続・悪い男(血界戦線スティーブン←チェイン)

「……お、ボル・ダムがあるのか。意外と品揃えがいいね」 「ボル・ダム?」 「スペインのビール。結構うまいから、おすすめだよ。飲んでみるかい」 「はい、スティーブンさんのおすすめならぜひ」  そんな会話を交わした後、薄い琥珀色のビールで乾杯して、チェインはグラスに口をつけた。  ん、と少し眉根を寄せたのは、思ったよりも強めのアルコールと麦芽の香りが舌に触れたからだ。  普段ビールはそれほど飲まないので面食らったが、喉元を過ぎるころにはその味わいが口の中に広がって、思わずため息をつきたくなるほど美味しい。 「……っあぁー、喉がからからだったから染みるな。やっぱり美味い」  おすすめしてきたスティーブンはチェイン以上にこれが気に入ってるのか、ぐっと煽って、ひどく満足そうに大きな息を吐いた。  そんな様子も珍しくて、チェインは携帯のカメラを連射したい気持ちを抑え込み、落ち着きを装って笑いかけてみる。 「スティーブンさんがそんな風にお酒を飲むの、初めて見ました。お疲れですか」 「ん……そうだな。このところ徹夜が続いたからな」  あと彼女と会うのに忙しかったんですよね、とは言わないでおく。何で知ってんだって藪蛇だし。  口にチャックするチェインの心境など察しないまま、スティーブンはすらりとした足を組んで、のんびり言葉を継いだ。 「君も大変だったろう? 今回は特に潜入期間が長くて、だいぶ負担だったんじゃないか」 「いえ、大丈夫です」  自宅の方は全然大丈夫じゃないけど、それはいつもの事だ。  そうかい、とビールで口を湿らせて、スティーブンは背を丸め、足の上に頬杖をついた。 「いつも当然のように無茶ぶりしてるのを君はきちんと答えてくれるから、とても助かってるんだ。  普段なかなか礼を言えないけど、いつも有難いと思ってる」 「……っ、そ、そういっていただけるだけで、十分です」  グラスを持つ手が震えそうになって、慌てて両手で持ち直す。  嬉しい。仕事第一のスティーブンの期待に応えたくて、出会ってからこれまで懸命に任務をこなしてきた。  それをちゃんと評価してもらって、しかもこんな風に労わってもらえるなんて、嬉しいという言葉じゃ足りないくらい、嬉しい。胸がいっぱいになって、スティーブンの言葉を噛みしめていたら、ぽん、と頭の上に軽い重みを感じた。 (え?)  びくっとして顔を上げると、スティーブンがチェインの頭に手を乗せて微笑していた。なかば閉じた目の上に、ぱらり、と前髪が一筋落ちる。 「チェイン、君は本当によくやってくれてるよ。  ……ただ見てるだけなのがきつい時もあるだろうにね」 「!」  その言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられた。不意に目の奥が熱くなって、止めようもなく視界が揺らぐ。 「あっ……」  慌てて顔を伏せると、瞳から零れた涙が膝に落ちて砕け散る。 「ちが……す、すみま、せっ……」  こんな風に泣いたら、スティーブンを困らせる。そう思うのに涙が止まらなくて、チェインは顔を手で覆った。熱い塊が喉にこみ上げてきて、息がつけなくなる。  ――クラウスに映像を届けてくれ。奴ら本体は映らなくても、記録にはなる。  チェインがライブラに所属してから初めて遭遇した、長老級のブラッドブリード。  K・Kと共に地下鉄のホームへ向かいながら、スティーブンはいっそ気楽なまでの笑顔で、チェインにビデオカメラの撮影を命じた。死地に向かう人間の悲壮さなど、みじんも感じさせない様子で。  スティーブンにしてみれば、無論死ぬ気はなかったのだろう。いや、彼は信じていたのだろう。  BBを相手にどれだけ苦戦を強いられようと、エルダーズに届く唯一の牙――彼らのリーダー、クラウス・V・ラインヘルツが必ずやってくるのだと。  だから無数のグール相手にもひるむことなく、ブラッドブリードに指先で氷の蹴技をあしらわれても、その身を串刺しにされてつるされても、最後まで怯まなかった。  チェインも、気持ちは同じだ。誰よりも仲間の身を案じるクラウスは、万難を排して駆けつけて、完膚なきまでに敵を叩き潰すだろうと確信してはいた。  けれど、きっと自分が一番、彼の到着を切実に待ち焦がれていた。  存在を希釈し、敵に気取られないよう気配を消して映像を記録する。それは今後のBB対策の為に重要な役割だし、不可視の人狼たる自分にしか出来ない事だ。  分かっている。  理性では分かっていた。  それでも、目の前で仲間が、K・Kが、スティーブンが、まるでおもちゃか何かのように嬲り殺しにされるのを黙って見ているしかないというのは、きつい状況だった。  カメラの本体がきしむほど握りしめて、噛みしめた唇から血がこぼれ、今にも飛び出していきそうな足をその場にとどめるので精いっぱいだった。 (私に、力があれば)  ブラッドブリードを圧倒できるほどの力があれば。  せめて、二人を援護出来るだけの力があれば。  あの時ほどそう願った時はない。あともう少しクラウスの到着が遅れていたら、あるいは自分もまた、無謀な突進をしていたかもしれない。  けれど、歯を食いしばってその場にとどまり続けた。だから、それだから、 「……いつもありがとう、チェイン。君は何よりも得難い、大切な仲間だよ」  今こうして、スティーブンが彼女に優しく囁いて、子供をあやすように柔らかい手つきで頭を撫でてくれている。  次々と涙がこぼれて顔を上げられないまま、チェインはぶんぶんと首を横に振った。スティーブンのぬくもりを、優しさを感じながら、強く強く思う。 (私は、ただ。ただ、あなたの力になりたい。あなたの役に立ちたいだけです)  それが今の私の存在価値なのだからと。  決して吐露出来ない思いを胸に深く刻み付けながら、チェインは子供のように泣き続けた。そしてスティーブンはそんな彼女に何も言わず、ただ優しく頭を撫で続けてくれたのだった。 BB戦のチェインは色々辛かっただろうし、スティーブンはそれを察してもいただろうなということで。 酒飲みだけどビールはあんまり好きじゃない、的な女子っぽい感じだとチェイン可愛いなーと思ったので、ちょっとねつ造してます。まぁ酒飲みだけどw