魂を引き裂かれるような痛みに、声が枯れた。
今すぐこの激痛から逃れたいと暴れても、手足の拘束は外れず、枷が肌に食い込んでいたずらに血を流す。無為と知りながら、それでも死にもの狂いで泣き叫んだが、痛みは去らない。
やめて、と女の悲鳴が聞こえる。
やめろ、と男の怒号が聞こえる。
助けて、と子供の懇願が聞こえる。
助けて、と老人の哀願が聞こえる。
(私じゃない、私はこんな事をしたくない)
そう叫びたかったが、声は届かない。己の内に押し込められた人の魂は、強制的に起動する魂喰機関に食い破られ、幾千の欠片になり果てて溶け消える。
――今回も、うまくいかぬか。
地獄のような苦しみの中、誰かの声が聞こえる。それが誰なのかは知らない。ただ、自分をこの場所へ閉じ込め、しばりつけ、何日も何日も苛み続けている男の声だという事だけは分かっている。
――もとより手慰みのつもりではあったが、こうも失敗続きとはな。人造のムスヒはならぬという事か。
男……片眼鏡をはめた白髪の男はこちらの顔を覗き込み、目を細めて眉根を寄せる。
――強化は出来ている、確かにミタマの力がこの者に宿っている。だが、なぜミタマが消える?
その疑問を解消するためか、また一つ、ミタマが己の内に投げ込まれた。
ミタマ自身が主を選んで取り込まれるのではない。
人の手で強引にミタマを宿す事、それ自体が多大な苦痛をもたらす上、人の体という檻に放り込まれたミタマは、逃げ出す事も出来ずに体内の魂喰機関に襲われ、断末魔を上げて消えていく。
その叫びを、もう何度聞いたことだろう。耳にこびりついて離れないあまたの絶叫に満たされ続け、気が狂いそうだ。
(こんな事したくない。ミタマを喰らうのは嫌。人を殺すのはいや)
やめて、と悲鳴を上げた。
助けて、と懇願した。
何度、そう叫んで助けを求めただろう。だがそれは叶わぬ願いだった。何度繰り返しても望む結果は得られぬらしく、男は日増しに苛立ちを募らせていく。そして自身の体もまた、変調を来たし始めた。
――被検体の熱が上がり続けています。このままでは死んでしまいます、軍師識。一度医務班に任せるべきでは……。
片眼鏡の男ではない声が聞こえたが、それに対する返事は耳に届かなかった。
数多のミタマを喰らい続けた魂喰機関はもはや喰いきることも出来ず、燃え上がるような熱を放っていた。
心臓と一体化したそれは凄まじい駆動音を立てて回転し、全身に巡る血を炎に変えて暴走している。目の前が白黒に明滅し、意識が飛んでは戻り、内で響く声に全てを埋め尽くされる。
怨嗟。絶望。苦悶。悔恨。諦念。悲嘆。愛の誓い。勇気の雄たけび。慈愛の囁き。希望の凱歌。
ミタマが抱えていた思いの数々が溢れ、魂喰機関から己の喉を通って外へとあふれ出す。
――何だこれは――軍師識、お逃げくださ――
男たちの悲鳴が聞こえた気がする。それが生身の人のものか、ミタマのものか区別もつかないまま、目の前が真っ白に染め抜かれ、やがて耳を塞ぐような爆発音と共に、意識は消え失せた。
――私には妻と子がいた、と男は言っていた。
なぜそんな話を自分にしたのかは分からない。
おそらく、度重なる実験に身も心もすり減らし、牢の中で人形のように座っている自分であれば、心の内を明かしたところで、他所に漏らす心配がないと考えたのだろう。
片眼鏡の男は気まぐれのように自分の元を訪れ、独り言をつぶやき、やがて満足したように立ち去っていく。
その日もそうだった。男の話は、すでに過ぎ去った過去に関わる事ばかりだった。
曰く、自分は遥かかなたの過去より今へやってきた放浪者なのだと。
血で血を洗う戦に疲れ果て、妻と子を奪われ、幸福だった時を取り戻すための企ても阻まれた哀れな男なのだと。
男は時に自虐しながら、時に憐れみながら、時に正当性を熱弁しながら、過去を取り戻す事を必ず誓った。
