お休み、良い夢を

 どうも体の調子が良くない、と朝の時点で気づいていた。
 しかし起き上がるのに苦労するというほどでもないし、多少の不調でも戦えなくて何がモノノフか、という思いがあって、桜花は普段通り任務に赴いた。それが良くなかったらしい。
(まずいな……頭がくらくらする)
 里近辺の巡回任務は小鬼を退治して回るだけの簡単なものだ。
 いつなんどき大型が現れるとも限らないので油断するわけにはいかないが、いつもであれば何の問題もないはずだった。
 しかし、餓鬼の集団に突然襲われて応戦した桜花は、最後の鬼を切り払った後、くらりと眩暈に襲われた。
「うっ……く」
 咄嗟に足を踏ん張ってこらえたものの、眩暈は治まらない。おまけに体が熱を放ってどうにも重たい。
(風邪を……悪くしたか)
 この程度の戦闘で弱るなど情けない。そう思いながらも桜花は目を閉じ、鞘に納めた刀を水平に構えた。
 暗い視界にほのかな光が感じられ、清浄な気が足元から立ち上ってくる。
(ミタマで病を治す事は出来ない。タマフリで少し整えられるといいんだが)
 鬼祓いやミタマの力を引き出すタマフリは、そもそも魂に活力を与え、再生を促す術を言う。
 この場合源となるのは自身の気となるので、今弱っている桜花のそれでは大して実にならないのだが、やらないよりはましだろう。と、
「あれ? 桜花、鬼祓い終わったのにまだやってるのか?」
「あっ……あ、あぁ、君か」
 不意に男の声が聞こえてきたので、とっさに目を開いてしまった。
 明るくなった視界に映るのは、ウタカタ討伐隊隊長の姿だ。眉の太い、生真面目そうな顔の青年は、見た目にそぐわぬ可愛らしいしぐさで小首を傾げている。
「桜花が俺の気配に気づかないなんて珍しいな。どこか悪いのか? さっき見てたら、いつもより動きが悪かったように思えたが」
「う……いや……」
 この青年は気が優しく、那木のようにいつも皆の心配ばかりしている。
 だから些細な事だと不調も報告せず、任務の相方に指定されても拒まなかったのだが……この状況では、嘘も下手な桜花にはごまかしきれない。
 仕方ないと諦めて、桜花は刀を下ろし、杖代わりに寄り掛かった。
「……君には言っていなかったが……今日は少々、体の具合が悪くてな。頭がくらくらするから、少しでも楽にならないかとタマフリをしていたんだ」
「えっ、そうなのか!? それなら何でもっと早く言わないんだ、桜花!」
 案の定、眉を吊り上げて隊長が声を張った。近くで大声をあげられて桜花は思わず顔をしかめてしまう。こめかみをおさえて、
「す、すまない……この程度、特に問題ないと思ったんだが……」
 弱弱しく答えると、一転眉が八の字になった。桜花よりだいぶ高い背をぐっと折って、隊長が顔を覗き込んでくる。
「大丈夫か? そんなに悪いのか? 里まで帰れるか?」
「ええと……そうだな、少し休めば、何とか……」
 矢継ぎ早に聞かれるのに答えるのも一苦労だ。これくらいで本当に情けないと泣きそうな気分で自己嫌悪していると、
「それならあっちで休もう。里も近いから、鬼ももう出てこないだろうし」
 隊長は桜花の体に手を回してぐっと支え、近場の木の下まで連れて行ってくれた。
 緑が茂る大木の下に腰を下ろすと、ひんやりとした空気と、さやさやと葉擦れの音が緩やかに降ってきて心地がいい。
「水飲めるか? 桜花」
 桜花が座る場所に布を引き、腰を下ろした途端に水筒の水を差しだしと隊長は甲斐甲斐しい。
 まるで親かなにかのようだとぼんやり思いながら、桜花は受け取った椀にそっと口をつけた。
 ゆっくりと滑り込んでくる水は少しぬるいが、どうやら柑橘系の果汁か何かを混ぜてあるらしく、すっきり爽やかだ。
 椀を傾けて全て飲み干した桜花は、ああ、と太い息を漏らした。
「ありがとう……少し、楽になったようだ」
「そうか。でもまだ顔色が良くないから、無理するなよ。なんなら一眠りするか?」
 いや、と咄嗟に拒否しようとしたが、一度座ってしまうと体は根が張ったように重たかった。自覚していなかったが、どうやらよほど具合が悪いらしい。
「そうだな……君には悪いが、少しだけ、いいか……」
 木の幹に寄り掛かって吐息交じりに言うと、隊長はよしきたとばかりに自分の膝を叩いた。
「よし、なら膝枕してやるよ、桜花!」
「……は?」
 何の冗談、と目を動かしてみたが、隊長はなぜかやたらきらきらした目で、自身の膝をばしばし叩いて、さぁいつでもどうぞと言わんばかりの準備態勢になっていた。
「い、いや、君に膝枕なんてしてもらわなくてもいいんだが」
 いくら何でもそれは、と首を振る。が、隊長は頑としてひかなかった。
「どうせ休むなら横になった方がいいし、横になるなら地面や草の上より、膝の上の方が汚れないだろ? まぁ俺の膝枕なんて固くて寝心地悪いだろうけど、無いよりはましかなと思って」
「し、しかしだな……」
「いいからいいから、さっ桜花早く!」
 尻込みして逃げようとしたのだが、病人がモノノフに勝てるわけもない。半ば強引に説得させられ、桜花は仕方なく隊長の膝を枕に借りた。
 横になるのに支障ありと髪飾りを外し、おずおずと頭を預けると、本人が言っていたように筋肉と骨の感触がごりっと当たる。
「……固いな」
「……だよな。ごめんな、女だったら気持ちいい膝枕になっただろうにな」
 率直に感想を伝えると、さっきまでの強引さが嘘のように隊長が申し訳なさそうな顔になる。それが何とも情けなかったので、桜花はくすっと笑って小さくかぶりを振った。
「いや、君の心遣いがうれしいよ。ありがとう……迷惑をかけてすまない」
「迷惑なんて事はないよ、桜花」
 隊長はふっと表情を和らげた。優しく穏やかな微笑を浮かべた彼は、桜花の額にそっと手を当て、
「……桜花はいつも一人で無理をするから、目が離せない。ずっとそばで面倒を見てやりたくなるよ」
 そう囁いたので、桜花は思わずどきっとしてしまった。皆を好いてやまない彼の言葉に他意などない、あるはずがないと思うのに、
(それはもしかして、私の事をずっと気にかけてくれているという事なのか)
 そう問いかけたくなってしまう。
「君は、私を」
 どう思っているのか。咄嗟にその問いが口から出そうになって、慌てた桜花は手で塞いだ。ん? と首をかしげる隊長を見上げていられなくなって、目を伏せる。
「い、いや、何でもない。その、少し眠らせてもらうから、適当なころあいで起こしてくれるか」
 顔が赤くなっているのは、木陰だから分からないだろうか。いやそうであってほしいと思いながら早口に告げると、隊長は桜花の頭を優しく撫でて、
「ああ、わかった。――お休み、桜花」
 穏やかに、慈しむような柔らかい声音で眠りへといざなうのだった。