フェレルデンを救う旅の最中、グレイ・ウォーデンの一行は、ダークスポーンの襲撃に悩まされる村に立ち寄った。数々の人々を救ってきたこれまでと変わりなく、彼らは村人に力を貸し、近隣に潜んでいたダークスポーンを全滅せしめ、その務めを果たす。
もはや死を待つばかりと絶望に浸っていた人々は驚き喜び、ぜひともと熱心に誘いかけて、領主宅を一泊の宿に勧める。激しい戦闘の後で疲弊もしていた一行は渡りに船とばかりに、ありがたくその申し出を受け入れたのだった。
多数の犠牲を出したものの、魔物を全滅せしめた英雄に対する歓待はやむことなく、はじめは静かだった夕餉はやがて、夜っぴての宴へと移り変わっていった。
一行も久方ぶりの休息を十分楽しんでいたが――その輪からこっそり外れたゼブランは、あてがわれた部屋近くのサロンで一人、ナイフを研いでいた。
(さて、どうしたものかな。そろそろ退屈にも飽きてきた)
本来は享楽的な性格故、どんちゃん騒ぎは彼の好むところではあったが、今日はなぜか気分が乗らなかった。
挑まれたポーカーで適当に勝ち負けを争った後、疲れたから休むと口実をつけて、ひっこんできたのはいいが、まだ眠気が訪れない。
(もっと遊んできてもよかったな)
そう思ってちらり、と窓から広間の方角を見やるが、さすがに月が山の端に沈む時分になっては、お開きになっていることだろう。
(他の連中はあっちで酔いつぶれてるんだろうな。仕方ない、とりあえずベッドに潜り込むか)
ナイフをしまいながらそう考えた時、ぎしぎしと階段のきしむ音が耳に届いた。おや、誰かが帰ってきたらしいと目を向けると、
「――あら、ゼブラン。こんなところにいたの。てっきり、あの赤毛の女とどっかにしけこんでるのかと思ったわ」
皮肉とともに姿を現したのはモリガンだ。どうやら侍女に戯れていたのをしっかり見られていたらしい。
「あいにく、そんな気分じゃなくてね。彼女の仕事を邪魔する訳にはいかないだろう?」
そう言って肩をすくめたゼブランは、モリガンに支えられてぐったりしている我らがリーダーに気づいて、目を丸くした。
「これは珍しい。彼女、酔いつぶれちゃったのか?」
「えぇ、そうよ。連中に勧められるまま飲むんだもの、結局樽ごと飲み干したんじゃないかしら。全く、鎧と酒の臭いでたまったもんじゃないわ、よっぽど、どぶに捨ててこようかと思ったわよ」
鼻の頭にしわを寄せる相手に、しかしゼブランはにやりと笑う。
「いちいち悪ぶるのが君の悪い癖だな、マイディア? 向こうに放っておいてもよかったのに、わざわざつれて帰るなんて、どういう風の吹き回しだろうね。明日は蛙が降るのかな?」
からかうと、モリガンはますますしかめ面になった。
「別に。レリアナもウィンもさっさと居なくなって、周りが野獣だらけになったからよ。あの中に放っておいたら、さすがのこの子だって、無事じゃ済まなかったでしょう。
それでなくとも、麗しの戦女神とか持ち上げられて、いい気になってたんだから」
「アー、確かに。村の男どもは軒並み、女神の信者になったみたいだな。人垣が凄くて、おいそれと近寄れなかった」
それで彼女がモリガンの言うように喜んでいたのかといえば、どちらかというと困っていた様子ではあったが。
「酔っぱらいを蹴倒してようやくここまで来たけど……もう、うんざり。後は頼んだわよ、ゼブラン」
「おっと!」
言うなり、モリガンが放り投げた彼女を、ゼブランは受け止めた。うう、と小さく呻くグレイ・ウォーデンは顔色も白く、苦しそうに眉間のしわを刻んでいる。
「頼むわよって、モリガン……」
