美しい夢の話1(Fate/GrandOrder ロマニ×女主)

 ――それは夢の話。悪夢の最後に見た、美しい御伽話。 * * * 「あっ、待ってくれ。立香ちゃん、ちょっとヘルスチェックさせてくれるかな」 「え?」  Dr.ロマンにそう呼びかけられたのは、初ミッションを終えた直後の事だった。  何とか冬木から無事に戻ってきて、ひとまず休息をとマイルームへ向かいかけた足を止めて振り返ると、ふわふわのドクターは心配そうに眉根を寄せている。 「一応帰還直後の数値チェックはしたけど、念のため、直接診ておきたいんだ。  サーヴァント契約にしろレイシフトにしろ、君にとっては何もかも初めての事ばかりだ。心身ともに負担が相当なものだったろう?」 「それは……いえ、大丈夫だよドクター。  確かに疲れてはいるけど、寝ればどうにかなるんじゃないかな」  そういってかぶりを振ったものの、とことこ歩み寄ってきたマシュがこちらの顔を覗き込んで、表情を曇らせた。 「マスター、休息をとるのは当然として、先にドクターに診てもらって下さい。顔色が良くありません。  私はデミサーヴァントだから問題ありませんが、あなたは普通の人間なのですから、念には念を入れるべきです」 「う……」  真摯な眼差しを向けられては、それ以上抗弁しようもない。チェックなんて必要ないと思っているけれど、マシュが心配するのならしょうがないなぁ、と頭をかく。 「よし、それならすぐ行こう。診察室はこっちだよ」  こちらが了解したと理解してぱっと顔を輝かせるロマン。その表情が何ともふやけて見えたから、 「いくら若い女の子に飢えてるからって診察にかこつけて変な事しないでね、Dr.ロマン」  ついからかったら、そんな事しませんよ!!!? と慌てふためいて力いっぱい否定されたので、思わず笑いだしてしまった。  ――その笑いも、診察室のドアをくぐって、ドクターと二人だけになったら、引っこんでしまったけれど。 「ええと、まずそこの椅子に座って……えっ!?」  先に入ったロマンがさし示した丸椅子。そこに腰掛けるだけの簡単な動作が、出来なかった。  突然がくがくと足が震えだしたかと思うと、大きな音を立てて崩れ落ちてしまった。ぎょっとして駆け寄ってきたドクターに、 (大丈夫、ちょっと力が抜けただけ)  と笑いかけようとして、けれど声が出ない。体中が震えだし、視界が歪み、喉の奥から熱い塊がこみあげてくる。 「急にどうしたんだ!? どこか怪我をしてるのか、呪いでもかけられたのか、痛むところはあるかい!?」  床に突っ伏しそうになった私を抱きとめて、ドクターが懸命に声をかけてくる。 (大丈夫。大丈夫。なんともない。どこも怪我なんてしてない)  言葉は空しく頭の中でぐるぐる回るだけで、少しも形にならない。大きく首を振り、ドクターの白衣にしがみついて、かろうじて囁く。 「……ち、が……、ちがう……ら」 「えっ、何? 違うって何が!?」 「……ら、ドク……少し、この、まま……」  少しだけこのままでいさせてほしい。その希望だけは何とか伝わったのか、おろおろしながらもロマニは私の体を支えてその場に腰を落とした。  その腕に、胸にすがりつくようにして、私は突然沸き起こった体の異変に耐えた。  めちゃくちゃに跳ねる心臓の鼓動を少しずつ落ち着かせ、切れ切れの息を整え、目に浮かんだ涙を白衣に押し付けて、躊躇いがちにつかず離れずの距離をとるドクターの温もりにしがみついて。  そうして、五分ほども経ったくらいだろうか。 「……ごめんなさい……ドクター。もう、平気です」  ようやくまともに話せるほどに回復した私は、すいと体を起こしてドクターに笑いかけた。  