辿るは女神の足跡14

「……多分、気のせいだ。私の考えすぎなんだと思う。そう思うんだが……最近はそうとも考えられなくなってきた。だっておかしいだろう? 前は嫌って程こっちを見ていたのに、今は絶対に目を合わせない。目の前で話をしている時だって、微妙に視線をずらすんだ。前より無駄口が減ったし……いや、それはいいんだが、でも他の仲間たちと話す時は普通なんだ、冗談だって言ってる。なのに、私と話す時だけ、妙によそよそしい。それは何故だ? 私は何か気に障る事をしたのか?」
『知るか。それより何故お前が、よりによって私にそんな与太話をするのかを尋ねたいものだ』
 膝を抱えてぶつぶつ呟くのに答えたのは、内に響くような不思議な声だった。脇に顔を向けると、そこにいるのはごつごつとした岩で形作られたゴーレム、シェイルだ。
 サルチャーの山道で手に入れたコントロールロッドをきっかけに出会ったゴーレムは、石の顔でもそれと分かるほどうんざりした表情を浮かべる。そのいかにも不満そうな声音に、
「それはそうだが……今は他に話せる者がいない」
 ふう、とため息をつき、シャーリィンは膝の上に顎を乗せた。
 一行はイーモン伯の旗頭の元、デネリムへと居を移していた。レッドクリフ伯邸に身を寄せた彼らは、到着したのが日も暮れてからだったのもあって、ひとまずそれぞれの部屋に落ち着いた。
 しかし早々にロゲインの敵対的な訪問を受けて火花を散らす羽目になったし、諸侯会議も数日後に迫っている。
 デネリムはロゲインの野望の出発地であり、陰謀がひしめいている場所だ。ならばその悪事の証拠も見つかるかも知れない。
『それなら僕とレリアナがまず街を探ってこよう。夜の内ならいろいろ探りやすいからね』
 話の流れでゼブランが手を挙げ、レリアナも含めて皆賛同した。シャーリィンも異存はなかったので、
『ああ、それでいい。頼んだぞレリアナ、ゼブラン』
 二人を順に見て言ったのだが……えぇ、と微笑んだレリアナに対して、ゼブランは視線をはずしながら、無言で頷くだけだった。
 ゼブラン? ともう一度呼びかけると、彼はぱっと笑顔を見せて『任せてくれよ、この街の事なら隅から隅まで探り出してくるさ』と答えたのだが……それもどこか作った笑みに見えて、シャーリィンは違和感を覚えずにはいられなかった。
「……モリガンはこんな話を最初から聞こうとしないし、ウィンは近頃疲れやすくなってもう寝ているし……そうなれば、お前しかいないんだ。シェイル」
 部屋から離れた場所の隅に座るシェイルのそばには誰もおらず、相談事がしやすい。それに、とシャーリィンは相手の顔をのぞき込み、
「カダッシュ洞穴で見つけた石碑の通りなら、お前は以前女だったんだろう? 男たちに話せるような事じゃないし、少しくらいつきあってくれてもいいじゃないか」
『昔がどうだろうと、今の私には男も女もない。大体、お前があの模様つきエルフに愛想を尽かされたのだとして、一体私にどんな関係があるというんだ』
「……愛想を尽かされた……そうなんだろうか……」
 シェイルの言葉に、気持ちが落ち込む。
 やはりゼブランは、以前の醜態を見て呆れてしまったのだろうか。
 ああ見えて意外と律儀なところがあるから、最初の誓いを翻す事が出来ないのかもしれないが、気持ちの上ではとっくにシャーリィンを見限ってしまったのか。
「もしそうなら、どうすればいいんだろう……」
 悩ましげに呻くシャーリィンに、だから知るか! とシェイルが吠えた。ぱらぱらと岩の破片をまき散らして腕を広げ、
『そんなにあの男の機嫌を取りたいなら、贈り物でもしてみろ。この私ですら、お前から傷のないクリスタルをもらった時には、こいつは良い奴なんじゃないかと勘違いしたくらいだ。今は全く逆だと思ってるがな』
「贈り物……贈り物か! なるほど名案だ! シェイル、ありがとう!」
 ぱっと目の前が明るくなったような気分でシャーリィンは立ち上がり、自室へ駆けだした。残されたシェイルはぽかんとしてそれを見送った後、
『全く、何もかも役に立たない奴ばかりでうんざりするな!』
 誰にともなく呻くと、壁に向かってどしっと座り直して、誰も話しかけるなといわんばかりに目を閉じたのだった。

 偵察隊が館に戻ったのは、夜更けもすぎた頃だった。
「……ひとまず現状としてはこんなところよ。街のあちこちにロゲインの兵がいるけれど、一方で王に取って代わろうとする強引なやり方に反感を抱いてる民も相当に多いわ」
「あとは伝染病が流行ってるとかで、シティエルフの異民族区が閉鎖されてる。だがそれも本当かどうか怪しいな。
 屋根に登って眺めてみたが、テヴィンターの魔導士とエルフが小競り合いをしてるのが見えた。今はまだ中に入れないが、あそこも探ってみる価値はあるだろう」
