉妬だ)
 カッと顔が熱くなる。
 そうだ、これは嫉妬だ。俺は今、ウタカタに嫉妬している。彼女の心を捉えて離さないあの里に、自分よりも長く時を過ごし、強い絆を結んでいる仲間たちに、その全てにどうしようもなく、妬いている。
(嫉妬とはな……イツクサの英雄とまで謳われたこの俺が、何てざまだ)
 ぐ、と胸にあてた手で拳を作り、身を丸くする。
 彼女がウタカタを大事に思う気持ちは理解できる。
 自分が彼女の立場だったら、やはり里を放り出してよそへ行くような真似はすまい。戦いの中で培ってきた仲間との絆や、美しく平和な里の暮らしは、何にも代えがたい宝だろうから。
 だがそれでも、思う。自分勝手なのは百も承知で、彼女には俺を選んでほしかった、と思ってしまう。
(俺は、お前と共にいたいんだ)
 戦いの中だけではなく、何気ない平和な日常を、彼女と笑って過ごしたい。自分の願いがいつの間にか形を変えている事に気づいてしまうと、背中がにわかに緊張してくる。
 外は吹雪、結界石の洞窟には彼女と自分の二人だけ。ウタカタではありえない状況が、のっぴきならないものになる。
 しばらく耳を澄まして、規則正しい寝息が途切れそうにないと判断した相馬は、ごろりと寝返りを打った。
 焚火を挟んで向かい側に寝ている彼女は、ここが異界だというのも忘れたように、安らかな寝顔で眠っている。
(……異界で気を緩めるな、というのもあるが。仮にもこの状況で、俺に対する警戒心はないのか、お前は)
 安心して命を預けられるのは嬉しい事だが、一方で面白くないと感じてしまうのは、彼女にとって自分が『男』ではないからだろう。
 安堵しきった、穏やかな寝顔。ウタカタの仲間といえど、そうそう目にする事はないだろうそれをじっと見つめて焼き付けた後、相馬は視線を引きちぎるようにして顔を背け、再び寝返りを打った。
 どうしようもなく胸を騒がせる彼女の気配をできるだけ気にしないよう目をきつく閉じて、落ち着かない眠りを強いる。
 これ以上意識してしまえば、彼女の意に沿わぬ行動に出てしまいそうな己を戒めるために――

 ……そして、百鬼隊が里を去る日が、とうとうやってきた。
「あんたが居なくなると寂しくなるな、相馬。もっともこれで、ウタカタ一の伊達男は俺という事になるけどな」
「ぬかせ。俺は中つ国一だ、ウタカタの伊達男はその下だろ」
 出立の準備を整え、里の入口で百鬼隊とウタカタ討伐隊が顔を合わせる中、相馬はすっかり意気投合した息吹をいつもの掛け合いを楽しんだ。
 最後までしょうがない奴らだな、と桜花が苦笑し、初穂は「バカにつける薬はないっていうじゃない。この子たちのは一生治らないわよ」とお姉さんぶっていた。
 那木と暦は副隊長と名残を惜しみ、速鳥はいつも通り無言だが静かに百鬼隊の皆を見守る。
 相馬は、また何かあれば一緒に暴れようぜ、と言う富嶽と拳を合わせ、寄り添うホロウと千歳に達者でなと笑いかけ、凛音と大和へ敬意のこもった礼を告げた後――ウタカタ討伐隊の隊長たる彼女と向き直った。
 数々の戦いを経て、名実ともに今世のムスヒの君となった彼女の面差しはもはや平凡などではなく、穏やかな中に凛とした威厳を感じさせる美しさがある。
 その表情を緩めて、彼女は微笑した。
「これまでありがとう、相馬。あなたと共に戦う事が出来て、本当に心強かった」
「それはこっちの台詞だ。お前は誰よりも頼りになるモノノフだった。お前と一緒に戦っている時が、俺は一番楽しかった」
 だから本当はまだ、百鬼隊に来てほしいと思っている。勢いでそう言いそうになったが、すんでのところでこらえた。代わりに彼女の胸倉を不意に掴むと、
「えっ?」
 驚いて目を見開く彼女をぐいっと引き寄せ、その唇を塞いだ。