慌てて引き留めようとしたが、魔女の娘は臭いがうつっちゃったわ、と足早に立ち去ってしまった。あの様子では、ここでゼブランに出会わなければ、彼女を廊下に放り出していたかもしれない。
「んん……おーい、聞こえるかい? 歩けるかな?」
どうしたものかと持て余して呼びかけたが、頭をだらりと下げた彼女は不明瞭な呻きを漏らすだけで、完全に酩酊状態のようだ。
すっかり脱力した彼女の腕を自分の肩に回しながら、ゼブランはやれやれ、とひとりごちた。とにかく部屋に運んでやらねば。
領主はパーティー全員分の個室を用意してくれたが、その中でもリーダーの部屋は立派なものだった。
貴賓室というのに相応しい豪奢なしつらえのそこは、天蓋つきのベッドがどーんと中央に鎮座ましましている。
「ハァ、全くまいったね、どうも」
足が沈むふかふかの絨毯をじりじり進み、ようやく寝台にたどり着いたゼブランは、慎重に彼女を横たわらせた。
ふう、とため息が出てしまったのは、ほとんど意識を失ってる上、未だ鎧を身につけている彼女が、予想以上に重たかったからである。
(これがスタンやアリスターなら軽々と運べるんだろうが)
あいにくゼブランはそこまで力はなく、背も彼女より小さい。モリガンと比べれば移動距離はごく僅かだが、ここまで来るのは、なかなか骨が折れる仕事だった。まだ、彼女が全身鎧(フルプレート)ではなく、革鎧を装備していただけましだったが。
「さて……それでこれは、どうするかな」
一息ついて改めて、彼女を見下ろす。ベッドに横たわった彼女は目を閉じたまま、まだ気分が悪そうだ。ひとまず水でも飲ませた方がいいだろうかと考えたが、
「うう……」
彼女が小さく呻いて手を動かし、胸の鎧を煩わしげにひっかくのを見て、考えを変えた。
「うん、ひとまず身軽になった方がいいよな。息が楽になれば、気分もよくなるってもんだ」
独り言の声音を弾ませ、にんまり、と笑う。
ここにアリスターやウィンがいたなら間違いなく彼を止めるだろう、底意のある笑顔ではあったが、今は彼女と二人きり、障害はゼロ。それにこれは酔っぱらいの看病であって、何らやましいことではない――少なくとも彼女が望まない限りは。
「さぁ、お着替えの時間だよ、マイマスター」
音もなくベッドに上がったゼブランは傍らに滑り込み、彼女の意識を揺さぶるように耳元で囁く。
それに対する答えは無かったが、ゼブランはシーツの上に投げ出されたむき出しの腕にゆっくりと指を滑らせ、手のひらを軽く擽(くすぐ)ってみた。
「ん……」
ぴくっ、と彼女の瞼がふるえ、ゼブランの指から逃れようとするように腕が引かれたので、
(フン、思ったより反応がいいな)
わくわくと期待に胸を躍らせ、ゼブランは更に先を進めた。
腕を撫でた手を、今度は腰の辺りに移動させ、慣れた手つきで鎧の紐をほどいていく。両脇のいましめをあっと言う間にといてしまうと、ゼブランは彼女の上にするりとまたがり、鎧に手をかけた。ぐっと身をかがめ、顔がふれ合いそうな程間近にのぞき込み、
「ほら、手を挙げて。鎧を脱ぐんだから」
歌うような優しい声音で呼びかける。と、それまで目を閉じたままだった彼女がうっすらと瞼を持ち上げ、
「あ……ゼブラン……?」
おぼつかない口調で彼の名を呼ぶ。
「そう、僕だよ。気分はどうだい? かわいい人」
「気分……あぁ……いや……どうだろう……」
どうやらまだ判然としないらしく、返答は要領を得ない。ハハァ、と低い笑い声を発して、ゼブランはもう一度手をあげて、と囁きかけた。
「手……うん……」
ぼんやりしているせいか、反応は素直だ。大人しく両手をあげたので、ゼブランはぐっと鎧を上方に持ち上げた。
