うちの人狼は愛されてます(血界戦線チェイン)
思いがけない騒動が持ち上がった結果、最大の功労者が最大の被害者になるのは、よくあることだ。
普段はトラブルメーカーのザップか、不幸体質らしいレオナルドがそれに該当するわけだが、今回は残念ながら違った。
「……よく寝てるなぁ。さすがのチェインも電池切れか」
さまざまな雑事を片付け、ようやく静寂を取り戻したライブラの事務所。
そのソファに腰掛けてコーヒーを飲むスティーブンは、自分の膝に頭を預けて熟睡している部下を見下ろし、小声でつぶやいた。
左様でございますね、と言いながらその体に毛布をかけるのは、ギルベルトだ。
「お戻りになった途端、そのままばったりでございました」
ソファで一服していたスティーブンの隣にやってきたと思ったら、すみません五分だけ充電しますと言ったきり、チェインは寝入ってしまった。
それだけなら別にいいのだが、最初ソファの背にもたれていたのが、こっくりするたびに段々ずれてきて、スティーブンの肩にどんと頭がぶつかった。
おっと、これはどうしたものかと考える間もなく、そのままずるずると膝まで落ちてきてしまったのだ。おかげでスティーブンは身動きできなくなってしまう。
「起こすのも忍びないが、僕の膝枕でいいのかね。寝苦しそうだけど」
今のところ急ぎの仕事はないので、枕になるのは別に構わない。
が、男の膝枕なんて固くて気持ちがいいものでもなかろう。
そう思ったのだが、ギルベルトは目を細めて、
「よろしいのではないでしょうか。人の体温を感じて眠ると、リラックスできるものです」
ふふ、と穏やかに笑って下がる。
そうかな、まぁそういうものかもしれない、と思い直して、スティーブンはカップに口をつけた。
「あのースティーブンさん……チェインさん、起きてます?」
レオナルドとツェッドが揃って顔を出したのは、チェインが寝始めて十分ほど経った頃だった。
「いや、まだだ。何だ、君ら帰ったんじゃないのか?」
小声で会話しながら疑問を投げかける。
今回は三日三晩に及ぶハードな任務だったので、参加メンバーは全員疲弊して帰宅の途についたはずだ。
当然レオナルドとツェッドも各々のねぐらに帰ったものと思っていたのだが、少年は大きなビニール袋を抱えているし、ツェッドもエアギルスをつけた外出仕様のままだ。
「そうですか。お腹がすいてるかと思って、レオ君とドーナツを買ってきたんですが」
よく寝てますね、とツェッドがチェインの寝顔を覗き込んでつぶやいた。
そういわれてみれば、レオナルドの持つ袋から、ほんのりと甘い香りが漂ってきている。
暇な時、事務所に集まったメンバーがよく食べているチェーン店のものだ。
「ああ、それならそこに置いておいてくれ。チェインが起きたら食べてもらうよ」
「はい。冷めちゃったら、ちょっとレンジであっためるといいらしいっす」
テーブルの上にそっと、ドーナツの袋が置かれる。スティーブンさん一個食べますかと勧められたが、笑って首を振った。
チェインの為に買ってきたものをつまみ食いするほど、ドーナツに目がないわけではない。
「じゃ、チェインさんにお疲れ様って伝えといてください」
「お先に失礼します」
「ああ、君らもご苦労様。ゆっくり休んでくれ」
ぺこぺこと頭を下げて出ていく二人をスティーブンは見送って、コーヒーを飲む。だいぶぬるい。
「……あんた何してんのよ、セクハラ上司」
「K・K……来るなりそれはないんじゃないか」
片目を半眼にして唸る女ガンマンの殺気に、スティーブンは顔をひきつらせた。この態勢は僕がさせたわけじゃない、と経緯を急いで説明するが、K・Kの不機嫌はおさまらない。
「女侍らせて悦に入るとかほんっとこの男ろくでもないわー最低最悪だわーいっそもげろ」
「いや本気で怖いからそういう罵倒やめてくれるかい……」
結婚して多少角が取れたとはいえ、K・Kの舌鋒は相変わらず鋭い。ライブラの古参メンバーの中でも、この女性に対してはいつまで経っても頭が上がらないなぁと思いながら、
「払いのけて起こすのも可哀そうだろう。心配しなくても何もしないから安心してくれ、K・K。
……ところで、君ももう帰ったのかと思ったけど、忘れものかい」
なだめる言葉をかけても相手は険相になっていくばかりなので、話の矛先を変えてみた。
すると眉間にしわを寄せたまま、カツカツ靴音を立てて入ってきたK・Kは、スターバックスの紙袋を置いた。
「チェインにコーヒー買ってきたのよ。一緒に飲もうかと思ったけど……今は無理みたいね」
