君くらいがちょうどいい

 ぽかぽかと心地よい日差しが降り注ぐ午後の日。普段からは考えられないほど平穏な時の中、モノノフ本部を出た息吹は、跳界石の前に立っている隊長を見つけて、眉をあげた。
(任務がないとはいえ、こんなところでぼんやりしてるとは珍しいな)
 いつもなら仲間の誰かと喋りに興じたり、手合せしたり、里の中を駆け回ったりと活動的なのに。息吹はつかつかと歩み寄って声をかけようとしたが、
「……いいなぁ……」
 その前に相手がぼそっと呟いた独り言が耳に入った。同時にこちらに気づいて、
「……あっ、息吹。お疲れ様、依頼でもしてたの?」
 呆けた表情をぱっと切り替えて笑いかけてくれる。つられたように顔を綻ばせながら息吹は隊長のそばに立ち、肩を竦めた。
「ああ、でもこれといったものは無かったよ。討伐任務もないし、平和なのは結構だな」
「まぁね。とはいえこうも暇だと、手持無沙汰だけど。走り込みも終わって、今日は富嶽が手合せダメだっていうから、やる事なくて本部に来ちゃった」
「それなら俺がやろうか? 隊長殿のお相手には少々物足りないかもしれませんが」
「そんな事ないよ、ありがとう。じゃあ、さっそく始めようか」
 互いに同意して、場所を変えようと階段を下りはじめる。手合せが出来るとなると、ニコニコと上機嫌になるところは、おもちゃを与えられた子供のようで微笑ましい。隊長の顔を見つめてそんな事を考えながら、そういえば、と言葉を継ぐ。
「あんたさっき、何か独り言いってなかったか? いいなぁ、とか言ってるように聞こえたけど」
 途端、笑みが引っこんで、隊長の眉が八の字になった。
「う……聞いてたの」
「あんなところに突っ立って、何考えてたんだ?」
「んーと……いや、大した事じゃないんだけどね」
 そういって階段半ばで足を止めた彼女は、すっと手を前へ差し出した。伸ばした指先がさしたのは――道端で天狐と戯れる初穂と、それに混ざりたくてうずうずしながら見守っている速鳥だった。意味が理解出来なくて、息吹は首をかしげる。
「天狐と遊べるのがいいなって事か? でもあんたの家にはもういるよな」
「ううん、そうじゃなくて。……初穂、小さくて可愛いなと思って」
「んん?」
 答えにまた首をひねり、改めて初穂へ視線を向ける。外見だけでいえば、里のモノノフの中で最年少の初穂は、年相応に小柄だ(普段は高下駄を履いているのでさほど小さく見えないが)。天狐を腕に抱えて撫でている初穂の笑顔を見ながら、
「まぁ、ああしてりゃ確かに可愛いよな。あれで小言をぶつけてこなけりゃ、いくらでも褒めてやるんだが」
 軽口交じりに同意すると、隊長はなぜかため息をついて頬に手を当てた。
「私も初穂くらいの背丈だったらよかったのに、と思ってたから、さっきはつい、いいなぁって言っちゃったんだ。木綿ちゃんもちっちゃくて可愛いし、やっぱり女の子は小柄な方がいいよね」
 おや、と息吹は彼女へ顔を向けた。確かに隊長は、女性としては背が高い方だろう。他の女モノノフ達も低くはないが、彼女はその中でも一番長身である。それを悩んでいるとは知らなかった。
「女性の魅力っていうのは背の高さがどうこうじゃないだろ?
 初穂には初穂の、木綿ちゃんには木綿ちゃんの、隊長には隊長の。皆が皆、それぞれ魅力的で、俺は誰かひとりと選ぶのにも苦労するくらいだ」
 おどけた調子で言ってみたが、隊長はもう一度息を吐き出した。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私はこんなに高くなりたくなかったよ。
 まぁ、モノノフとしては背丈のある方が戦いやすいから、一概に悪いわけでもないけど……でも、あんな風になりたかったなと思う時もあるんだよね」
 そういいながら羨むような表情で、階段下の初穂を見下ろす隊長。どうやら彼女にとって、身長の問題は根深いもののようだ。下手な慰めでは意味がなさそうだと判断した息吹は、ふと思いついて口の端を上げた。
「そうかな。俺は、あんたはちょうどいいと思うよ」
「ちょうどいいって何」
 が、と最後まで言うより早く、軽く前かがみになった息吹は隊長の唇に、ちゅっと音を立てて口づけた。息がかかりそうなほど間近でにっこり笑い、
「ほら、俺とあんたなら、ちょうどいい背丈だろ?」
 そう嘯く。何が起きたのか理解できないのか、目を大きく見開いて硬直した隊長は、な、と小さくつぶやいた後、
「……い、息吹、そういう事は、軽々しくするもんじゃないでしょ……」
 口を手で覆ってそっぽを向いた。顔を隠そうとしたらしいが、髪の間からのぞく耳が真っ赤に染まっているのが見えて、
「やっぱり背丈に関係なく、俺の隊長が一番可愛いな」
 もう一度ねだるように顔を近づけたが、馬鹿っと恥じらいの肘鉄を食らってしまった。
 しかもそれが結構な勢いだったものだから、階段から転げ落ちてしまい、初穂達にあきれ顔をされ、慌てて降りてきた隊長に助け起こされるというみっともない目に遭ってしまうのだが、その間も息吹は顔がにやけてしまうのを止める事ができなかったのだった。