でもきっとその笑顔がみっともなかったのだろう、ロマニは真剣な表情でこちらを見つめ、 「平気なんてことあるもんか、君いま真っ青になってるぞ。軽く診るだけのつもりだったけど、メンタルヘルスも含めて全面的にチェックする必要があるな」 「……そんなのは、いらないよ。本当に、問題ないから」 「今の状態を見せられて、そんな言葉を信じられると思うのかい? ああもしかして、こんな姿みっともないと思ってるとか?」  強情を張ってると思ったのか、今度は眉を吊り上げるドクター。こちらの両肩に手を置いて、真剣に言い募る。 「もしそうなら、それこそ恥ずかしい見栄だぞ。君は訓練のひとつもしてないただの一般人なんだ。  何の準備もなくレイシフトで戦場に跳ばされて、怪物はおろか、サーヴァントの相手までさせられた。  これで怯えない方がおかしい。もしボクが君の立場なら間違いなく、怖気づいて逃げ出して、特異点であっさり死んでいただろうさ。  それと比べれば、君は勇敢だ。それに幸運だ。  あの状況から無事に生きて帰ってきた。そして次の戦いに出向く決意もしてくれた。  それで十分で、それ以上の見栄を張る必要はないんだよ。怖いなら怖いと、素直に言って――」 「ち、が……ちがうの、ドクター」  まっすぐに語られる言葉は優しくしみいるようで、それでいて的外れだ。私はくすんと鼻をすすって、ぎこちなく唇の端を上げた。 「……見栄を、張ってるわけじゃないの。確かに、色々と怖かったけど」  何も分からないまま、突然多くの人の命が失われ、自分も命がけの戦いに放り込まれ、これまで使われたことのない魔術回路から魔力を吸い上げられる、未知の感覚に襲われて、混乱を来たしたのは確かだけれど。 「……だけど、マシュが。あの子が、私よりもずっと、怖がっているのに、一生懸命、守ってくれたから」  出会ったばかりで良く知らない。年はそう変わらないだろうに不思議と落ち着いた、あまり表情の変わらない、華奢で普通の、逆上がりさえ出来ないという少女が、自ら盾となって私を守ってくれた。  セイバーの、肌を焼く聖剣の光さえ防ぐ、あのほっそりとした背中を思い返してみて――思ったのだ。 (私は、マスターにならなければ)  自分には何もない、膨大な魔力も、数多の戦闘経験も、賢者の知恵も、何もないけれど。  あの時、マシュが全身全霊を持って命を守ってくれた事に報いるために、自分は彼女に相応しいマスターにならねばと思った。 (だから、弱気になっては駄目)  空元気でも前向きな言葉を吐き出せば、暗くなった彼女の表情がぱっと明るくなった。その笑顔はとても可愛らしくて、私もそれに励まされて、だから弱気になってはいけないと思ったのだ。 「……マシュは……マシュの、前では。こんなところ見せたくないから。ちょっと、我慢してただけ、なの」  私はただの人間で、サーヴァントの攻撃一つ受けただけで、きっとあっさり死んでしまう。  無理をしていたというのなら、確かにその通り。大丈夫でも、平気でも何でもない。  それでも普通の顔をして、マシュを安心させるために明るく笑って、冗談を口にして、次のオーダーに向かおう、そう思ってた。思っていたのに、 「マシュに、みられないと思ったら、急に、力が抜けちゃった……」  どうせ倒れるならマイルームで、誰にも知られないようにと考えていたのに。これは確かに見栄だ。確かに恥ずかしい。 「ごめんなさい、ドクター。確かに私、ヘルスチェックを……!?」  してもらった方がいいみたい、と言いかけた時、急に視界が暗くなった。ぎょっとしたのもつかの間、後頭部に回された手で、顔をドクターの肩に埋めてる事に気づく。 「ど、ドクター? どう……したの?」 「うん。うん、そうだな。