罪作りな彼女

「……ちょっと、あなた。さっきから一体何なの?」
 数えて三十。今日顔を合わせてからこっち、会話の合間合間に差し挟まれるため息に耐えかね、凛はとうとうツッコミを入れた。
「え? ……なに、凛」
 当の本人、凛の友人たる茶髪の少女は、はっとして目を上げる。
まるで自覚がないらしい様子に、今度はこっちが息を漏らしてしまった。食堂のテーブルに身を乗り出し、だからぁ、と口をとがらせる。
「気づいてないの? さっきから延々、はぁ、ふぅ、ため息ばっかりついちゃって、上の空で。何か悩み事でもあるわけ」
「う……ん、えっと……」
 少女は困ったように眉根を寄せた。しばらく何かもごもご呟いた後、
「……凛なら、分かるかな」
 そんな台詞で心を決めたのか、顔をあげた。
(また何か厄介ごとがあったのかしら)
 命を助けられた手前、あれこれ彼女に手を貸してきた凛は身を乗り出す。それに対してあのね、と少女は深刻な面もちで口火を切った。
「なんかね、アーチャーがおかしいの」
「アーチャーが?」
 言われて反射的に振り返る。
 たまには女同士だけでおしゃべりしたい、という少女達の要望を受け、サーヴァントは違うテーブルで向き合っていた。
 赤と青、アーチャーとランサーはどうやら元々顔なじみのようで、仲がいいのか悪いのかよく分からない会話をする事が多い。今もニヤニヤ笑うランサーの前で、苦虫を噛み潰したような顔のアーチャーが何やら苦言を呈しているようだ。
「あなたのサーヴァントがおかしいって、具体的にどこが? 見たところ、特に不調のようには思えないけど」
 さっき少し話をした時も、変わった様子は無かったと思う。
 が、それはあくまで外から見た話だ。その内側で起きている問題であれば、実際体を看ない限り、凛にそれを見破る力はない。
 しかし、マスターたる少女が不安を感じるほどなら、もしかしたら重大事かもしれない。
「何か違和感があるなら、全部話しなさいよ。わたしに出来る事なら、力になってあげるから」
「うん、ありがとう凛。あのね……」

「はい、アーチャー」
 ドキドキしながらラッピングした箱を差し出すと、彼女のサーヴァントは眉を上げた。それを不思議そうに見て、
「これは私に、かね。どういう風の吹き回しだ? マスター」
 サーヴァントに記念日もあるまいし、と首を傾げる。
 万事察しがいい彼も、あの事には気づいていないらしい。それならサプライズでこっそり用意した甲斐がある。少女はにこにこ笑いながら、
「うん、あのね。今日、父の日っていう記念日なんだって。アーチャー知ってる?」
 答えそのものな質問を投げかける。これなら、彼もこのプレゼントの意味を分かって納得してくれる――と思ったのだが。
「……父の日? それは、まぁ、知ってはいるが……」
 アーチャーは納得どころか、しかめ面になってしまった。眉根を寄せてマスターと箱を見比べ、
「……まさかとは思うが、マスター。それは父の日のプレゼント、という事だろうか」
 なぜか声を一段低くして、問い返してくる。
 ……あれ? なんか予想した反応と違う。てっきり照れながら受け取ってくれると思ったのに。
「え、うん、そうだよ」
「私は君の父親ではないのだが」
「そうだけど、私いつもアーチャーのお世話になってて、お父さんみたいなものだから。何かお礼を……したいなって……あの、アーチャー?」
 話している内にアーチャーは目元を手で覆い、うなだれてしまった。
ずしん、と周囲の空気が重たくなったような錯覚さえさせるオーラをまといながら、
「あぁ……そうか……。いや、わかった。君の好意は、ありがたく受け取っておこう」
 何か苦悩しているような表情で箱をひょいと取り上げる。
「えっと、アーチャー……? 私、何か悪いことした……?」
 もしかして父の日に嫌な思い出があって、自分のせいで思い出してしまったのだろうか。恐る恐る尋ねてみたが、
「そんな事はない。……そんな事はないさ、マスター。それより早くアリーナへ行こう。モラトリアムは後半分、そろそろのんびりもしていられまい」
 この話題はもう終わりとばかりにばしっと断ち切られてしまい、それ以上何も聞けなくなってしまったのだ。

「……というわけでね、その日からアーチャーがなんかよそよそしくて……凛? どうしたの?」
 少女の話をまじめに聞くのもバカバカしくなって、凛は頬杖をついてハーッとため息をついてしまった。
(何これ、ただのノロケじゃない)
 少女は一大事とばかりの深刻さだが、何の事はない。
 彼女のサーヴァントは、マスターから異性として完全に範疇外扱いをされて、ショックを受けたのだろう。
「あなた達ってほんと、仲が良すぎるほど良いのね……」
 マスターとサーヴァント、利害関係が一致しているだけの相手にここまで思い入れするのは、行き過ぎも甚だしい。と思うのだが、
「うん、アーチャーいつも優しいから……でもそれに甘えすぎてるのかな。
私頼りないマスターで迷惑ばっかりかけちゃってるし、だから感謝のしるしにって思って……」
 眉を八の字にして、サーヴァントへの好意を――それが男女の愛情か、単なる信頼かは知らないが――、一生懸命語る様子を見ていたら、何ともいじらしくて、あの赤い弓兵が肩入れしてしまうのも分かる気がした。
(全く……ただでさえ問題ありのコンビのくせに、次から次へと面倒な事に……)
「ねぇ、凛。やっぱり私、無神経な事しちゃったのかな。どうすればアーチャーが戻ってくれると思う?」
「う……」
 真剣なまなざしで見つめられ、口を曲げていた凛は、ついどきりとして身を引いた。こういうすがるような目は苦手だ、バカバカしいと思ってるのに見捨てられなくなる。
 凛は「あーそうねぇ……」と視線をそらし、言い合いをしているサーヴァント達を眺めながら、解決策を考え――

