ドレスアップ・ドール

 ――ひとくちにヘッドドレスと申しましても、とコンシェルジュは穏やかに口を開いた。
「定番のティアラを始めとして、ハットやサイドコーム、コサージュと種類は様々です。
 ここにご用意したものの他にも、こちらのカタログからお選びいただけるもので百数点ございます。
 ベールとの組合せも見るのであれば、まずドレスをお決めになってから、合わせられた方がよろしいかと存じます」
「そうだな……俺は疎いので、何が良いのか分からないが」
 そう言いながら、勇利はテーブルの上に並べられた華やかな頭飾りのうち、やたら大ぶりな花細工のものを示す。
「こういったものは恐らく、本人も好まないだろう。彼女はシンプルなものを選ぶ傾向がある」
「そうですね。奥様はお顔も小さくていらっしゃるので、ヘッドドレスが大きすぎると、アンバランスに見える可能性が――」
 と語っていたところで、不意に、
『……あっお客様、お待ちください……』
『廊下を走っては……!』
 クラシックの流れる静かな個室、その奥からばたばたばた、と忙しない足音が聞こえてきたかと思うと、
「勇利ーーーー!! あんたどんだけの服、着させるつもりなんだよ!?」
 ばたーん! と厚い扉が乱暴に開け放たれ、その向こうでシャルが、顔を真っ赤にして息を切らしていた。
 車椅子を少し動かして向き直った勇利は、ふっと目を細める。
「……ああ、まずはそれか。最初に動きやすいものを選んだのは、失敗だったな」
 そう告げたのは、シャルがいつものパーカーにスウェットという格好ではなく――贅沢にレースを施した、膝丈のドレスに身を包んでいたからだ。
 素人目に見ても精緻な刺繍は、店の売り文句通り、職人の技が光る逸品のようだ。
 が、いかんせん、後ろのファスナーをきちんと上げていないのか、脱げかけて右肩がなかば出ているし、すらりと伸びた足先は裸足。
 せっかくの装いが台無しだ。
「失敗で悪かったな、こんなの似合うわけないだろ!?
 そんなの分かりきってるのに、なんだよあの服の山は!」
 怒り心頭といった様子でシャルが詰め寄ってきた。その背後では、追いかけてきた店員たちがおろおろしている。
 この有り様では相当な暴れっぷりを見せたのかもしれない、と勇利は苦笑した。
「特に希望はないから、俺が選んだのでいいと言ったのはお前だろう。一着目で音をあげてどうする」
「んなこといったって、候補だけで何十着もあるなんて聞いてない!! あれいちいち着替えるのだって大変だろ!」
「俺にはどれが良いのか分からないからな。
 お前が実際に着ているところを見なければ、判断できん」
「……あの、お客様」
 言い合いを見かねたのか、コンシェルジュが間に入ってきた。
「もしよろしければ、奥様の写真を撮らせていただいて、こちらでお召しかえイメージを見ていただく事も可能ですよ」
 さっと見せたタブレットには、モデルの女性が写っていた。
 その画面上で指を横に滑らせると、次々と異なるドレスに切り替わっていく。
 なるほど、確かにこれなら、イメージに合うものを探しやすいだろう。シャルも、
「それだ、それで」
 いい、と飛び付きかけたので、
「いや、せっかくだが遠慮する」
 勇利がすげなく却下した。途端、何でだよ!? と再び癇癪が弾けた。
「こっちの方が断然効率的だし、面倒なくていいだろっ」
「それはそうだが」
 勇利は落ち着き払って答えながら、手を伸ばした。
 細い肩からずり落ちかけた襟を引き上げて直し、にっと笑う。
「俺はお前が実際にドレスを着ているところを見たいんだ。
 ――さっき失敗と言ったのは、こうして暴れる隙を与えた事であって、ドレス自体は似合ってるぞ、シャル。
 このタイプは、足がいっそう綺麗に見えていいな」
「な……ん、がっ!」
 こちらの言葉にシャルが絶句し、みるみるうちに赤くなる。
 ハラハラ見守っていた店員たちも、ほぅ……とため息を漏らしているところを見ると、的を射た発言だったようだ。
(俺が希望を伝えると、シャルは聞かざるを得ないらしい)
 こうして素直に告げると大体、言葉につまった後に従うから、扱いもだいぶ慣れてきた。
 勇利は体を横にずらし、後方の店員たちへ、
「――彼女も納得したようなので、引き続き頼む」
 と声をかけた。
「……はっ、はい、かしこまりました!」
「さ、ではこちらへ、お客様……」
「う……ううっ……」
 借りてきた猫のようにおとなしくなったシャルは、我に返った店員二人に連れられて、試着室へ戻っていく。
 ぎっ、と車椅子を戻した勇利は、コンシェルジュに軽く頭を下げた。
「騒々しくてすまない。彼女はこういった事に不慣れで」
「――いえ、とんでもありません」
 今のはかなり驚かせたはずだが、おくびにも出さず、年配の女性はおっとり微笑んだ。
「ご夫婦仲がよろしくて素敵ですね。
 こういった場合、女性主導で男性の方は任せきりの方が多いものですから、旦那様がこれほど積極的なのは珍しいですよ」
 そういうものか、と思いつつ納得する。
 もし相手が普通の女性なら、門外漢の自分は口出しせず、全て委ねていただろう。
 だが、
「――妻は、自分から着飾る事があまりないので。結婚式くらいは、普段と違う装いをするのもいいと思う」
 そう言うと、コンシェルジュは心得顔で頷く。
「一生に一度の事ですし、様々なお姿を見てみたいというお気持ちも分かります。
 では、いま選んでいただいているドレスと、奥様のお好みを加味して、小物類を少し絞りこみましょうか」
「ああ、頼む」
 プロがサポートしてくれるのは助かる、と思いながら、勇利はふと妙な感覚に陥った。
 以前もこうして、誰か玄人の手を借りて、買い物をしたような気がする――
(……ああ。ゆき子さんにスーツを贈られた時か)

