露とあらそふ世を嘆く

 任務を終えた後は久音の店で美味い料理に舌鼓を打つ。
 それがグウェンや仲間たちにとっての日課であり、今日もいつもと変わらぬ夕餉の時間を過ごす、はずだった。
 それがどうした事か、
「……だってグウェンてば、ずるいよぉ……この十年の間、ずーーーーーっと九葉と一緒にいたんでしょおおお? ずるいよずるい!」
 酔眼の隊長に絡まれて気が付いた時には、グウェン一人で取り残されている事態になっているのか。
 ずるいと繰り返し、結構な力でしがみついてくる彼女を何とか引きはがそうとしながら、グウェンは焦って抗弁した。
「い、いや、そんな四六時中一緒にいたわけじゃないぞ?
 私は密偵として九葉に従っていたのだから、表向きは出来るだけ関わらないようにしていたし」
「でも十年も従っていたんだから、九葉がどんな事をしてどんなふうに変わっていったのか知ってるんでしょう? それが! 私は! 羨ましい!」
「うわっ!」
 机がひっくり返りそうな勢いで引っ張られ、グウェンは悲鳴を上げてしまった。
 隊長が酒を口にし始めから、波が引くように仲間たちがいなくなったのはこのせいか、と合点がいく。
(た、隊長は絡み酒だったか……!)
 嘆くのは構わないが、物理的に振り回すのは勘弁してほしい。
 何とか自分の腕を彼女から取り戻したグウェンは、痛む肩をさすりつつ、
「あ、あなたはそんなに九葉を慕っているのか?
 十年前の横浜で彼の指揮下にいたのは知っているし、マホロバでも親し気に話をしていたけれど」
 今更な質問を投げかけると、隊長は途端にぽっと頬を赤らめ、もじもじとし始めた。
 ん? この反応は……?
 まさかと思った矢先、零れた酒を人差し指で「の」の字に書き始める隊長。
「それはもちろん……九葉に初めて会った時から、私一目惚れで……認めてもらおうと思って一生懸命腕を磨いて、やっと部下にしてもらえた時は本当に嬉しくて……この人の下でずっと戦いたいって思ってて……」
 ひ、一目惚れ。
 あの悪党面に。
 つい言いそうになって、慌てて言葉を飲み込むグウェン。
 いや、自分だって拾われた身だし、血塗れの鬼と呼ばれる軍師九葉はああ見えて優しいところがあるのも知っている。
 それにしたって、最初に会った時は自分が怪我をしていたのもあって、このまま誘拐されて売り飛ばされるかと戦いてしまった覚えがある。
(顔立ちは整っていると思うが……お世辞にも女子供に愛される顔とは……)
 しかし、酔っぱらってるとはいえ隊長がこんな嘘をつくいわれもない。言われてみれば、九葉と話してる時の隊長は、やたら上機嫌だったような気がする。
(人の好みというのは分からないものだな……。ん? だが、十年前って事は……)
「隊長、あなたと九葉が出会った時、結構な年の差だったんじゃないか? 下手をすれば、九葉の子供くらいの違いがありそうな」
 隊長はグウェンと同じ年頃だ。
 十年前といえば、九葉は四十くらいで、若いころに結婚していれば子供がいてもおかしくないくらいの年の差ではないか。
 そう問いかけたら、途端に隊長の眉が八の字になって、
「そうなんだよ、だから相手にしてもらえなかったし、しかも! 横浜で鬼門に飲まれて十年後に来ちゃったから、年の差がさらに十も……!」
 がしゃん! と食器を揺らして隊長が机に突っ伏す。
 倒れそうになった徳利を慌てて支えるグウェンをよそに、隊長はぐすんぐすんと泣きはじめ、
「これじゃ完全に眼中なしだよ……いずれもしかしたらなんて希望を抱く事さえ出来なくなったよ……ああ、世の中絶望だぁ……」
「た、隊長? 隊長、しっかりしてくれ!」
 肩に手をかけて揺さぶったが、隊長はそのまますこーんと眠りに落ちてしまったらしい。目の端に涙を浮かべたまま、くーくー寝息を立て始めてしまう。
「え、えぇ~……言うだけ言って、寝てしまうのか……」
 酔っ払いとはそういうものだと思いつつ、絡まれて愚痴られて放置され、かつこの後の始末をしなければならないのは何か理不尽な気がする。
(どうしよう……とりあえず、彼女を家まで送るか)
 家はすぐ隣だ、女の自分でも何とか連れて帰る事は出来るだろう。
 その前に久音に会計をしなければ、と後ろを振り返ったグウェンは、
「く、九葉! あなた、いつからそこにいたんだ!?」
 奥まった座敷、その衝立の向こうに見覚えのある姿を認めて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「……お前達がやってくる前からだ。全く、騒々しいにもほどがある。おかげで出るに出られなかったぞ」
 一人静かに盃を傾けていたらしい九葉は、常と変わらぬ落ち着いた態度だ。だが、
「じゃ、じゃあさっきの話も全部、聞いて……?」
 グウェンが恐る恐る尋ねると、九葉は無言で視線を背けた。その態度が何よりも雄弁に語っている。
 それならば、とグウェンは座敷に押し入ると、
「あなたが責任を取って彼女の面倒をみるのが筋合いだ! 後は任せたぞ、九葉!」
 嫌がる間も与えず九葉を引きずり出し、隊長の隣に押し込めた。何をするやめろ、と抗弁する声も聴いたが、これ以上痴話げんかに巻き込まれるのは御免だ。
 グウェンはそれじゃっ! と手をあげて挨拶すると、そのまま脱兎のごとく逃げ出した――

「……これをどうしろというのだ」
 グウェンは風のごとく立ち去ってしまった。
 取り残された九葉はしばし後に呟き、ため息と共に視線を下げる。その眼差しの先には、平和に寝ている隊長の姿がある……いや。平和というには、悲し気な表情をしているか。
「…………」
 その顔は昔の記憶にあるまま、いささかも変わりない。当然だ、彼女は十年前から直接未来へやってきたのだから。
『……だってグウェンてば、ずるいよぉ……この十年の間、ずーーーーーっと九葉と一緒にいたんでしょおおお? ずるいよずるい!』
 酔っ払いの嘆きの声が蘇る。子供じみた叫びを思い起こした九葉は唇を歪め、
「……十年も私を待たせたのはお前だろう、馬鹿者め」
 閉じた目の端に浮かぶ涙の珠をそっと拭いながら、誰にも聞こえないように呟いたのだった。

主人公はまだらに思い出してるってことで。
十年会えなくて、しかも相手が記憶喪失とか、結構しんどい再会だよねっていう。
2は九葉さん祭で萌え死にそうです。
タイトルは「消えぬまの 身をも知る知る あさがほの 露とあらそふ 世を嘆くかな」
朝顔→桔梗で花言葉は「永遠の愛」