そういえばスカサハ=スカディとどう交渉するつもりだったのかと、後になって思い出したように尋ねられた。
「それはもう私の華麗な口説と鋭い舌鋒を尽くしてだな――」
と張り切って語り始めたゴルドルフだったが、ふんふんと真面目に聞き入っている若造を見ていたら、急に自信がしぼんでしまった。
自分は、凡人であると知っている。
金はあったが、今はもう無い。
ある程度の交渉術も魔術も戦闘術も身に着けてはいるが、それを褒められたことはない。
カルデアの新所長という立場にあるにしても、シャーロック・ホームズやダ・ヴィンチという不世出の英霊たちを顎で使えるような器でない事は、何よりも自分が承知していた。
(そんな私に、神を口説き落とせるはずもない)
考え始めたらずんずんと気持ちが落ち込んでいく。
目に見えて肩を落とした自分を心配したのか、でもきっと司令官なら出来たと思いますよ、と根拠のない慰めを口にする。
年若い少女に労われるふがいなさに、そう簡単にいくものか、と嘆息した。
「いざとなれば私の魅了の術を使ってでもと思いはしたが……使えばトゥールが、あなたが傷つくからおやめなさいと言われてだな……」
「どうして傷つくんですか? 魅了が効かないから?」
「効いた時のほうがきつい。どうせ術にかかる前と後で、全然態度変わるしな……」
「態度が変わる」
「いちいち聞いてくるのはいじめなのか? いやそうじゃないな? 分かってないな? 何て鈍感なんだ若造、貴様モテない人間の気持が分からないタイプだな!?」
「モテないんですか、新所長」
ずばり聞かれて、撃沈した。思わずしゃがみこんで、シャドウ・ボーダーの床にぐりぐりと指を押し付けながら、
「ああそうだ私はモテないんだ、ずっとホムンクルス相手にしていたし、女性はいつも私を冷たい目で見て、声をかける事さえ避ける始末で……。
それが術が効いた途端、目の色変えてむしゃぶりつかれてみろ。
小細工を弄しなければ、女性一人口説く事も出来んという事実……うっ……」
言ってて悲しくなってきた。
トゥールの言葉は真実を射貫いている。
自分はお世辞にも美男子ではないし、美食がたたって小太りだ。肥満ではない小太りだ。
人に誇れるほどの美点があるわけでもなく、せめてもの財力も底をつきてしまった。
これで好かれるはずもない、と凹んでいると、
「新所長。ためしに、私に魅了かけてみません?」
脇にしゃがみ込んだ少女が、妙な事を言ってきた。
「はぁ? なぜ貴様に」
「私たぶん、態度変わりませんから。一人くらいそういう子がいるって分かったら、ちょっと気が楽になりません?」
それは貴様、私の術が効かないと見越してるからか。毒物の類が効かないとは聞いているが、さすがに私を馬鹿にしすぎじゃないのか。
文句を言いかけたが、少女の笑顔はまるで悪気がない。毒気を抜かれるとはこのこと。
カルデアの面々が彼女に甘いのは、人理修復という余人にはなしえない偉業を達成しながら、まるでどこにでもいる少女のように笑う、この無邪気さに弱いからではないか。
「……これで態度が変わったら、私は傷つくからな」
「大丈夫です。ほら、いつでもどうぞ」
本気で言っている、待ち構えている。術をかけるまで引く気配もない。仕方ない、とゴルドルフは向き直り、真っすぐな瞳を見据えた。
ふん、と気合を込めて術を発動すれば、体内の魔術回路が騒めき、収束し、花が開くように少女へと解放される。きらきらと光の粒が降り注ぎ、彼女は目を瞬いた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ど、どうだ。気分は変わったかね」
沈黙に耐えかねて尋ねる。彼女はもう一度瞬きをした後、
「…………全然」
そう答えたので、魔術師としてのプライドが傷ついてうずくまった。
「き、貴様……態度が変わらないのはいいとして、私を馬鹿にするのも大概に……傷つくのは慣れているが、さすがに一般人さながらの相手に効かないのは私の矜持が……」
「えっ、違いますよ、新所長、落ち込まないで! だって私もともと新所長のこと好きだし!」
「……えっ」
えっ。何だ今の。え?
聞いた事もない台詞に硬直し、ぎぎぎ、と顔を上げる。目が合うと、少女はへへーと歯を見せて笑った。
「好きですよ、新所長。
多分あなたが思ってるよりずっと、皆あなたを私と同じくらい、好きだと思います。
だから、いつもみたいに偉そうに胸を張って、司令官として導いてください。
……私たちはもう、あなたみたいな『普通』に戻れない」
ぽん、と肩を叩かれ、少女は立ち上がった。
ぽかんと口を開けて見上げようとしたら、
「……あっ先輩! ここにいたんですね。ダ・ヴィンチちゃんが呼んでますよ」
ぱたぱたと軽い足音を立てて、マシュが呼びかけてきた。うん、今行くと少女は身を翻し、あっさり去ってしまう。
「…………」
一人残されたゴルドルフは茫然とし、彼女の言葉を咀嚼し、意味を理解し――ぼっと赤くなった。
(す、すきとは……いや普通になれないとはなんだ、お前は普通の人間でなければならんだろうが、す、すき? 私を? そうじゃない、それはどうでもよく、えっ魅了効いた? 効いてない? どっちなんだ!!!?)
突然の好意に戸惑っているのか。
尋常ではない事を容認する少女に対する怒りか。
どちらとも判別できないまま、ゴルドルフは床にへたり込んでしばらく動けなかった。
どうあれ――この旅路は驚きに満ちすぎて、時折頭がパンクしそうになるな。