ずるり、と鎧を引っ張り上げると途端に、それまで封じられていた革と酒のむせるような匂いが立ち上り、
「アァー……これはいい……たまらないな……」
ゼブランは思わず、目を細めてうっとりしてしまった。
モリガンはこれを指して悪臭と称したが、彼にしてみれば懐かしい故郷の香りと同じだ。
すえたその香りは様々な記憶を瞬時に蘇らせる。退廃と享楽、死と絶望、裏切りと愛――そんな残酷で蠱惑的な香りを馥郁と漂わせる相手、しかも暗殺者の自分の命を救った、好みの目をした女性を前にして、どうして我慢などできようか。
「――さぁ、だいぶ楽になったんじゃないか?」
先ほどよりも確実に熱を帯びた体を自覚しながら、鎧をベッド下に投げ捨てたゼブランは優しく微笑んだ。まだ焦点のずれた眼差しで彼を見上げた彼女は、
「うん……楽になった……ありがとう……」
そのまま、また目を閉じてしまう。その頭の脇に肘をついて、ゼブランは彼女におおいかぶさった。暗闇にあっても、伏せたまつげの一本一本も見えるほど間近に迫り、
「それなら、次はマッサージをするっていうのはどうだい……? 今よりもっと気分が良くなること、間違いなしだ」
ふっくらとした頬を手で包み込み、滑らかな肌触りを楽しむようにゆっくりと撫でる。唇に当てた親指の腹でその輪郭をなぞり、
「さぁ、体の力を抜いて……深く息を吸って……そう、良い子だ……」
そのまま首筋から胸元にかけて手を滑らそうとした時、
「ゼブラン……あぁ……」
再び目を開いた彼女が腕をゼブランの首に回した、と思った次には、
「うわっ!?」
ぐりん、と視界まで回って、ゼブランはシーツの上にどさりと投げ出された。ついで抗いがたい力で引き寄せられ、
「うぐっ」
顔が彼女の胸に押しつけられて、一瞬息が詰まった。
「ちょっと……待った、積極的なのは嬉しいが、力を緩めてくれないか……!」
そのまま身じろぎできないほど強く抱きしめられ、ゼブランはついじたばたしてしまった。
こちらはアサシン、相手は戦士、性別による力の差は職業によって逆転しているので、抵抗しがたい。ふっくらとした胸は柔らかく心地よい感触ではあったが、抱きしめる力が強すぎて、息が出来ない。だいぶもがいて、何とか腕の中から頭を出すと、
すーっ……すーっ……
視界いっぱいに映った彼女は、安らかな寝息を立てて眠りに落ちていた。
「……アァ……うん……そうか。寝てしまったか」
すっかりその気になっていたゼブランは肩すかしをくらって脱力した。
いくらこちらの気分が盛り上がっていようと、気持ちよさそうに眠っている相手にいたずらする気にはなれない。それがしたいからと、わざわざ起こすのも気の毒だろう。
(うーん……どうしたものかな)
よし、今夜のところは諦めよう。素早くそう決断したものの、しかし彼女はゼブランをがっちりホールドしたまま、解放する気がないようだ。隙間無く寄り添う体勢になり、より困った状況になっているのだが、
(……まぁ……たまには、添い寝だけっていうのも、新鮮かもな)
このままでは逃げようもないし、もっと言えば、この状況は決して厭わしいものではない。気を取り直したゼブランは腕を回し、自分もまた彼女を強く抱きしめた。
肩口に顔を埋めて深呼吸すると、先ほどよりも更にかぐわしい香り――革と酒と、そしてほのかに漂う彼女の甘い匂いに体の奥がざわつく一方、何とも言えない、殊更ほのぼのとした心地にもなる。
(ンー……どうやら今夜は、良い夢を見られそうだな)
ゼブランもまた目を閉じ、ゆっくりと眠りに落ちていく。朝になったら彼女はきっと、昨晩何があってゼブランと同衾したのかと狼狽して大騒ぎになるだろうな、と意地悪な笑みに唇を綻ばせながら。