「AAALaLaLaLaLaie!!」
王の胴間声をかけ声として戦車が駆け抜け、抵抗の間さえ与えず、地に充満するおぞましい魔物どもを巨大な車輪で轢殺していく。挽きつぶされるごとに飛び散る肉と血は、あっという間に下水管の狭い空間をどす黒く毒々しい霧で埋め尽くした。
「正しく当たりだな。貴様もなかなかやるではないか」
王の後ろに控え、引き裂かれ虫の息で身もだえする使い魔の群れを見送りながら、シャムスは晴れやかな気持ちで少年を労った。
非力で何とも頼りないと思っていたマスターは、意外にも易々とキャスターの工房を突き止めてみせた。本人はこんなものは下策にすぎないとなにやら不満そうだったが、手段がどうあれ、こうして結果に結びついたのなら、王よりお褒めの言葉を賜るのも当然の事である。
「別に、このくらい大した事じゃないさ」
挽き潰される魔物の悲鳴に怖じていたのもつかの間、長い通路を神威の車輪が駆け抜ける内に慣れてきたのか、少年は平素と変わらぬ声音でシャムスに応じる。
しかし言葉こそ素っ気ないが、その頬は紅潮し、ゆるみそうになるのを力を入れて堪えているような、何ともこそばゆい表情である。
(こ奴、あまり誉められ慣れていないのやもしれんな)
どんな顔をしていいのか分からない、という様子に、シャムスは微笑ましく思った。
初めは王に対して何と無礼な輩だと怒りを覚えたが、共に過ごしてみれば何という事はない、この少年は子供っぽい意地と見栄で、偉大なる王に噛みついているにすぎない。
王が彼を不遜であると咎め立てせず、自らのマスターとして認めて導こうとしているのも、その未熟さを理解しているからに違いない。
(少し、昔の私に似ている気がする)
魔術師工房について王に意見を陳情するマスターを眺めて、ふと思う。
かくいう自分もまだ兵士見習いだった頃。王のために早く力をつけたいと焦るあまり、周囲に迷惑をかけたり、当たり散らして叱られたりと、若気の至りとはいえ恥ずかしい事をいろいろしでかしていたのだ。
(なるほど、道理で放っておけぬ訳だ)
我が君に相応しくないマスターと初手から断じておきながら、シャムスがどうにもこの少年を見捨てておけないのは、少なからず共感を覚えているからなのだろう。
「おっ、そろそろ到着か!」
王の言葉と共に視界が広くなり、戦車は柱が林立する広場へと踊り出た。車輪は使い魔を踏みしだく代わりに、湿った音を立ててコンクリートの地面を抉って止まる。
(ん?)
その、水音とは微妙に異なる、ぬめりまとわりつくような音を聞き分け、剣に手をかけていたシャムスは訝しんだ。同時に、汚水のそれとは異なる空気を吸い込んでしまい、顔が歪む。
まさか、と見渡した周囲は未だ闇に包まれているが、サーヴァントの視界にはなんら不自由はない。広い空間の中に何があるのか、たやすく見て取れる。
「生憎キャスターめは不在のようだな」
悠然と辺りを睥睨する王の声が低く沈む。おそらく息を飲んだシャムスと同じものを目にしたが故に違いない。
(何だ……これは!)
「暗くて良く見えないな……ちょっと待て、視界を強化する」
「っよせ、見るな!」
闇を見透かせない少年の言葉に、シャムスはなかば叱責に近い語調で叫んだ。鋭い制止に少年がびくりと震える。
「な、なんだよ。オマエらは良いかもしれないけど、これじゃボクは何にも見えないじゃないか」
「あー、坊主。こりゃ見ないでおいた方がいいと思うぞ」
気色ばむマスターに王もまた忠告を授ける。だが、二人に止められて逆に苛立ちを募らせたらしい少年は眉をつり上げた。
「何言ってんだよ! キャスターがいないなら、せめて居場所の手掛かりくらい探し出さなきゃ始まらないだろ!」
「そりゃそうかもしれんが、止めとけ。坊主、こいつは貴様の手にゃ余る」
「我が君の仰られる通りだ。ここを探索をするなら、私に任せろ」
シャムスとて到底気分が良いものではなかったが、こんなものをこの少年には見せたくない。気遣いを込めての言葉は、しかしかえって相手の機嫌を損ねたらしい。
「うるさい!」
少年はぴしゃりと言い放ち、暗視の術を自身にかけて戦車を降りた。きょろきょろと辺りを見回すその視界はやがて、イスカンダル王とシャムスが目にしたもの――すなわち、悪辣極まる殺人現場を詳らかに映し出したのだろう。
家具。食器。衣服。楽器。がらくたの数々。無秩序に並んだそれらは、物の名前としては平凡極まりなく、魔術師の工房にあるにしては無害なものでしかなかった。
