――かつて、恋をしていたのです。
可愛らしい恋でした。
罪のない恋でした。
盲目な恋でした。
哀れな恋でした。
私は恋に溺れ、恋に苛まれ、恋に捨てられました。
それでもなお――死して後、陽炎のように現世へ現れるようになってもなお、恋は私を生かすのです。
東方の小さな島国。およそ文明の遅れ、魔が夜ごと往来を闊歩するような未開の地。
その地に召喚された私は、マスターと契約を結び、聖杯戦争へ身を投じた。
平安。この国でもまだ、人が魔を切る力を持っていた時代。
私のマスターは、息を吸うような自然さで鬼を切る、平安武者だった。
……かつて、恋をしていたのだ。
およそ淡い恋だった。
己自身ですら気づいていないような恋だった。
失って初めて分かった恋だった。
実も花も結ばぬ恋だった。
手に取る事さえなかった恋だった、からこそ。
今もって、それを惜しんでしまうのだ。
まさかりをかついだ弟分から戦う理由を問われたマスターは、静かに、血を吐くように願いを口にした。
失ってしまった女がいた。
思いを告げるどころか、気づきもしなかった。相手もきっと同じく、彼が思いを寄せていたことなど気づいていなかったかもしれない。
ゆえに、だからこそ、彼の中で彼女は永遠に美しく、失い難い。
同胞に刀を向け、横暴なまでの力でねじ伏せて良しとするのは、都の平穏を願うその心の奥に、身勝手な、哀れな、浅ましい恋心が潜んでいたからだ。
それを、察して思えばこそ。
「何故だ、キャスター。
如何なる理由で、お前はともに戦ったのだ」
全てが終わり、別れの時。マスターは真っすぐに問いかけてきた。
対して言いよどんだのは――いささか、面はゆさを感じたからか。
「それはサーヴァントとしての定め。召喚された英霊とは、そのようなモノです」
一瞬のよどみをごまかすように、つらつらと言葉が流れ出る。そう語るうち、視界の端にちらちらと映る黄色の影。
(鬼の子。人に害を与えなければ、向こうからかかって来なければ、手出しはしない)
東洋人は表情が乏しく、マスターは言葉も少ない。表面的に得られる情報は限られているものの、それでも零れ落ちるかけらはある。
鬼と憧れの女に謂れがあるのか問えば、
「……本当に敏い女だ」
マスターは目を伏せて微笑む。その笑みこそ、答えなのだろう。もっと続きを聞きたかったが、
「イアソン殿と仲良くな、メディア」
「…………はい!」
その言葉を最後に、体が光の粒へと変わっていく。遠く、遠ざかっていく繋がりを惜しみながら、私もまた、マスターの耳に届かぬ事を承知で、本当の答えを囁きかけた。
――私は恋に殉じた女。だからあなたの恋を、応援したかったのです。
――綱様。強く真っすぐで不器用なあなた。いずれあなたの思いも、叶いますように。