serve cuisine

 ヤクザだからと言って品まで失うことは無い、とオヤジは言った。
「むしろ、極道だからこそ品位を失うべきでは無い。良く吠える犬は弱さを隠す臆病者だ。
 吠え散らかして無様を晒すのではなく、隠し持った己の牙を研ぎながら、敵の前で品良く笑え」
 自身で言うように、洗練された仕草でフルコースを堪能するオヤジを前に、自分も倣う。
 叩きこまれたテーブルマナーを苦も無くこなせるようになったのは、ようやく最近の事だ。
 はい、と頷けば、オヤジは年代物のワインを味わいながら、
「お前に一つ、シマをやろうと思う。最近よくやっているようだからな。何でも好きな事をすればいい。
 ……何をしたい、藤巻」
 そう問うてきたので、目を上げる。
 グラス越しにこちらを見定めるような強い視線を受けて、わずかにそらした。猛獣に正面から立ち向かうのは、愚か者のする事だ。少し考え、答えた。
「――レストランを、やりたいと思っています」

 黒塗りの高級車がそぼ降る雨の中、主人を待っている。
 オヤジの歩みに合わせてさっと開かれたドアの奥には、着物姿の女がいて、しとやかに微笑んでいた。
「藤巻、良い店だった。その目に狂いはないな。
 お前がどんな店をやるのか、楽しみにしているよ」
 乗り込み、半ば開いた窓からオヤジがかけてきた言葉に、頭を下げる。
「はい。もちろん、一番にお呼びします。おつとめ、お疲れさまでした」
「またな、藤巻」
 手振りで発車を促し、スモークガラスがせり上がっていく向こう側で、オヤジは女を抱き寄せる。
 雨中へ滑るように走り出した車の音が完全に聞こえなくなってから、折った腰を戻した。
(今日のつとめは終わりだ)
 そして明日からはまた忙しくなる。
 任されたシマは認可地区の商業地区、一等地。
 その価値からして期待のほどが知れるし、自分の力を試すチャンスだ。
 勝ち得た結果に心が湧きたつと同時に、疲労感も拭えない。
 オヤジと相対する時はいつもこうだ。
 雨の中、すぐ出ていく気にもなれず、懐から煙草を取り出し、口にくわえた。
 気まぐれに吹き抜ける風から、マッチの頼りない火をかばって先にともし、吸い込む。
 煙を吐くと、夜闇の中で雨の線がいくつも浮かび上がって見えた。
(レストラン、か)
 前からやりたいとは思っていた。
 未認可地区だけでせせこましく動き回っているだけでは、飛躍など出来ない。
 川向うのお偉いさんとオヤジを結びつけるような場を設ける事が出来れば、もっと手を広げられる、と考えていた。
 それに、元から料理は好きだ。多分これはオヤジの影響もあるのだろう。
 昔、ハンティングへ連れ出された。
 オヤジは仕留めた獲物をナイフ一本で裁き、その場で調理した。
 アウトドアとは思えない、上品な味付けの料理を振る舞われた時は、設備も何もないのに、こんな美味い物が出来るのかと衝撃を受けたほどだ。
 オヤジが自分に目をかけてくれるのは、ヤクザ稼業で成果を出しているのが半分、趣味の狩りや料理を熱心に学んでいるのが半分、なのではないかと思う。
(悪くない。……どんな店にするか、考えねぇとな)
 ふ、と笑い、煙草を雨の地面に投げ捨てた。
 いい加減帰るかと、寄り掛かっていた壁から身を起こした時、
『……部選手の試合は毎回華やかで見ごたえがありますね! 今日も派手なパフォーマンスで、会場中をとりこにし……』
 フードをかぶって雨をしのいでいる男が目の前を通りすがった。
 その手にしたラジオから、興奮したアナウンサーの声が漏れ聞こえ、すぐに遠ざかっていく。一部しか聞き取れなかったが、
(メガロボクスか)
 すぐにそれと察したのは時折、事務所のテレビで皆と観戦しているからだ。映像も何もないのに、ふっと目の前に絵が浮かんだ。
 強いライトに照らされた真っ白なリング。その中でせせこましく動き回りながら相手を殴り殴られ、やがて勝者と敗者が決定される。それだけの見せ物。
 自分は、メガロボクスを見下している。
 グローブの拳を高々と掲げ、勝利に酔いしれるボクサーは、酔っ払いと変わりない。
 スポーツマンシップを宣誓し、ルールに則ってリングの上で、己のプライドを賭けて闘う。
 そういえば聞こえはいいが、所詮ただの殴り合いだ。
 そんなものは日々、見飽きるほどに見ている。
 むしろ、死と共存している未認可地区の方が、よほどスリリングだ。
 わざわざギアだのグローブだのつけて、ちまちま殴り合うのはバカバカしい。
(良く吠える犬は臆病者、か。連中もそうなんだろうよ)
 オヤジの言葉を反芻して笑い、藤巻は雨の中、静かに帰路を辿り始めた。
 明日からはまた新しい仕事が待っている。負け犬にならぬよう、せいぜい牙を研ぎ澄まさなければ。