雛菊の心

「そういえば富嶽は、里を出ていくの?」
 オオマガドキを招く大型鬼を討伐した後の事。鬼の活動も沈静化し、富嶽にとっては物足りないほど平和な日々の中、立ち話の合間に隊長が尋ねてきた。
「あ? いや、特に決めてねえが……何でそんな事聞くんだ」
「だって、仇を取ったら特にやる事無いって前言ってたから。トコヨノオウを倒して、この辺りはひとまず落ち着いた感じでしょ? そうなったら、富嶽出ていくのかなって少し思ってた」
「あー……」
 言われてみればそうだ、と上の空で返事をする。
 富嶽はウタカタで、ずっと追っていた里の仇を倒した。
 長く胸に刻みつけていた宿願を達成したその時、富嶽には他の望みや目標などなかった。今後どうするのかと問われて、ひとまず隊長に借りを返すために残ると答えたのだが――
「……まぁ、親分が居なくなったとはいえ、鬼が消え失せたわけじゃねぇしな。鬼が居る限り俺は戦い続けるだろうよ」
 戦いは好きだ。自らの体一つで凶悪な鬼に立ち向かい、命を賭けてぶつかり合う事自体、富嶽の性に合っている。
 戦う事が出来るのであれば、場所は選ばない。否、もし選べるのだとすれば、彼はもっとも戦闘の激しい最前線へと赴くだろう。
「今のウタカタは、俺にはちとぬるいな。欠伸が出そうなほど暇で、体が錆びついちまいそうだ。そういう意味じゃ、ここにとどまる理由はないっちゃないんだが、……」
 だが。の後、不意に言葉が喉に詰まった。息詰まるような戦いの日々の中で、己の心中を披露していたのが嘘のように、突然気恥ずかしさを覚えたのは、
『俺はてめえに借りがある。てめえが必要とする限り、俺はウタカタにいなきゃならねぇだろ』
 などと言いかけてしまったからだ。
(これじゃまるで、こいつから離れられねぇと言ってるようなもんじゃねぇか)
 二年の間、富嶽は一人でい続けた。
 共に戦う仲間がいても、心を許し、命を預けるほどに打ち解ける事は出来なかった。ホオズキの里で誰一人救えなかった時から、復讐を叶えるその時まで、やみくもに戦い、やみくもに生き続けた。
 けれど今、自分は命を惜しんでいる。自身の為ではなく、目の前にいるこの女を守る盾であり続けたいと、そう願うがゆえに。
(……伊達男じゃあるまいし、入れ込みすぎだ。こいつがそれを望んでるとも限らねぇのに)
 だから続く言葉を飲み込み、かわりの接ぎ穂を探そうとする富嶽の前で、
 バチーン!!
「!?」
 突然隊長が、自分の両頬を手でたたいたので、富嶽はびくっとしてしまった。鬼を打ち倒す両手で思い切りたたけば相当な打撃だろう、案の定彼女はあいたた……と頬をさすって呻いている。
「バカ、いきなり何してんだてめえは!」
 みるみるうちに赤くなっていくのを見て、那木を呼んできた方がいいのかと迷いながら富嶽が怒鳴ると、隊長は顔を手で包んだまま、眉を八の字にした。
「うん、ちょっとダメな事考えちゃったから、自分に罰与えなきゃと思って」
「はぁ? 何考えたんだ、一体」
「えっと……」
 普段はきはきと話す隊長が珍しく言いよどむ。覗き込む富嶽から逃げるように顔を背けると、長いまつげを伏せて小さくつぶやいた。
「……鬼が今も、これからもずっと、たくさん出てきたら、富嶽と一緒にいられるのかなぁって」
「…………は?」
 予想外の回答に、富嶽は思わずぽかんとしてしまった。
「いや、うん、ダメだよね! 私たちは鬼を全滅させなきゃいけないんだから、そんな事思っちゃったら、モノノフ失格だよね! あーダメだなー鍛錬が足りないなー禊でもしてこようかなーなんて、ハハハ!」
 隊長は自身の失言をごまかしたいというように早口でまくし立てている。しかしみるみるうちに、頬どころか耳まで真っ赤になっていくのを目にした富嶽は、
「……ばぁか」
 ごり、と肘で軽く隊長の頭を小突き、背を向けた。
「鬼はどこにでもいるし、無尽蔵に湧いてきやがるんだ。その……一生かかっても倒しきれるかわからねぇんだから、その間は一緒にいてやるよ」
 途中咳払いを挟んでつぶやくと、背後から「えっ」と絶句する声が聞こえてきた。
 彼女は今どんな顔をしているのだろう、驚いているのか、困っているのか、喜んでいるのかと気になりはしたが、富嶽は自分の顔が熱くなっているのを感じて、どうしても振り返りたくなかった。
 勝手ににやけそうになる顔を、隊長にだけは見られたくない。

雛菊の花言葉「あなたと同じ気持ち」