「……そうか、分かった。遅くまでありがとう、レリアナ、ゼブラン」
 二人を自室に招き、デネリムの地図を前に報告を聞いていたシャーリィンは労った。ローグ二人は頷き、それじゃあお休み、と踵を返す。だが彼らが出て行く前に、
「あー……待ってくれ、ゼブラン。話がある」
 シャーリィンはゼブランを呼び止めた。足早に去ろうとしていた彼は歩みを止め、
「……急ぎの用事かい? 僕はもう眠くて、瞼がくっつきそうなんだけどな」
 肩越しに振り返る。その淡々とした声音にシャーリィンはくじけかけたが、
(いや、今話さなかったら、次いつ機会があるか分からないんだ、逃すわけにはいかない)
「い……急ぎではないが、今話したい。駄目、……だろうか」
 おそるおそる言うと、ゼブランは眉を上げ、それから愛想笑いを浮かべた。
「お望みならお好きなだけどうぞ、マイマスター」
「……じゃあ私はこれで失礼するわね」
 レリアナは二人を見比べ、そそくさと退出した。出て行った後の扉が閉まりきる前に手で押さえ、なかば開いた状態を保ったまま、ゼブランはこちらに向き直った。それで? と尋ねてくる。
「出来れば手短に頼めるかな、シャーリィン。ちょっと小競り合いもしてきたのでね、もうくたくたなんだ」
「わ、分かった。ちょっと待て」
 明らかな拒絶の空気にたじろぎながら、シャーリィンは寝台脇に置いた箱の蓋を持ち上げた。一番上に置いたものを手に取ると、戸口に立つゼブランのもとへ歩み寄り、
「お前に、これを渡そうと思ってたんだ。受け取って欲しい」
 すっと差し出した。ゼブランはそれを見下ろし、目を丸くする。
「小手? どうしてまた、僕にこれを? 僕のはそんなにみすぼらしい装備だったかい?」
「ち、違う!」
「……待った。これはもしかして……」
 慌てて否定しようとするより先にゼブランが気がつき、驚きの声を上げる。持ってもいいかと尋ねてきたので手渡すと、まじまじ検分したゼブランは目を輝かせた。
「これはデイルズの小手だね? しかも母さんのものに似てる……そう、こういう模様が描かれていた……少し違うけど、でもそっくりだ。驚いたな、一体どうしてこれを?」
「以前、お前が言っていた事を思い出したんだ」
 嬉しそうな様子にほっとして、シャーリィンは肩の力を抜いて説明する。
「デイルズの母君と小手について、話してくれただろう? これはそのものではないが、少しは思い出のよすがになるかと思って」
「ああ、そんな話もしたっけね、よく覚えていたな。じゃあ、本当にこれを僕にくれるのかい?」
「私が使っていたものだから、傷がついてしまっているが、それでもよければ」
 途端、ゼブランが動きを止めた。小手とシャーリィンを見比べ、君のもの? と訝しげに言う。
「そう。それは私の父の形見なんだ。中古で悪いが、使ってもらえたら嬉しい」
「……待ってくれ、シャーリィン。つまり……つまりこれは、君にとって大事なものなんだよな? 慣れ親しんで、しかも思い出もある品だ。そんなものを、どうして人にやるんだ」
 それまでの上機嫌が嘘のように、ゼブランが真剣な顔で言い募る。しまった、言わなければ良かったと後悔しても遅い。どうしてと言われても、とシャーリィンは困って眉根を寄せた。
「私は、ただ……、お前には普段から世話になっているし、ガントレットでは多大な迷惑をかけたし、それに」
「それに?」
「……お前は最近、私を避けている気がする。私はきっと気づかない内に、何かよほどお前を怒らせるような事をしてしまったんだろうと思ったから、少しでも……償いが出来ればと」
「……」
 ひゅ、とゼブランが音を立てて息を飲む。ずんと空気が重くなった気がして、シャーリィンは俯いてしまった。
(しまった、黙って贈り物だけすればよかったんじゃないか)
 嘘をつくのが苦手なのでぺらぺら喋ってしまったが、もので機嫌を取ろうなんて、かえって失礼な気が、今更してくる。これではますます相手を怒らせてしまうのではないか。
「あの……ゼブラン、済まない。私はまた、浅はかな事をした気が……」
 そうして沈黙に耐えきれずに謝罪を口にした時。
「――もしこれが迷惑料だと言うなら、もっと別のものでもいいんじゃないか?」
 不意に切りつけるような鋭い声が刺さり、がしっと両腕を捕まれた。
「!?」
 びくっとして見上げた視界に映ったのは、ひどく苛立たしげな表情でこちらを睨みつけるゼブラン。その手から落ちた小手が、がらんがらんと床に転がるのをけ飛ばして、ぐいっと力強く押してくる。
「ゼ、ゼブラン?」
 腕を握るゼブランの手は痛いほど強く、熱い。その怒り顔は、ハイドラゴンから彼女をかばった時のそれと似ていて、思わず身がすくむ。抵抗する事も思いつかないまま、ずいずい押されて部屋の半ばまで移動すると、背中が細い柱にぶつかった。
(え?)