件の彼女はいまだ、夢の中だ。スティーブンもK・Kも声を抑えているとはいえ、これだけ会話しているのに目を覚まさないのは、よっぽど疲れてるのだろう。
「本当はこの駄目男に預けてなんて行きたくないけど、今日は家族サービスする予定だから、これで帰るわ。
ギルベルトさん、スカーフェイスが悪さしないように、ちゃんと見張っておいてね!」
「だから悪さなんてしないって……」
不満顔で、部屋に控える執事に注意を促すK・Kを、スティーブンは苦笑しながら見送った。
ばいばい、と手を振ったら中指立てられたのは、よほどチェインが心配だからなのだろう。
(この状況で一体何をどうしろって言うのかな……)
いくらなんでも仕事場で、部下に手を出すほど飢えていないのだが。
そう思いながらまた一口、コーヒーを飲む。
……目の前に置かれたスタバの袋から漂うアロマが恋しく思えるほど、ぬるい。そろそろ新しいのを入れたいが、動けないなぁ。
「……スティーブン、チェインの様子はどうだね」
「クラウス。まだ寝てるよ」
カップが空になった頃、リーダーが執務室に戻ってきた。ソファの背からぬっと覗き込んできたので、圧があるなぁとスティーブンは若干身を引いてしまった。
チェインは良い夢でも見ているのか、うっすら微笑んで熟睡している。
「そうか。では目が覚めたら、これを渡してもらえるだろうか」
そういってクラウスが差し出してきたのは、小さな瓶だった。
固く栓をした瓶の中には、渇いた細長い茶葉らしきものが入っている。
「これは何だい、クラウス」
紅茶も飲むが、あいにく茶葉には詳しくない。受け取りながら尋ねると、クラウスは犬歯の生えた口元を笑みの形にして、
「ローズマリーのハーブティーだ。飲み口爽やかで、疲労回復に役立つ。今回はチェインに多大な苦労をかけてしまったからな。それで少しでも、疲れを癒してほしいのだ」
「君のお手製ハーブか。それは効きそうだな」
グリーンフィンガーの異名をとるクラウスは、観葉植物のみならず、ハーブも育てている。
スティーブンはハーブティーの良さがちっともわからないが、女性はこういったものをたいそう好む。
「わかった、渡しておくよ。きっとチェインも喜ぶだろう」
そう答えると、クラウスはとても満足そうにうなずき、そのままそっと立ち去った。
見上げるような巨漢が背を丸め、音を立てないように歩いていくのを見て、スティーブンは危うく吹き出しそうになる。
「君も体を休めろよ、クラウス」
チェインが危険にさらされ、胃に穴が空きそうなくらい心配していたクラウスもまた、休息をとるべきだ。その背に声をかけて、スティーブンは手を伸ばし、小瓶をテーブルの上に置いた。
そしてあらためて、テーブルに並んだ品を順繰りに見やる。
一人ではとても食べきれなさそうなくらいのドーナツの袋。チェインが好む味をきっちりオーダーしたであろうスタバの袋。クラウスが手ずから育てたハーブティーの小瓶。
(……こういうのは、悪くないな。仲間、って感じだ)
ギルベルトがかけた毛布越しにチェインの肩にそっと手を置き、スティーブンはふと顔を緩めた。
誰が号令したわけでもなく、チェインをいたわる気持ちが様々な形をとって集まってくるのを見ていると、日々の激務に荒んだ気持ちが和んでくるようだ。
(さて、俺はどうやってチェインをねぎらってあげようか)
今のこの態勢こそチェインにとって大きなご褒美になるとは気づきもしないまま、スティーブンは女性が喜びそうな、かつ皆と被らなさそうな差し入れが無いかと考え始めた。
空のコーヒーカップはソファの肘置きにおかれ、空いた手は、軽く上下するチェインの肩に優しく触れている。
おまけ。
「すっ、すみませんっ、まさかあのっ、ひざっ、膝枕をさせてたなんて……!!」
「気にしなくていいよ、チェイン。よく眠れたかい?」
「は、はい、それはもう……」
「ならよかった。もう帰っても大丈夫だから、家でゆっくり休むといい。ああ、そこにあるのは皆からの差し入れだから、持って帰っていいよ」
「差し入れって、こんなにたくさん……。……あの、スティーブンさん」
「ん?」
「ちょっとお聞きしたいんですが。……あそこで凍ってる猿は、何したんですか?」
「ああ。あいつは、寝てる君にいたずら書きしようとしたから、ちょっとお仕置きをね」
「……ペンとってきていいですか。額にF○ckMEって書いておきます」
「どうぞ、ご自由に」
ザップは素直に労わらない気がした(笑)