faith founded

 古びたステンドグラスから柔らかな光が降り注ぎ、十字架にかけられた主や、説教台や、整然と並ぶ木製のベンチが照らし出される。
 ……その光景を、自分はもう目にすることができない。
 視力を失って訪れた教会は、もしかしたら以前とは異なる姿になっているのかもしれないが、足を踏み入れた時鼻をくすぐる、独特な香の匂いは変わりなかった。
 南部は杖と手探りと、かつての記憶を頼りに歩を進め、行き当たった椅子の背もたれをたぐって、よっこいせと腰を下ろした。
 ふー、と大きく息をついたのは疲労のためではなく、ここにくるまでに心の準備が必要だったからだ。
(いつぶりだろうな。教会に来たのは)
 思い返せば、アラガキの帰還を願って日参していた記憶がよみがえる。あの頃はまだ、真面目に日曜礼拝へ通う全うな信者だったな、と苦笑した時、
「……おや。お久しぶりですね、南部さん」
 ふっと声をかけられた。咄嗟に振り返っても相手の姿は見えないが、その声は馴染み深い。
「司祭様。……へへっ、ご無沙汰しております」
 常に穏やかな微笑を浮かべて朗々と聖書を読み上げる姿を思い出しながら、挨拶をする。
 す、と僅かに息を飲む気配が伝わってきたのは、眼帯をしていないもう片方の目が、包帯に覆われているのを見たからだろう。だが多くの信者を導いてきた司祭はすぐに気配を整え、
「……そうですね。長くいらっしゃらないので、気にかけていましたが。どうやら色々とご苦労をされたようですね」
 心からの労りのこもった言葉を差し出してきたので、つい頭をかく。
 久方ぶりにやってきた信徒が両目を失っているのを見れば、驚くのも当然だ。だがそんな反応にはもう馴れた。
「なぁに、ヘマを重ねただけですよ。確かに色々あって、こっちに足を向けちゃいませんでしたがね」
「ええ、長く礼拝をさぼっていたのですから、これからは足しげく通っていただきたいものです」
 そらきた、さっそく説教だと、思わず首を竦める。
 柔らかな物腰でも司祭は存外押しが強く、昔から口うるさく叱られたものだ。
(まるで先生と生徒みてぇだ)
 いくつになっても頭があがらないものだと実感していると、足音がして、杖を握る手に司祭の手が重なった。以前よりも肉がそげおちて骨ばった感触にどきりとした時、
「――十字架コンボスキニオンはどうされました。いつも持っていらしたのに」
 責めるのではなく、ただ確認するようにさりげなく問いかけてくる。ここにいる時は、すがるように握り込んでいたのを、思い出したのだろう。また、気まずく笑う。
「……なくしちまいました。神様なんて頼れねぇと、ちっとばかし自棄になりまして。そいつを反省して、こうしてのこのこ面を見せに来た次第です」
 全てが終わって落ち着いてから、あの駐車場に戻って探そうかと何度か思ったが、この目では無理だし、ジョー達の手を煩わすのも気が引けた。
 せめて教会に懺悔しようかと来てみたものの、不信心の証を突っ込まれると居たたまれない。また叱られるかと身構えたが、
「……良い顔になりましたね、南部さん」
 返ってきたのは思いがけず優しい言葉だった。
「何があったのかお聞きはしませんが、あなたの人生が良い方向へ向かっているのは、顔を見れば分かります。私はそれを何よりも嬉しく思いますよ」
 そしてぐっと力強く、手を握ってくれる。
「……ええ、その通りです」
 昔と変わらない強さに、熱いものがこみあげてきて、声を詰まらせる。
 ここに来るのはいつも苦しい時ばかりだったが、今は、
「今は、幸せですよ。一日一日を大事に、噛み締めて生きてます」
 そう答えられることが、嬉しかった。ふ、と互いに笑みを交わした時、
「……おっちゃん? いるか?」
「サチオ」
 ぎいい、と音を立てて扉が開き、サチオの声がおそるおそる入ってくる。
「どうやら、お迎えのようですね」
 察した司祭が立ち上がるのに手を貸してくれる。それに頼って腰を上げてから、深々と頭を下げた。
「どうもお邪魔しました。また今度、ゆっくりよらせてもらいますよ。数年分の説教を聞きに来なきゃなりませんからね」
 すると司祭は豊かな笑い声をあげて、
「どうぞどうぞ。教会の扉はいつでも、誰にでも開かれていますよ」
 その許しを背に、駆け寄ってきたサチオと手を繋いで、神聖なる場所を後にする。何年も胸に残っていたしこりは今、ようやく綺麗に消え去った気がした。