 ぱっと振り返った背後には、清潔に整えられた天蓋つきの寝台がある。それを目にした瞬間、なぜか分からないままシャーリィンの肌が粟立った。もう一度ゼブランを見上げ、
「ゼブラン、その、腕を離して」
 くれないか、と言い掛けた時、視界がふっと暗くなり、自分の唇に、熱を帯びた唇が押しつけられた。


 起こった事が理解できず、ただ熱と柔らかな感触が容赦なく押しつけられてくる。シャーリィンはぎょっとして身を退こうとしたが、背中は柱に押さえつけられ、両手も血の気が引きそうな程力任せに握られていて、身動きが出来ない。
「んっ……ゼ、ブっ……!」
 名を呼びかけようとしたが、口を開いた途端にゼブランはなおさら深く唇を重ねて、唇の間に舌を滑り込ませてきた。
(や……やだっ……!)
 他人の舌が口の中に入ってくるなんてぞっとする。かつて味わった事のない感触に総毛立って、シャーリィンは逃げようともがいた。
 だがゼブランは角度を変えながら何度も唇をなぞり、シャーリィンの舌を無理に誘い出して絡め、音を立てて蹂躙しながら熱い吐息を吹き込んでくる。
「っ……、ふ、ぁ……」
 執拗なまでに繰り返される口づけに息を奪われて、頭がくらくらしてくる。おまけに何故か体の力が徐々に抜けて、背中を何か得体の知れない熱が駆け上っていく。ゼブランが腕の拘束を外してもシャーリィンはもはや足に力が入らず、逃げる事さえ思いつかなくなっていた。
「ハァ……シャーリィン……」
「ゼ……ブ、ラン……」
 荒く息を漏らしながらゼブランが名前を呼ぶと、めまいがして、膝から崩れ落ちそうになる。思わず腕にすがりつくと、ゼブランは一瞬躊躇った後、シャーリィンの腰に手を回して、ふわっと持ち上げた。そして寝台に下ろし、その上に屈む。
「あ……の、ゼブラン……何が……」
 どうなっているのか、理解出来ない。朦朧としながらゼブランを見上げると、肩で息をしているゼブランは顔を歪めた。ああ、と低く、何故か怒りがこもったような呻きを漏らすと、
「……決まってるだろう? シャーリィン。深夜に男を自室に招いて、お礼がしたいなんていったら、する事は一つだけだ」
 それからどこかとげとげしい、攻撃的な口調で吐き捨てた。
 そのあまりにも強い口調にひっぱたかれたような気がして、シャーリィンは目を瞬かせる。濡れた唇を手で無意識に拭いながら、何を言っている、と問いかける。
「私は……お前は、機嫌が悪いのかと……」
「悪い? 悪い訳がない。こんなに美しくて強くて、他に類を見ないような素晴らしい女性を前にして、上機嫌にならない男なんていやしないさ」
「だ、だけど……今お前は、間違いなく怒ってるじゃないかっ」
 言葉と態度が裏腹すぎて、意味が分からない。混乱して叫ぶと、ゼブランはあざ笑うように口の端をあげた。
「君の勘違いだよ、シャーリィン。君は時々、とんでもなく見当違いな事を言う。僕が君に怒る? あり得ない。初めて見た時からずっと恋いこがれてきたこの体をようやく抱けるって時に、何で怒るんだ?」
「……抱っ……な、な、何をするつもりなんだお前は!!」
 そこでようやくこの体勢の意味を理解し、シャーリィンは全身の血の気が引き、また頭まで上ってくる音を聞いた。
 カーッと顔が熱くなり、慌てて起きあがろうとするが、それより早くゼブランの手足がシャーリィンを押さえつけ、どうやってか分からないが身じろぎさえ封じてしまう。
「や、やめろ、離せゼブラン!」
 冗談じゃない、望んでもいないのに床入りするなんて!
