彼は彼女の夢を見る

 ……私は森の中にいる。
 ……先は見通せない。薄暗い森の中、木の黒い影が揺れている。
 ……揺れているのは、木だけではない。木々の合間に、広場に、ぼんやりとたたずむ影がある。
 ……影は呼ぶ。私を呼ぶ。時に語り掛ける。叫ぶ。慈しみを囁く。助けを乞う。名を呼ぶ。名を呼ぶ。名を呼ぶ。
 ……泥の中を進むように歩みは遅い。それでも先に進むと、白い影が遠くに見えた。
 ……暗中の光のようだ。すがるように、重い足をひきずって追いかける。
 ……影は人間の子供。稚いまなざしでこちらを見上げ
 ……くちをひらいたとき、そのからだを、ほのおが ほのお、が

 は、と眠りから引き起こされて、混乱する。
 貨物室ではない。水の音。明るい。目を向けると、壁面に埋め込まれた水槽が映る。
(ああ。……ここか)
 それで理解して、傍らへ視線を動かす。そこにいるのは、この船の艦長――シェパード少佐。
 時計を見る限り、寝入ってから数時間は経ったらしい。眠りの底にいる人間は、だが安らかな寝顔とは言えない。眉間にしわを寄せ、体をこわばらせている。
(夢か。……少佐の夢か)
 先ほど見たビジョンが何であるかも理解する……いや、知っている。傷を舐めあうように褥を共にするようになってから、何度も共調して彼女の夢を共有している。
(であれば、おそらく。少佐もまた、私の悪夢を見ているだろう)
 帝国が滅びに瀕するサイクルの中、目にしたあの絶望的な光景は、夢となって彼の心を食い破り続けている。
 負け続ける戦。自我を失って敵の先兵となり、襲い掛かってくるかつての同胞。それらの一人一人の喉をかき切り、全身に同胞の血を浴びたあの悪夢を。
 双方向の意思伝達が可能になった彼女には、見えてしまっているだろう……今、彼が彼女の夢を見たように。
(私たちは、血にまみれている)
 彼はそれを、おそらく彼女の仲間の誰よりも知っている。彼女自身がそれを読まれることを拒まず、素直に開示してきたからだ。
 なぜ彼女がそうしたかはわからない。
 触れただけで心を読める彼は、その能力を持たないモノたちからすれば忌避すべき存在だろう。
 アサリはまだそれに近い能力を持っている。アサリなら、プロセアンの一端なりを理解できるだろう。
 だが、彼女は人間だ。
 前回のサイクルでリーパーの収穫を免れた原始種族は、今もって原始的で未発達。それゆえに、彼らは彼の異能力を必要以上に恐れた。
 それなのに、なぜか。
 彼女は拒まなかった。
 はじめこそ手探りでお互いの腹の内を探っていたが、過ちの一夜を過ごした後、素直になった。
(サイファーをもって、同調してしまったからか。私の過去を、己の過去を、わかちあったからか)
 酒で気が大きくなっていたゆえの愚挙だった。
 本来なら固く心を鎧う自身が、あきれるほど無防備に、己の胸の内を相手の中へ注ぎ込んだ。それは彼女も同じで、あの一晩だけで、互いのすべてを知ってしまった。
 以来、彼女は他のものには言えない弱音を吐くようになった。ぬくもりを求めて、彼を誘うようになった。
(拒むべきだった。人間と交わったところで、我が帝国の血を生み出せるはずもない。こんなものは、何の意味もないことだ)
 それがわかっていて、その手を振り払えなかった。
 彼もまた孤独で、ぬくもりを欲していた。
 この世にただ一人取り残された種族として、誰とも分かち合うことのできない孤独を抱えて死にそうだった。彼を支えていたのは復讐心。では復讐を遂げた時どうなるのか、無為と知りながら、考えただけで眠れなくなった。
 エコーシャードの中にはその答えはある。それがわかっていても、すでに失ったものを直視するのは耐えがたく、いっそう孤独を深めるばかりだった。
 だから、縋りつかれるのを致し方なしとかこつけて、彼はこの女を抱いて、悪夢を分かち合っている。
「……少佐」
 眠りを妨げるのを恐れ、小さくつぶやきながら手を伸ばす。
 力んでこわばる肩を包み、ゆっくり撫でる。肘までなでおろし、もう一度肩へ。何度か繰り返すと、次第に力が抜けて、苦しげだった表情も緩んだ。
(シェパード。このサイクルの私。すべての希望を背負うものよ)
 それがどれほど苦難と犠牲に満ちたものか知っている。せめて痛みを分かち合い、弱音を吐く夜を与えてやることしか、彼にできることはない。
 故にそっと身を寄せ、その頭を抱きかかえてやる。
 安堵するような溜息が胸をくすぐるのを感じながら、彼は目を閉じた。
 せめて次は、壮麗な帝国の夢を見よう。歯を食いしばり、前人未踏の地を進むこの女に、悪夢を忘れる美しいものを与えてやるために。