 遠い記憶が甦る。
 あれはまだ、自分がゆき子と出会って間もない頃。チャンプでも何でもなかった時の事だ。
 公の場へ出るにあたり、勇利がスーツを持っていないと知った彼女に、オーダーメイド店へ強引に連れていかれた。
 客が自分一人しかいないのに、だだっ広い個室に通され、老齢のテーラーに採寸やスーツの好み――生地は、スーツモデルは、ボタンは、裏地は、靴もそろえてと色々質問された。
 ボタン一つをとっても何が好みかなど分からず、勇利はただただ困惑して、よく分からないとしか答えられなかった。
 だが、その代わりというようにゆき子がてきぱきと数多くの布や素材から選び出し、ああでもない、こうでもないと始めてしまったので、いよいよ混乱してしまった。
 しかも、気の遠くなるような時間をかけてようやくオーダーが終わり、これで解放されると思ったら、ゆき子が二着目の相談をし始めたのだから堪らない。
『もうこれで構いませんから、ゆき子さん……』
 自身のポケットマネーで支払うと譲らないのも相まって、勘弁してほしいと音を上げたら、
『あら、まだ一着目じゃない。お兄様は一度に十着は作ったわよ。
 勇利は白都の未来なんだから、ちゃんとした格好をしなきゃ駄目よ!』
 まだあどけない少女は感情豊かに笑って、その後もずいぶん長い事、着せ替えを存分に楽しんでいた――

(……あの時の気持ちが、ようやくわかった気がするな)
 勇利は小さく笑った。
 なるほど、ふだん服に頓着しない相手を着飾る楽しみというのは、こういうものなのか。
(であれば、まだしばらく付き合ってもらうぞ、シャル)
 彼女が次に爆発するのは、五着目くらいだろうか。
 その時に備えてまた、骨抜きにする言葉を考えておこうと企みながら、勇利は上機嫌で、コンシェルジュとの相談を続けるのだった。