「なっ」
「……え」
「た……た、たたた、隊長!?」
「そ、相馬お前、何してんだ!!?」
 目を閉じた暗闇の中で周囲から驚愕の声がどっと押し寄せてくる。
 だがそれを強いて無視して、相馬は硬直する彼女の唇のぬくもりを満足するまで堪能した。
 しばし後に顔を離すと、常の落ち着きが抜け落ちた間抜けな顔でこちらを凝視する彼女にニヤッと笑いかけ、
「お前を百鬼隊に入れるのは諦めた。かわりにいつか必ず、ウタカタのお前を迎えにくる。――だからお前はここで、俺を待ってろよ」
 一方的に、自信満々に、告げた。
 悶々と悩むのは性に合わない。惚れた女に何も言わずに別れるのもなしだ。それなら今ここで、忘れられない印を刻んでやる。
 最後の日が近づくまで、考えに考え抜いた末の行動は、彼女にとって暴挙に等しいだろう。
 何しろ相馬はこれまで彼女に好意を伝えた事もないのだから、これは不意打ちの辻斬りのようなものだ。ぶん殴られても仕方がない。
 だが彼女は何度か目を瞬いた後、かぁっと赤くなって、あなたは、と言葉を詰まらせた。珍しく狼狽えた様子であの、その、と視線を泳がせた後、恥ずかしげに眼を伏せて、
「……ま……待ってます。あなたがそういうので、あれば」
 小さな、目の前の彼にしか聞こえないような小さな声で囁いた。あぁ、と相馬は破顔して、額を突き合わせる
「あぁ、絶対に待ってろ。お前は他の男になんぞやらんからな」
 その言葉は、悪友であり伊達男である息吹のほか、この場にいるウタカタの男全員に向けての牽制だったが、
「……いい加減彼女を離さないか、この馬鹿者!」
 相馬の暴挙に激昂した桜花がべりっと彼女から引きはがし、
「い、いきなり何てことするのよ! 乙女の唇を何だと思ってるの、最低!」
「相馬殿までこのような破廉恥な真似をするとは思っていなかった……成敗いたす」
 初穂と暦をはじめとした女性陣が彼を取り囲んだので、相馬はにわかに命の危険を感じてしまった。「あ、いや、その、だな」思わず救いを求めて、近くにいた大和と視線を合わせたが、
「……諦めるんだな、相馬。うちの隊長に手を出すのなら、その程度は覚悟しておけ」
 苦笑交じりに見捨てられて、ひくっと顔をひきつらせた。
「いや、ちょっと冷静になれお前らっ」
「聞く耳持ちませんっ。お覚悟なさいませ、相馬様!」
「私は極めて冷静です。彼女に害をなす対象を即時排除します」
 慌てて逃げに転じるも、ホロウと那木の掛け声と共に各々の得物が一斉に向けられる。しめやかな別れの場面はあっという間にどたばた劇に切り替わり、
「最後の最後に何をしでかしているのだ、あの男は……」
 すでに騎乗している九葉があきれ顔でため息をついている。
 どうやら無事に帰還できるのはもう少し後になりそうだと、突き出される刃や分銅を軽やかに避けながら思った相馬は、ふと視線を感じてそちらへ顔を向けた。
 目まぐるしく入れ替わる景色の中、たくさんの人に囲まれて立つウタカタの隊長の姿は、他の何にもましてはっきり見てとれる。
 まっすぐにこちらを見つめるその顔はいまだ赤面し、困惑が色濃く映っていたが、視線が絡むと、彼女は少し惑った後、はにかむような笑みを浮かべてくれた。
(ああ、その笑顔だ)
 たとえこれからどれだけの年月離れてしまっても、最後に見た彼女の笑顔を糧に、自分は戦い続けられる。全ての鬼を成敗した後、胸を張って彼女を迎えにくるだろう。
(俺は今世のムスヒの君と並び立つ、中つ国最強の男として、この里に戻ってくる)
 だから待っていてくれと――今また新たに己の願いを胸に刻み込み、相馬は高らかに笑い声をあげた。
 別れは悲しく、されど次の再会が待ち遠しく、ただ彼女が愛おしくてたまらなかった。