恥を知る

「喉が渇いているだろう。これを飲んでおけ」
「……はい、ありがとうございます」
 そういって差し出された湯呑を受け取って口に含むと、確かに思っていた以上に喉がからからになっている。熱くもなくぬるくもないお茶は染みわたるようで、思わずため息が漏れた。
 その気配りはとてもありがたいと思ったのだけれど、それにしても、と先ほどからてきぱきと動いている九葉を、何とも言えない気分で眺める。
 さっきまで、えーっと、その、なんだ、あれこれしていたわけだけれど、一息ついたところで九葉は諸々の後始末を始めた。私に服を着せて、自分も着て、行灯に火をともし、お湯を沸かしてお茶をいれ……
(……なんかこう……甲斐甲斐しいなぁ、九葉……)
 いつも鷹揚に構えているくせに、こういう時は隅々まで気配りする人なのかと思うと、普段との差異がおかしいというか、何とも気恥ずかしいというか。
「……あの、九葉。少し座って落ち着きませんか」
 床に身を起こして声をかけると、九葉は私の前に腰を下ろし、自分もお茶を飲んだ。
「お前は辛くはないか。先ほどは無理を強いた」
 それから心配を声ににじませて優しく語りかけてくる。う、そう改まって言われると、あれこれを思い出して困る。かーっと顔が熱くなるのを感じて、いえその、と言葉に詰まってしまう。
「だ、大丈夫です、もう何とも……あなたにも、えっと、無理させられたなんて思ってはいないですし」
「そうか? ずいぶん嫌だと言っていたように思ったが」
「っ!!」
 思いもかけない言葉に、お茶を吹きそうになった。
「なっ、なっ、何を言ってるんですかあなたはっ」
「事実だろう。私もずいぶん大人げない真似をした。お前が嫌だと言っていたのだから、もう少し時間をかけて……」
「そっ、そういう事言わないでください、あと言わせないでくださいっ!」
 思わず声を高ぶらせて批判すると、九葉はぴくりと眉を上げる。
「……普段あれほど私に、何を考えているのかと問い詰めてくるお前がそれを言うのか? たまに素直に話をしてみれば拒むとは、一貫性に欠けるな」
「一貫性って……あ、あのですね……」
 それとこれとは全然別、ではないのかもしれないけど、時と場合があるでしょう、時と場合が!
 と訴えたかったけれど、どうやら九葉は本気で分かっていないらしい。おかしな奴だと言う目で私を見ている。
 だ、駄目だこの人、ちゃんと言わないと伝わらない。
 その事を悟った私は、せっかく手ぬぐいで拭いてもらった額に、再度滲みはじめた汗をぬぐう。
「……さ、さっきの嫌は……その、け、経験したことない感覚だったので、それがちょっと怖くてですね……でもその……うっく……ほ、本当に嫌だったわけではなく……だからえっと……う、うううう、ああーもう!!!」
 地面に穴があったら入りたい気分で途中まで説明したけれど、やっぱり耐えられない。私は湯呑を畳に叩きつけると、九葉をきっと睨み付ける。
「な、何でこういう恥ずかしい事をわざわざ口で説明させるんですか、あなたは! こう、全体の流れを色々考えれば、あれが否定的な意味合いじゃないって分かるでしょう!!」
「……それはそうだが、私は他人の気持ちに疎いと自覚があるのでな。念のため確認したかったのだが……恥ずかしいのか」
 真顔で何聞いてきてるのこの人。
「恥ずかしいに決まってるでしょう! あなただって恥ずかしくないんですか!?」
 半ばやけっぱちでほとんど怒鳴るみたいに叫ぶと、九葉が動きを止めた。恥ずかしい、と言葉を繰り返し、
「…………。………………………………。」
 黙り込んだ後、急に口元を手で隠してそっぽを向いた。それを見て気づく。
(あ、この人いま恥ずかしがってる)
 自覚していなかったものを、どうやら今更になって羞恥を覚えたらしい。こちらに見られまいと背けた顔は、もしかして今度こそ赤面しているのかもしれない。
(……何かもう、この人何なんだろう。時々急に、可愛らしくなるんだから)
 これが冷血軍師と言われる人と同一人物だろうか。そう思うとなんだかおかしくなって、
「九葉。くーよーうー? どうしてそっちを向いてるんですか?」
 茶化しながら顔を覗き込もうとしたら、九葉は私の額に手を当てて、ぐっと押し返してきた。
「……見るな」
「どうしてですか。見られたら困るんですか」
「煩い。いいから見るな」
「そんな事言わずに、こっち向いて下さいよ」
「……見るなと言っている」
「わっ」
 袖をくいくい引いたら、額の手が目の上に覆いかぶさってきた。そのままぐいーと後ろに押され、
「え」
 気づいた時には背中が畳についている。え、まさかと思ったら、
「――いう事を聞けぬ悪童には仕置きだな」
「ひゃっ!?」
 低い低い声が耳元で囁きを放って、そのまま耳たぶを噛んできた。
 思わず逃げようとしたけれど、引き際を完全に見誤ったと悟ったのはそのすぐ後。今度は嫌といっても本当に本気で聞き流されてしまうのだった……。