mechanical melancholy

 ドサッとカウンターへ置かれたバッグに、虻八は眉をあげた。
 使い込まれてあちこちひびのはいった革の表面には、掠れた「U.D.」の文字が描かれている。
 見慣れたそれから視線をあげれば案の定、持ち主も見慣れた男だった。見上げるような上背に筋骨隆々の体躯には、バラエティー豊かな入れ墨があちこちに散りばめられていて、どう見ても堅気の者ではない。とはいえ、
(そんなのは珍しくもねぇわな)
 いまさら偉丈夫に気圧されるほどうぶでもなく、何なら客の多くは柄が悪いのばかり。虻八が眉をあげたのは、男の来訪が意外だったからだ。どうしたい、と気安く声をかける。
「あんたはとっくに、足を洗ったと思ってたが。また地下に逆戻りかい」
 問いかけると、男は濁った目をきろ、と動かし――存外人好きする顔でにっと笑った。
「いんや、あんよは綺麗なもんさ。こいつは臨時の小遣い稼ぎでね。ちょいと昔の知り合いに頼まれごとをされたんで、ギアのメンテが入り用なのさ」
「頼まれごとね。……また南部の旦那かい」
 持ち手を左右に払ってチャックを開ければ、バッグの中で乱雑に詰め込まれたギアが、がちゃりと身じろぎする。男は分厚い肩をすくめた。
「どうも、しっかり手をかけたい奴を見つけたとかでな。ちょいとしつけがいるから、芝居に付き合ってくれと言われたんだ」
「そんな所でもはったりを効かすのか。懲りねぇな、あの人も」
 やれやれとため息を漏らし、虻八はバッグを抱え上げた。
「まぁいい、ちょいと待ってろ。久しぶりだから、まず様子を見ねぇとな」
「あんたの腕は知ってる、よろしく。俺ぁここでのんびり待たせてもらうさ」
 クッションのへたれたソファにずしりと腰を下ろし、男はヒラヒラと手を振る。虻八は暖簾をくぐり、奥の工房へと移動した。
「よっこらせ……っと」
 作業台の上に持ち上げ、口を大きく広げて、中身を取り出す。
 それは華奢な骨格も頼りない、旧式も旧式のメガロボクス専用ギアだった。
 本体のバッテリーボックスはオレンジ色の塗装があちこちはげているし、この型はすぐにバッテリーがおしゃかになるから、頻繁に交換を余儀なくされるような、時代遅れも甚だしい作りをしている。
 そのボックスから左右に伸びる外骨格も、すでにメーカーの生産も終了しているから、代替品を骨接ぎして何とか用を成しているような有様。
(全く……お前さんも、よく働かされるもんだな)
 虻八はこん、と軽くボックスの蓋を手の甲で叩いた。何度となく手をいれてきたそれには愛着があり、また戻ってきてしまったかと一抹の落胆も覚えてしまう。
(せめて、今度の試合で綺麗に足を洗えりゃいいんだが)
 一般的にはガラクタ同然のおんぼろギアだが、虻八にしてみれば、手のかかる可愛い子どものようなものだ。
 いつまでもいかさまの道具に使われ続けるのは、不憫でならない。
(いかさまはったりを、今更どうこう言うつもりはねぇが……しっくりはこねぇやな)
 地下のいかさま賭博のからくりは知っているし、それを糾弾しようとは思わない。
 そんなことをすれば命がいくつあっても足りない上、それに関わる連中が持ち込む仕事で、自分の生活費を稼いでいる身だ。人のことを言えたものではない。
(だが、まあ……たまには真っ当なことがありゃいいと思っちまう)
 メガロボクサー達にとってギアはただの道具に過ぎないかもしれないが、虻八にはネジひとつとっても、愛着のある代物だ。
 それを無造作に扱われて壊されるのは、仕方ないとはいえ憂うつな気分になることもある。
 いや、今日の憂うつは、やっと地下から解き放たれた男が、一時とはいえ舞い戻ってきたからだろうか。
 そう思い至って、感傷的な自分に苦笑いが漏れた。
「……ま、いいさ。今日の仕事にかかるとするかね」
 声に出して気持ちを切り替えた虻八は、工具を手に取り――


 ドサッとカウンターへ置かれたバッグに、眉をあげた。
 見覚えのある革のボストンバッグだが、蓋に描かれた文字は一部削りとられ、「J.D.」の形に変わっていた。
「JD?」
 つい呟くと、バッグの持ち主――ひょろりとした痩身の男はぶっきらぼうに、
「ジャンク・ドックだ」
 と告げて、険のある目を細めた。
「あんた、腕がいいんだってな。南部のおっさんから紹介されてきた。こいつのメンテを頼む」
「……ふむ」
 ではこいつが新しい片棒担ぎか、と虻八は眼鏡越しに目を細めた。
 先の持ち主とはずいぶん違う。
 背はそこそこだが、年若く、体も細く、それでいて眼光は妙に鋭い。地下で身を持ち崩し、何もかも諦めただらしない連中とは異なる、野生の獣じみた気配がにじみ出ているような、若々しく荒っぽい雰囲気だ。
 ジャンク・ドックというのは本名ではなくリングネームだろうが、目の前の男に誂えたようにぴったりな名前だと感じる。
(……なるほど。こいつぁ、しつけがいるわけだ)
 数多くメガロボクサーを目にしてきた虻八から見ても、確かに将来有望のように思えるし、一方で扱いが非常に難しいとも感じる。思わずまじまじ見つめていたら、男が眉根をひそめた。
「何だよ、じろじろと。金ならあるぜ」
「……いや、何でもねぇよ。そうだな、とりあえず様子を見させてもらうから、その辺で適当に待っててくれ」
「ああ」
 ぎし、と小さくきしませてソファに座った男は、リモコンを見つけてテレビをつけた。
 どかっとテーブルに足を乗せるふてぶてしさは絵に描いたようなバッドボーイで、何とはなしに微笑を誘われる。
(さて、こいつはどこまでやれるもんかね)
 新しい奴がリングに上がるたびに思い、やがて破り捨てられる期待を性懲りもなくいだきながら、虻八は暖簾をくぐり、工房へ足を踏み入れる。
 そして作業台の上に取り出したバッグの中身を広げて、
(なぁおい、今度は真っ当なご主人様だといいな)
 古なじみのギアを励ますように、オレンジのボックスを軽く叩くのだった。