だが、それら全てが、数え切れないほどの人間を切り刻み、皮をはぎ取り、骨を折り砕き、内臓や脳を引きずり出して加工したものと見て取った途端……言語に絶する放蕩の限りを尽くしたキャスターとそのマスターのおぞましさに、打ちのめされる。
「ヒッ――」
少年の口から乾いた悲鳴がこぼれた。
たった今、自身が触れた箪笥の表面が皮膚で覆われている事に気づいたのだろう、よろよろ後ずさるも、血でぬめる地面で足を滑らせ、その場にどしゃりと転ぶ。
「おい!」
座り込んで動かない少年を見かね、シャムスも御者台から降りて駆け寄る。そばに膝をついてのぞき込むと、少年は顔を真っ白にして震えていた。その頬に血が飛んでいるのに気づいて拭ってやろうとした時、
「うっ……げぇぇぇっ……うえっ……!!」
不意に少年が前のめりになり、激しく嘔吐し始めた。
「あぁ、おい、大丈夫か……」
体の中のものを全て吐き出すような勢いで戻す少年が哀れで、シャムスはその背をさすった。そして、
「……だから、なぁ。止めとけと言ったであろうが」
彼らのそばに歩み寄ってきた王もまた、労りを込めて呟く。二人のサーヴァントから痛ましげに声をかけられたマスターは、しかし癇癪を起こした。カッと乱暴な仕草でシャムスの手を振り払い、
「うるさいッ! 畜生――馬鹿にしやがって――畜生ッ!」
無闇な怒りに駆られて泣きながら怒鳴る。えづき掠れた声の罵倒に、王はただ、静かに答えた。
「意地の張りどころが違うわ。馬鹿者。――いいんだよ、それで。こんなモノ見せられて眉一つ動かさぬ奴がいたら、余がブン殴っておるわい。
むしろ貴様の判断を称えるぞ、坊主。キャスターとそのマスターを真っ先に仕留めるという方針は“良し”だ。成る程、こういう連中とあっては、一分一秒生き長らえさせておくのも胸糞悪い」
惨劇の痕を見据える王の眼差しは、冷静でありながら苛烈な怒りに燃えている。
征服王たるイスカンダル王は略奪の限りを尽くしながら、しかし決して勝利した相手を貶めず、敬意を持って遇し、敵味方問わず死者を葬り悼んだ。このような、己が遊興の為に命を弄ぶような輩を、断じて見過ごせる訳が無い。
「何が……ブン殴る、だよ! 馬鹿ッ! オマエだって、今……全然平気な顔して突っ立ってるじゃないか! ブザマなのはボクだけじゃないか!」
だが蹲っているマスターは王の怒りを見る事なく、涙まじりに叫んだ。ぶるぶる揺れる体は恐怖と屈辱に打ちのめされ、哀れなほどに小さい。
「…………」
シャムスはその背を撫で、労ってやりたい気持ちに駆られた。しかし慰めは、今の少年には恥辱に他ならないのかもしれない。
少年と王を見比べ、どうしたものかと考えあぐねていたが、しかしシャムスはそこでハッと息を飲んだ。戦士たるその研ぎ澄まされた感覚に刺すような殺気を感じたのだ。その手が剣の柄にかかり、全身がみるみるうちに緊張していく。
「余はなぁ、だっておい、今は気を張っててそれどころじゃないわい。なんせ余のマスターが殺されかかってるんだからな」
そして王の言葉が終わるか終わらないかのうちに、風を切り裂いて殺意が飛来する。
「むん!」
目にもとまらぬ速さで鞘を払ったキュプリオトの剣がそれを弾き落とし、イスカンダル王の巨躯が地を蹴って舞う。その銀光が闇を切り裂き、新たな鮮血を周囲にまき散らして、影がどさりと床に落ちた。
「あれはアサシン……そんな、馬鹿な!?」
少年の驚愕は尤もだった。黒装束に白い髑髏の仮面――紛れもなく、それはいの一番に脱落したはずのサーヴァントだった。だがシャムスは王が切り捨てた刺客を見る間もなかった。
少年の背後から忍び寄る気配を察したシャムスは、ドッ! と周囲に風を巻き起こす衝撃を後に残し、闇へと飛び込んだ。
暗い部屋の中に一閃、雷光が走り抜け、部屋全体が振動して壁にビキビキビキッといきなりひびの花が走る。その中心には黒い影、そしてほむらのような赤い髪を突風に揺らして激昂するシャムスの姿がある。
「この……痴れ者めが!!」
雷をその身にまとわりつかせ、シャムスはアサシンを壁に磔にしていた。剣で心臓を貫かれた髑髏面の暗殺者がひぃ、と空気の抜ける悲鳴を残して絶命するのを認め、しかしその怒りはなおかき立てられる。
(我が君のマスターを狙うなど、何という愚行か! 切り刻んで尚許し難い!!)
