頭上から降り注ぐシャワーを、コックをひねって止める。流れ落ちる水滴を払う為に頭を振れば、周囲へ雨滴のように飛び散った。
「…………」
全身から滑り落ちていく水を感じながら、しばし硬直――そして、ため息。
汗を洗い流して、すっきりしたはずなのに、顔の火照りは増していく一方だ。
ごし、と頬をこすって、キャットはマジかよ、と小さく呟いてしまった。
ここに来るのは四度目、と律儀に数えてるのは、勇利の家の敷居をまたぐのが、いつも特別なことだからだ。
しかも前回――三回目の時、セ……をしたのだから、緊張して当たり前じゃないか。
(また泊まるってことは、なんかあの……き、期待してるのが丸出しで、なんか……)
恥ずかしい。そもそも何でシャワーを浴びているのかといえば、
(そういう感じになって、汗だくなのやだったから、なんだよな……)
今日はひと際暑かったせいか、ここに来た時点でやたら汗をかいていた。
しばらくしたら落ち着いたものの、何気ない拍子にふと空気が変わって、間近に勇利を感じた瞬間――自分の匂いが気になって、とっさにシャワーを借りたいと言ってしまったのだ。
(勇利ん家の風呂借りるとか、ほんとなんだよこれ……夢か)
しかも自分のところとは違う、だだっぴろい浴場とガラス張りのシャワールームとか何だこれ。豪華か、セレブか、セレブだった。
(とにかく……戻ったら、その……する、訳だし)
せめて見苦しくないようにと服を整え、髪を乾かし、恐る恐る廊下を歩いた。
扉を開けた先、居間に勇利の姿はない。
(って事は)
視線をやった寝室の入り口は開いていて、ぼんやりと明かりが漏れている。
(……いや、まぁ、そっちにいるのが自然だよな)
そう思えど、ごくっと唾を飲んでしまう。
何となく足音をひそめて近づいて覗きこめば、ベッドの照明のそばに腰掛けた勇利が見えた。
(…………う~)
その姿を目にしただけで、いっそう動悸が激しくなって、逃げ出したくなる。一方で、
「……シャル」
ふっと視線をこちらへ向けた彼に呼ばれると、「……うん」と素直に答えて、ふらふらと引き寄せられてしまう。
ぽす、と少し間を置いて座る。その距離を、ちらっと見た勇利が気に掛けているように思えたのは、
(一回して、なんかちょっと、分かるようになった気がする……かも)
以前は、寡黙で何を考えているのか読み取れなかったのに。
今はちょっとした振る舞いで、感情が見えるように思える。
(勘違いかもしれないけど……勇利も、緊張してるっぽい)
表情も佇まいも普段と変わらないようなのに、張り詰めている気配を感じる。のは、ジムで彼も動揺している証拠に触れたからか。
(……勇利も、こういうの、久しぶりなのかな。
それとも、自分が相手だからこうなのか)
興味がなかったから調べなかったのもあるが、チャンピオンたる勇利のスキャンダルは見た事がない。
とはいえ、これだけの人に全く女っ気が無かったとも思えない。
(まぁ……少なくとも童貞のするアレではなかったよな……っ!)
そこに思い至った途端、顔が火を噴く勢いで熱くなって、思わず俯いてしまった。
心臓がどきどきと強く脈打ち、せっかくシャワーを浴びたのに、じわっと汗がにじんでしまう。キャットはぎゅっと掛布を握りしめてから、
「あ、……あの、勇利。その……ちょ、っと、確認したい……んだけど」
意を決して、沈黙をたどたどしく破った。
ふ、と勇利がこちらを見る気配を感じながら、顔を向けられず、
「えっと……ま、前の時はなんというか、アレで、だからその……」
「何だ」
「いやえっと、だから……き、聞きにくい事聞くんだけど、あの、勇利、この間は、その。
…………き、きもちよかったのかなっておも、って」
沈黙。重たい。聞くんじゃなかったと思うくらい重たい。
(いや、でもさぁ! ほんとするのは、別にその、いいけど! 勇利が良くなかったら意味ないから、確認しときたくてさぁ!! 何言ってんだ自分!?)
誰に対する言い訳なのか自分でツッコんでしまうが、一度口にした問いはもう取り返せない。身の縮こまるような、指先まで熱くなるような静寂の後、
「…………なぜ、わざわざ聞く」
ようやく口を開いた勇利の声にはありありと、疲れの色があった。
ちらっと視線を向ければ、彼は目元に手を当て、頭痛をこらえるような格好をしている。
「い、や、だって、その」
今またするのであれば、出来るだけ勇利がいいようにしたい……というのはさすがに、はしたない気がする。そもそもそんなテクはないし。聞いた後の事を考えていなかった。
慌てて手を振りながら、
「じ、自分はこうだから……あの、む、胸もそうだけど、体小さくて何も、そもそも慣れてないし……勇利は勇利で、その……お、おおきいから、何というか、も、物足りなかったんじゃないかとおも……って」
「………………」
またも沈黙。けれど今度はそう長くなく、
「いつも思うが。お前は、自分を過小評価しすぎじゃないか」
ため息交じりに呟いた勇利の口元に、淡く微笑が浮かんだ。
すっと手を伸ばしてきて、こちらの顔を引き寄せる。鼻がぶつかりそうなほど覗き込み、
「……良くなければ、あんなに何度もしない」
まるで誰かに聞こえる事を避けるように小さな、本当に小さな声で囁きかけてきた、ので。
「っ~~~~~~~~~~~!」
今度こそ火を噴く! 絶対噴く、というくらい頭まで熱くなって絶句してしまった。
二の句を告げられずにいると、長い指がつっと顎を撫で上げてくる。
そして掌で頬を包み込み、
「俺の事ばかり言うが、お前はどうなんだ。……辛くはなかったか」
勇利が真顔で聞いてくる。
うっ、と息を飲んだキャットは、視線をさまよわせて言葉を探したが、
「……それは、あの……さ、最初はきつかった、けど……よ……よかっ、た、です……」
結局嘘もつけず、か細い声で正直な感想を答えてしまった。言った後あまりにも恥ずかしくて、
「こ、こんなの言わせるなよ勇利……」
思わず文句がついて出たが、
「お前が言い出したんだろう」
指摘されれば反論できない。そうだけど、と続けようとしたら、
「んっ」
開きかけた口がふさがれて、言葉は形にならないまま消えてしまい――そして、その日もつつがなく、夜を共に過ごすことになるのだった。
二回目の