there is border.
道端で死にかけている猫に出くわし、キリコは足を止めた。
無言で見下ろす。
一見して、車に後ろ半身を轢かれたらしい。血の跡が地面に長く伸びている。残った体力を費やして、死に場所を探しているようだ。
猫はふるふると頭をもたげ、見えているのかいないのか、キリコに向かって、ニャーとか細く鳴いた。
安寧の死を与える薬を彼はいつも、懐に呑んでいる。
人間用の毒であれば、こんな小さな猫などひとたまりもないだろう。
まともに歩けもしない有様で、野良が無事に生きていけるはずもない。死を与えるのは、この猫にとって救いだろう。
「……悪いな。俺は人間専門なんだ」
だがキリコは呟き、猫を避けて歩き出した。
何故忌避したのか、自身に問いかけようとしてやめる。
その答えは多分、居心地が悪い。死神の化身と言われた自分が何を恐れているのか。
(バカバカしい。たかが猫だ)
気に掛けるべきは他にある。畜生一匹の生死に思い煩う必要はない。だが、
「あーっ! ちぇんちぇー、ねこちゃん! ねこちゃんなのらよ!」
不意に素っ頓狂な声が響いたので、びくっとして振り返ってしまった。
視界に映ったのは、黒ずくめの男と少女。一見して不釣り合いな組み合わせだが、少女は男の服を掴み、ぐいぐい引いて、先ほどの猫がいる場所へ連れて行っていた。
(ブラック・ジャックじゃないか)
たぐいまれな腕で患者を救う引き換えに、目の玉が飛び出る高額の手術代を要求するため、自身と同じく悪名高い、無免許の天才外科医。
その男が、今は少女に引かれるまま、野良猫のそばに膝をついている。
何をするのかと気づかれないように様子を窺った。
少女が大げさな身振り手振りで何事かをわめき、男はそれに答えている。首を横に振っているのは、何か要求を断ろうとしているのだろう。
だが数分の押し問答をした後、男は肩を大きく落とした。さっと外套を脱いで猫を包み、少女と共に速足で歩き始める。
(あの猫を助けるつもりか)
無駄な事を。
キリコの見立てでは、完全に足が潰れていたし、臓器もいくつかやられていた。仮に手術をしたところで、長生きするはずもない。無為に苦しみの生を引き延ばすだけだというのに、
(……だが、あんたは救う事しか出来ないんだな)
真っすぐに背筋を伸ばし、少女と並んで歩を進める男の背中を見送り、キリコは反対方向へ足を出した。やはりあの男とは未来永劫、分かり合えないな、と思いながら。