「マスター。今日は図書室に行くのではなかったか。なぜマイルームに戻……うっ!?」
 割り当てられた教室で実体化したアーチャーに、マスターが正面から、どん、と勢いよくぶつかってきた。
不意の事で一瞬ぐらつくも、さすがにそれで倒れるほど柔ではない。
「マスター、何……何をしている?」
 冷静に尋ねようとしたが、少女の腕がぎゅっと腰を包み込んだので、思わずどもる。アーチャーにぴったり抱きついたマスターは更に、
「アーチャー、私、アーチャーの事好きだからっ」
 とんでもない爆弾発言をした。
「な……」
 好き。マスターが、抱きつきながら、愛の告白をしている。告白? いやまさか。つい先日、戦力外通知されたばかりではないか。そう簡単に心変わりするものではなかろう。いやしかし万が一ということも。最近素っ気なくしてしまっていたが、そのせいで自覚した可能性も、なきにもあらず。いやいや、子供っぽいマスターに限ってそんなはずは。
「……マスター、いきなりどうしたのだ? 君の言動は脈絡がなくて、理解出来ないのだが」
 瞬きの間に怒濤の思考が巡り、目眩がする。アーチャーは咳払いをして、マスターの肩に手を置いた。
 すると少女はがばっと顔を上げ、
「あのね、アーチャーはお父さんみたいで、いつも頼りにしてばっかりで申し訳なくて、感謝してて、大好き、大好きなの。もしアーチャーの気に障る事言っちゃったのなら謝るから、怒らないで!」
 一息に言い放つ。その言動はやはり要領を得なかったが、「お父さん」の単語に再び胸をえぐられ、えぐられた先から「大好き」で息が出来なくなるくらい鼓動が高鳴る。
天国と地獄を行き来するような、口から血を吐いてる心境に陥りながら、
「……なぜ私が怒ってるなどと?」
 アーチャーが確認すると、
「だって……アーチャーこのところ、何だかよそよそしいし……目をあわせてくれないし……すぐ離れていっちゃうし……」
 どうやら彼の態度によほど傷ついたのか、また顔を伏せて、マスターは腕の拘束をゆるめる。
 そのままするっとほどけてしまいそうだったので、アーチャーは彼女の肩から、頭の上に手を移動させた。優しく髪を撫でて、
「それは済まなかった、マスター。……このところ少々、立て込んでいたものでね。君をないがしろにするつもりはなかったのだが」
「立て込んでた? なんで?」
「それは……私の個人的なことだ。君の耳に入れるようなものではない」
「…………」
 そろ、とこちらを見上げたマスターの眉が下がる。おそらく心の裡を明かしてくれないサーヴァントに、寂しさを感じたのだろう。
 しかし全てを詳らかにするのも抵抗があるし、おそらく彼女には理解出来まい。
 少しの間思案した挙げ句、アーチャーはため息まじりに言った。
「その、何だ。英霊となった身で、今更どうこう言うものではないのだが、この年で君ほど大きな子供を持った事はなくてね。
 出来れば、『お父さん』呼びは勘弁してもらえないだろうか、マスター。
 そう呼ばれるたびに、ずいぶん年をとったような気分になる」
 本音とずれた、表面的にはそれらしい理由をでっちあげると、彼女は得心がいったらしく、ぱっと輝かせた。
「あぁそっか、そうだよね、アーチャーそんな年には見えないもんね。分かった、もう言わない。ごめんね、アーチャー」
「いや、今後気をつけてもらえば構わないさ」
 嬉しそうに微笑むマスターは、抱きしめたいほど愛らしい。
 本質的な問題――彼女からすると自分は異性ではないらしい――は解決していないが、これ以上不安な顔をさせるのも可哀想だ。いずれしっかり、彼が彼女をどう思っているか教え込もうと考えつつ、
「……ところで、マスター。先ほどの謝罪の仕方はいささか唐突に感じたのだが……あれは自分で考えたのかね? それとも、誰かにアドバイスを受けたのだろうか」
 念のため尋ねると、マスターはますます晴れやかに笑った。
「うん、さっき凛に相談したら、自分の気持ちを全部伝えてなかったのがいけなかったんじゃないかって教えてくれたの。私アーチャーにいっぱい感謝してるし、とっても大好きだから、それちゃんと言わなきゃ駄目だよって」
「……うむ。君の気持ちはとても嬉しいよ、マスター」
 ぼす、と自分の胸にマスターの顔を押しつけて彼女の視界を塞ぎながら、アーチャーは険悪な表情に顔を引きつらせる。
 そうか、トオサカリン、君か――マスターがこんな爆弾発言をするようにけしかけた輩は。
(これ以上妙な入れ知恵をされては困る。もう二度と、ガールズトークとやらはさせないぞ、トオサカリン)
 アーチャーはその腕に愛しのマスターをしっかり抱きしめながら、固く固く心に誓うのだった。