その不遜が腹立たしいのは勿論だが、キャスターの工房を目にしたシャムスの心中で、急激にふくれあがった行き場のない怒りを発散するのに、敵の存在はこの上なくちょうどいい贄だった。願わくば、もっと現れ、私に斬られろ。そんな暴力的な気分に駆られる彼女の期待に答えるように、
「驚いてる場合じゃないぞ、坊主」
王が向き直った先には、まだなお二人、黒装束のアサシンが身構えていた。
「我が君!」
シャムスは壁を蹴って剣を引き抜き、アサシンの死体が落下するのも見ないまま、王の側へと降り立った。慌ててマントの影に隠れる少年が、あわくって叫ぶ。
「どどど、どうして……何でアサシンが五人もいるんだ!?」
「何故もへったくれもこのさい関係なかろうて。一つ、確かに言えることは――コイツらが死んだと思いこんでた連中は、残らず謀られてたってことだわなぁ」
「……随分と姑息な真似をする。王の御前にてその無礼、死をもって購え」
「……っ」
剣を構える王と従者の殺気にあてられ逡巡した後、二人のアサシンの姿が不意に溶け消えた。
「逃げた……のか?」
おそるおそる周囲を見渡し、マスターが囁く。王もまた、少年のそれよりも鋭い眼差しで辺りを警戒しながら、
「いや、この調子じゃ、いったい何人のアサシンが出てくるか、知れたもんじゃない。ここはまずい。奴ら好みの環境だ。さっさと退散するに限る」
抜き身の剣を携えたまま、二人へ戦車に戻るよう促す。
しかし、シャムスは動けなかった。その目は未だキャスターの犠牲者を見据えており、腹の底からこみ上げてくる義憤に、剣を握る手に力がこもる。
(――皆、子供だ)
この部屋にあるものは全て、子供を殺して作られたものだ。未だ息のあるものとて、見るも無惨な有様を晒しており、もはや正気を保っているものなどあるまい。
(何と……邪悪な奴原めが!)
幼い悲憤を肌身に感じ、シャムスは燃え上がるような憤りに囚われていた。それに伴って魔力が高ぶり、鎧や手足を紫電が這い回る。
何故ここにキャスターが居ない。何故敵がいない。何故この怒りをぶつける相手が居ない。激昂のあまり立ちすくんでいると、
「シャムス」
太く響く声と共に、肩がぽんと叩かれた。ハッとして振り仰ぐと、王がその手をシャムスの肩に置いている。彼女の怒りを理解し、受け止める、雄大で確かなその存在感は、まるで闇に降り立った太陽がごとき目映く神々しい。
(落ち着け。今は怒りに振り回されている場合じゃない)
王の諭しを含んだ眼差しに、シャムスはようやく冷静さを取り戻した。そうだ、激高して暴れ回ったところで、何もならないではないか。それよりも、暗殺者の残りがマスターを狙う危険を警戒せねばなるまい。
「……申し訳ありませぬ、我が君」
シャムスが平静を取り戻したのを見てとった王は一つ頷き、マントを翻して戦車へ足を向ける。
「とりあえずここはブチ壊せるだけは壊していく。それはそれで、キャスターの足を引っ張る戦果にはなるからな」
「生き残りは――」
マスターが声を掠らせて囁く。――あれを生き残り、と言っていいのだろうか。胸をえぐるような現実に歯を食いしばるシャムス。王は静かにかぶりを振った。
「まだ息がある奴なら何人かいるが……あの有様じゃ、殺してやった方が情けってもんだ」
「…………」
その言葉で惨状を察したのだろう、少年は無言のまま戦車に乗り込んだ。その背中を守るようにシャムスもまた御者台に身を置いたのを確認して、王は神牛らに手綱を打つ。
「狭いところですまんがな、一つ念入りに頼むぞ、ゼウスの仔らよ。灰も残さず焼き尽くせ!」
主の命に雄牛は吠え、猛然たる勢いで駆け始めた。闇を払う雷の嵐が巻き起こり、八つの蹄と車輪がキャスターの悪行を完膚無きまでに破壊し尽くし、浄化の炎に包み込む。
(許せない)
吹き付ける熱風の中、シャムスは眦を決する。これほどの非道を成すものが、のうのうと生きているなど、とうてい許される事ではない。この先の戦いでもしキャスターと直接対決の機会に恵まれたなら、きっと討ち果たしてくれよう。
「!」
そう思った時戦車が揺れ、シャムスはバランスを崩した。よろけてどん、とぶつかった少年の体が細かく震えている事に気づく。シャムスは隣を窺った。果たして少年はぐっと唇を横に引き結び、眉間に深いしわを刻んでいる。悲痛な表情は、犠牲となった子供達を悼む故だろうか。
「…………」
今きっと、自分も同じ顔をしているに違いない。シャムスは震える少年の手に自分の手を重ね、ぎゅっと握りしめた。少年が驚いてこちらを振り返るのに視線を合わせ、頷く。
「――必ずこの外道を討ち果たし、子らの無念を果たそうぞ」
「…………」
少年は何も言わなかった。ただ一瞬泣きそうな表情を見せた後、それを隠すように俯いてしまう。
シャムスもまた口を引き結び、炎に包まれた地下室をきっとにらみ据えた。握り返される事のないその手は、しかしいつしか震えが止まっていた。