それは美しすぎて(氷と炎の歌・ハウンド→サンサ)

 美しいものは彼にとって何の益もない、無駄なものだった。  自身の容貌はもともとそれほど美しいものではなかったし、その顔に押された火の烙印は彼に恐怖の仮面をはめ込み、決して剥がれ落ちる事はなかった。彼を見るものは皆恐れおののき、目をそらし、足元を見つめて小声で受け答えするか、犬と呼んで顎で彼を使い、さげすむことしかしなかった。 (美しさなど、何の役にも立たない。その中でも美しい真の騎士様など、くそったれだ)  彼は物語の中で語り継がれる高潔な騎士など、この世の何処にもいない事を知っていた。王の剣を肩に乗せ、恭しく誓約を立てた男たちのうち、どれほどの者達がその誓いを貫いただろうか? 狂王を見よ、彼は自ら任じたキングズガードに命を奪われ、忠実を歌った男たちは次の王へ剣を捧げた。ロバート王を見よ、彼に王冠を捧げたキングスレイヤーは王妃たる実姉と通じ、禁断の果実を産み落とさせた。 (騎士なんてものは、この世で最も下劣な生き物だ)  そしてそれを選ぶ王達もまた、目のない者達ばかりだ。そうでなければなぜ、あれほど残虐でおぞましい巨人の肩に、栄誉ある純白のマントを着せ掛けたものか。どうせそれはすぐに鮮血で染まってしまうというのに。 (俺は騎士になぞならん)  ロバート王が倒れ、その息子とされるジョフリーが鉄の玉座に上がった時、彼は騎士の叙任を断った。何よりも軽蔑しているその身分をなぜ有難がって受けなければならないのか。彼がサーの称号にふさわしいと考えている人間など、どこにもいないだろう。せいぜい、口だけで己の手を下そうとしないあの生意気な少年王が、より強固な首輪をはめることが出来たと安心するだけだ。  だから固辞した。鼻で笑って退けた。  ――だが、と思う。 (小鳥は歌う。真の騎士ならば。真の騎士ならば、と)  今や誰一人味方のいない城の中、体をすくませて震えるばかりの小鳥は、彼と言葉を交わす時、大抵その事に言及する。真の騎士ならば弱者を救うはず、と。 (真の騎士などいない。だから小鳥が救われる道理もない)  その脆弱な、あまりにも夢見がちな少女のたわごとを、彼は嘲り、罵り、否定する。そんな夢のような事は起きない。  彼女の父は死んだ。彼女の兄は王に反旗を翻した。彼女の兄弟は、母は、皆彼女の元から立ち去り、小鳥はたった一人で取り残された。王はあの脆弱な小鳥をいたぶるのを殊の外好んでいた。その楽しみを邪魔すれば、止めた者の首をはね落とさせるくらいには。それに民もまた彼女の父が反逆者なのだと信じている。反逆者の娘が王の正当なる裁きを受けたからと言って、己の命を賭けてまで救い出そうなどという愚か者がいるはずもないだろう。  なぜなら物語の中で歌われる真の騎士など、少なくともこの城には存在していないのだから。 (小鳥、小鳥よ。せめて歌え。王の機嫌を損ねないよう、美しい声で歌え)  彼女が何をしたところで、王は気まぐれに応じるだけで何の意味もない。そうと知っていてなお、彼はそう祈り、祈っている己に気づいて、自嘲した。 (称号も持たないただのハウンドが、何の神に、何を祈る? あの小鳥が生きようが死のうが、どちらでも構わないのに)  ひきつれた頬を釣り上げ、ぞっとするような笑いを浮かべながら、ハウンドは空を振り仰いだ。赤の城の中、小鳥を捉えた籠の塔を見上げ、目を細める。そして笑みをひっこめると、 「……いっそ翼をはやしてしまえ、小鳥よ。空に飛び立ってしまえば、誰の手にも捕まるまいよ」  自身の耳にも聞き取りにくいほどの声でつぶやくと、強いてそちらから目を背け、まるで逃げ出すように早足で歩き始めた。 「俺が真の騎士であったのなら、お前を救い出せるのに」的な。