健康診断はするとして、君がもう少し落ち着くまで、こうしてるよ」 「ドクター……」 「未来は焼却されたとレフは言っていた。君は人類最後のマスターで、とはいえごく普通の人間でしかない。味方は少なく、カルデアも瀕死の状態、外は死の世界で、事態は絶望的だ」  柔らかい声が、触れた肩の内側からも響く。とく、とくと聞こえる鼓動の音はゆりかごのように優しく、張り詰めた気が緩んでいく。 「これから先、君はきっと過酷な戦いの連鎖に巻き込まれる。その中でマスターとして生き抜いていかなければならない運命だ」  手が髪を優しく撫でる感覚がして、ロマニの声が耳元で囁く。 「……でも、君がマスターになってくれてよかった。こんな状況だっていうのに、マシュの事をそんなに気遣ってくれてありがとう。  約束するよ。マシュだけじゃなく、ボクやレオナルドやスタッフは全力で君を支える。  だから君は、普通の君のままでいてくれ」  そして急にばっと離れると、私をぐいっと立たせて、椅子に座らせた。ドクターはへらへらっと気の抜けた顔で笑いながら、 「そんなに気を張り詰めたままではいつか君も参ってしまう。  マシュに見せたくないというのなら、ここに来た時だけでもいいから、辛い気持ちを吐き出していいよ。心にしろ体にしろ、傷を負ったのなら治すのが、ボクの本当の仕事だからね」 「…………」  確かに、その通りだ。ロマニは医者なのだから、それは理に叶ってる。  恐怖にわなないた心はとうに凪いで、そんな事を冷静に思った。思った事に、何だかおかしくなって、 「……守秘義務は守ってね、ドクター。そのおしゃべりでつるっとマシュに口滑らせないでね」  目の端を拭いながらそんな憎まれ口を叩いたら、そんな事はしないぞう! これでも一流なんだからね! とロマニが胸を張ったので、また笑い出してしまった。  それはさっきのから笑いとは全然違う、気の抜けた、自然に沸き起こったおかしさだった。 * * *  ごめんよ、と一人の部屋で呟く。  彼女の姿を思い返せば、自然と謝罪の言葉が口を突いて出た。  けれど自分の中にあるのは謝罪の気持ちではなく、ただの機械的なそれに近い感覚。  彼女は普通の人間で、魔術師ですらなく、特別な訓練を受けてもいない。  そんな少女が立ち向かうには、この困難は絶望的に過ぎる。恐怖に打ちのめされ狂ったり、逃げ出してしまっても仕方ないだろう。  それでも彼女は、ただ一人残った人間で、彼女以外にこの状況に抗える人間はいない。  であれば、自分は彼女を矢面に立たせる。彼女がいくら嫌だと泣き叫んでも、しばりつけてでも前線へ向かわせる。  なぜならこの苦境こそ、彼が待ち続けていたもの。  漠然と予感し、常に彼を狂騒に近い『準備』に駆り立てていたものだからだ。  だからごめんよ、と伝えられない言葉を口にする。  ボクは君を、人類最後の道具として使う。君の意思も、マシュの決意も、何もかも関係なく、使わせてもらう。そうしなければ、世界は滅んでしまうから。 (……小さかったな)  ふと自分の手を見下ろし、そこに残る少女の温もりを想起する。  崩れ落ちた小さな体は小鳥のように震え、冷たく、怯えていた。  その両肩に背負うには、世界の命運は大きすぎる。そう思うと哀れなように思えて、目を閉じた。  瞼を下せば何も見えない暗闇に覆われる、毎夜感じるその幸福は、しかし今日は少しだけ減じているようで、何となく気持ちが落ち着かない。  何にしてもオーダーは始まったばかりだ。これからがこれまでの十年の集大成になるのだ。自分も気合を入れて望まなければ。  ロマニはうっそりと寝返りを打ち、しかし胸にわだかまる正体の知れない重みに、ひっそりとため息を漏らした。 最終章が辛すぎて……ぐうう。続きをかければいいなーと思ってますがひとまずここまで。