――私の可愛いクラネは、まだほんの小さな子供だった。なぜあんな可愛らしい子を奪われなければならないのか。
――歴史は過ちの糸で過ちの布を織り続けている。誰かがその糸を断ち切り、全てを元に戻さねば、やがて滅びの時を免れまいよ。
最後の語り掛けとなったその言葉を、男は拳をふるって熱く語った。そしてふと我に返ったように失笑し、
――何とも愚かだな。どうせ貴様には事の是非など分かるはずもなかろうに、こんな事を語ってどうしようというのか……私も無意味な事をするようになったものだ。
そういって腰を上げる。着物の裾をひるがえして立ち去ろうとする男の背中を、その時なぜ見つめたのか。なぜ、
――お前の望みは叶わぬ。
そう告げたのかは分からない。ぴたりと足を止めた男が肩越しに振り返り、何、と呻く。
――時は常に前へ進み続け、決して戻ることは出来ない。お前がどれほど欲したところで、過ぎ去った過去を取り戻すなど、叶うはずもない。
その事は自分が一番よく知っている。知っていたはずだ。
数々の実験により蝕まれた心はかつての記憶を奪い、もはや自分が何者であったかもあいまいになっている。
だがそれでも、かつて自身で時を越え、鬼と戦い続けてきた事だけはまだ辛うじて覚えていた。
――お前の望みは叶わぬ、叶わぬ願いを抱え続ける無為をなぜ気づかない。
久方ぶりに意味のある言葉を発したのは、それが最後だった。牢の中に入ってきた男が力任せにこちらの横面を叩き、倒れた頭を上から押さえつけて、
――たかが実験体の分際で、何も知らぬ無知蒙昧な輩が、知ったふうな口を利くな!! 貴様に私の望みの何が分かる!!
憎悪と怒りに満ちた怒号を浴びせかけてきた。地面に顔がめり込むほど手に全身の体重をかけて、男が叫ぶ。
――時を超える鬼の力さえ手に入れれば、私はクラネを取り戻せるのだ! 他の誰にも、邪魔などさせん!!
その絶叫は、男の魂の叫びだったのだろう。頭が割れそうなほどの痛みにあえぎながら、だが、と私は心中で呟いた。
――だが、その願いは叶わない。なぜならこの世に現れる鬼は全て、×××××によって滅せられるのだから。
それは男の耳に届かない呟きであり、己の胸に刻まれた誓いでもあった。ゆえに、たとえすべての記憶を失おうとも、この誓約だけは決して消えることなく……
「はて。……女、どこかで会った事があるか」
内乱で揺れるマホロバの里に現れた霊山軍師、識。
あの男は危険だと博士に告げられたその相手が不意に呼びかけてきたので、驚いて足を止めた。一瞬考えを巡らせてみたが、記憶喪失の身で分かるはずもない。
さぁ、人違いでは。
そう応えようとしたが、片眼鏡の男を改めて見返した瞬間、――声が聞こえた。
怨嗟。絶望。苦悶。悔恨。諦念。悲嘆。愛の誓い。勇気の雄たけび。慈愛の囁き。希望の凱歌。
内から沸き起こったそれは一瞬にして自分を支配し、突き上げるような怒りが目の前を真っ赤に染める。
この、男。
この男が憎い。
沸き起こる憎悪の所以が分からない。分からないが、体の内側からあふれ出しそうな思いは、この男が危険で、絶対に討ち果たさねばならない相手なのだと告げている。
ゆえに、相手の眼差しを真っ向から見据え、静かに告げる。
「軍師識。この顔を覚えておけ」
そう告げると、軍師は故なき敵意に肩をすくめて立ち去る。その後ろ姿をにらみながら再度、訳も分からぬままに誓いを口にした。
――貴様の全てを打ち砕く者の顔を、覚えておくがいい、と。
主人公が箱舟の戦士で、不完全な魂喰機関を宿していたので、ミタマ実験でぱくぱく食べちゃったから失敗したとかあってもいいかなーと思ったので。ミタマを食べるのって、人の身では結構な苦行じゃないかと…。
実験の最後で機関が爆発することで、元々持ってたムスヒの力が戻り、九葉に拾われて~みたいな流れを考えてみた。