大きな福を君に
うららかな日差しの下、ゆき子は料亭の中庭に面した縁側に腰掛けた。
お出かけで、レースがいっぱいついた可愛い服を着るのは好きだ。今は靴下のはだしだけど、ここに来るとき履いてきた真っ赤な靴もお気に入り。皆にも可愛いとたくさん褒められた。
大人が集まって、自分には分からないお話ばかりしている時、じっとしていなければならないのは嫌だ。けど今は、それからも解放された。嬉しくて足をぷらぷらさせていたら、
「ゆき子、お待たせ」
廊下の先からとすとすと静かな足音と共に、兄が現れた。兄もまた、自分と同じようにおしゃれだ、ふわふわした髪をきちんとくしけずり、ぱりっとした白いシャツに半ズボンで、いつもそうだけれど綺麗でかっこいい。おにいさま、と呼びかければニコッと笑って隣に座り、
「ほら、ないしょだぞ」
ゆき子の手に小さな包みを渡してくれた。薄い和紙をはがして現れたのは、真っ白な大福だ。
さっそく開けた拍子にふっと白い粉が飛び散る。
待ってましたとばかりにぱくりと口に入れれば、あんこの優しい甘さと香りが口の中にふわりと広がった。しっとりとした皮も美味しいと食べ進めると、その中心にあるいちごに行きつく。大きないちごを、精一杯口を開けてかじれば、少しの酸っぱさとたくさんの甘さを含んだ果肉と果汁に包み込まれるようだ。
「おいしい、おいしいわね、おにいさま」
夢中になりながら顔を向けると、自分の分を食べていた兄はくすりと笑う。
「ゆき子は本当にいちご大福が好きなんだな。干菓子じゃやだなんてワガママ言うから、困ったお姫様だ」
「だってあんなパサパサしたの、おいしくないわ。おとなたちは何であんなにニコニコしてたべてたの? お茶もにがくて、のめなかったわ。あんなのより、オレンジジュースのほうがいい」
お茶会でお菓子が出るからと言われていたのに、あれでは騙されたようなものだ。ぷりぷりして文句を言えば、兄は破顔してこちらの口元をぬぐった。
「粉だらけだぞ、ゆき子」
「おにいさまだって、ほら」
手を伸ばしても届かない、と思ったら兄が身をかがめてくれたから、頬の粉を払う。間近に迫ったお互いの顔を見やって、同時に笑い出した。
あんなお茶会より、おにいさまとこうやって大福を食べているほうが、何倍も楽しい。
一筋の冷菓
照り付ける太陽の下で畑仕事をするなんて、初体験だ。
「ああ……暑いわね……」
頑張ってはみたけどもう限界だ。よろよろと日陰へ移動し、そこにあった箱の上に腰を下ろした。
流れ落ちる汗を拭って顔を上げれば、土の上で元気に動き回る子ども達が目に入る。きゃあきゃあ騒ぎながら、芋を掘り起こしている様を見て苦笑した。
(子どもは元気ね。……私にはもう無理だわ)
年寄りのつもりはないが、子どものようにはしゃぐ体力はもうない。というより、普段デスクワークの方が多いから、同年代より脆弱かもしれない。情けない事だとため息をついた時、
「ゆき子、お疲れさま。これ食べるか」
タオルで汗をぬぐいながらやってきた樹生が、ものを差し出してきた。何かと思えば――袋に入ったアイスクリーム、のようだ。サチオ君に貰ったんだ、とそれを開ければ、中から出てきたのは棒が二本刺さったアイスの塊。樹生は軽く眉を上げ、
「こうか」
棒を掴んでぱきっ、と二つに割った。ほら、と渡されておそるおそる口に入れれば、ひやりと冷たい甘さが口の中にじわりと広がっていく。
「…………美味しいですね、お兄様」
こんなアイスを食べるのは初めてだが、砂漠で水を得たような安堵を覚える。頬を緩めて呟くと、がりがり食べながら兄も笑った。
「ああ、九死に一生を得た感じだな。こんな美味いアイスは初めてだ」
「そうですね」
同意して自分も笑う。真っ白なクロスのテーブルについてコース料理を楽しむより、土にまみれて汗をかき、アイスをかじる方が楽しくて美味しいなんて、新発見だ。
温もりの甘さ
山小屋に入ってくるなり、凄く甘い香り、とゆき子が眉を上げた。
「そうか? 多分これのせいだな」
この間導入したオーブンを開けると、ふわりと熱風と共に濃厚な香りがあたりに立ち込める。ほかほかと湯気を立てて天板に行儀よく並んでいるのは、黄金色をしたお菓子――スイートポテトだ。
「お兄様の凝り性は困ったものね、こんなものまで作り始めるなんて」
「一度始めると止まらなくなるのは悪癖かもな。どこまでも追及したくなるんだ」
「そのうちパティシエにでもなるおつもりですか。こんなにたくさん、食べきれないでしょうに」
「これは明日、番外地ジムの連中に持って行こうと思ってな。……その前に、ほら」
樹生は綺麗に焼き上がった一つを取った。まだ熱いからと息を吹きかけ、ゆき子の口の辺りへ持っていく。
ゆき子は軽く目を丸くした後、
「……いただきます」
口を開けて、ぱくりとかじりついた。上品にもぐもぐと咀嚼した後、
「懐かしい味。……美味しいです」
小さく呟いて、ふっと頬を綻ばせて笑った。その気取りのない、素の笑顔を見て、樹生の胸に暖かい温もりが広がる。
彼の小さな妹は、変わらず甘い物が好きで、変わらず可愛らしい。
甘い贈り物
「……綺麗にできませんでした」
そういっておずおず箱から出してきたケーキは、茶色の表面が一方はふくれ、一方は凹んでざっくり割れている。だがそれでいいんだ、と樹生はナイフを手に取った。
「ガトーショコラはこれでいいんだよ、ゆき子。上手くできた証拠だ」
「そうなんですか? ……切られたものしか見た事ないから、知らなかったわ」
「味見もしてないのか」
「お兄様と一緒に食べようと思ったから。……まずくても文句を言わないでください」
「俺が言う訳ないだろう」
これまでゆき子の作ったものは、どんな味に仕上がっていようが笑顔で平らげてきたんだ――本人には言ってないが。
ライターで温めたナイフでケーキを切り分け、ゆき子、そして自分の分を皿にとる。
切断面を見た限りは、綺麗に出来ているように思えた。見守るゆき子の視線を感じながら、フォークでひとすくい、口に運ぶ。
かりっとした食感の表面、生地はしっとりしていて、濃厚なチョコレートの味が舌の上にじんわりと広がっていく。口の中一杯に満ちた後、溶けるように消えていく香りに思わず目を閉じた。
「……お兄様、どうです?」
黙り込んだせいか、間を置いてゆき子が尋ねた。瞼をあげれば、彼女は不安そうに眉根を寄せてこちらの様子を窺っていた。樹生はふっと笑い、
「ああ、美味いよ。最高だ。さすがゆき子だな」
絶賛を口にする。ゆき子は目を瞬いた後、ふっと苦笑した。
「お兄様は、大げさです。……私に甘すぎるわ」
「そうかな。本当の気持ちを言ってるだけだよ。ほら、お前も」
促すと、ゆき子もそろりとケーキを口に運び――本当、上手くできたわと微笑んだ。その表情が何よりも甘く優しく映り、樹生も笑い返した。少し早いクリスマスプレゼントをもらった気分だな。