 手足を動かそうとじたばたしながら抗議するが、ゼブランはハハ、と低く笑って顔を下げた。吐息が首筋にかかり、びくっとするシャーリィンの反応を楽しむように、くつろいだ襟元からのぞく鎖骨の上をゆっくりと唇で撫でていく。
「怯えなくても良い、シャーリィン。アンティヴァの売春宿で習った技は、君が想像もしえないような、めくるめく快楽をもたらす。そんなに嫌がるような事じゃない……むしろ一度味わってしまえば、とりこになる事間違いなしだ」
「ば、馬鹿を言え! 大体、私とお前は恋人でもなんでもないのに、どうしてこんな事になるんだ!」
 ぞくぞくする感覚にあらがいながら、声を震わせ怒鳴ると、ゼブランは頭を上げて、再度シャーリィンをのぞき込んできた。また口付けされるのかと顔を背けるが、ゼブランはシャーリィンの耳に唇を寄せ、優しく囁く。
「難しく考える必要はない、シャーリィン。君はここまでよくやってきた。この細い体には重すぎるほどの大任を背負ってやってきたんだ。その分心がすり減り、疲れ切っているだろう?」
 とがった耳の先端をゼブランが噛み、ねぶる。その感触にぞわりと鳥肌を立て、一方でそそぎ込まれる柔らかい言葉の一つ一つが突き刺さり、
「こんなのはちょっとした気分転換、楽しみの一つだ。大丈夫、君は何もしなくてもいい。僕が最初から最後までやってあげるよ。だから、気を楽にして、さぁ……」
 甘い吐息と共に、離れていたゼブランの体が覆いかぶさってきた時、シャーリィンはカッと目を見開いた。
 ガンッ!!
「っ痛!!」
 勢いよくゼブランの額に自分の額を打ち付け、痛みに怯んで力が抜けた手を振り払うと、わき腹に膝蹴りをたたき込む。
「ぐっ!」
 ゴッと重たい音を立てて膝がめり込み、勢いをつけてゼブランの体が寝台の外へ吹っ飛ぶ。どざーっと絨毯の上を滑るのを視界の端におさめながら、シャーリィンは跳ね起きて枕元の剣を取った。素早く鞘を払って飛び降り、
「動くな!」
 床にうずくまるゼブランに切っ先をぴたりと突きつける。脇を押さえてげほげほとむせていたゼブランは、首筋に当てられた冷たい刃の感触に一瞬硬直し、
「……ああ、まずったな。僕は君を怒らせたのかな?」
 顔をしかめながら、こちらを見上げてくる。
 その様子はいつものゼブランのようでいて、もっと弱々しく見えるようで、しかし先ほどの態度を思えば、弱気を装っているのではないかと疑いたくもなる。
「……出て行け」
 体の奥からこみ上げてくる、名状しがたいほどの怒りに震えながら、シャーリィンは命じた。憤激のあまり視界がうっすらにじみ、剣も揺れてしまう。
「出て行け、今すぐに!」
 動揺を隠そうと、更に大きな怒声を浴びせると、ゼブランは素早く立ち上がった。
 その表情は一転、何かいいたげに気弱なものになっていたが、結局無言のまま、するりと出て行ってしまう。
 ほとんど聞こえないような静かな足音が遠ざかっていくのを確かめた後、シャーリィンは急いで扉を閉め、鍵をかけ、――そしてその場に座り込んだ。
「…………」
 今何が起きたのか、理解出来ない。違う、理解したくない。そう思いながら、しかし頭の中ではとうに答えが出ていて、揺るぎないものとしてシャーリィン自身に突きつけてくる。
 ゼブランに襲われた。しかも、一時の慰みとして。
(どうして)
 強ばった指を一本一本はがして、ようやく剣を手放す。がしゃんと落ちたその先に転がるデイルズの小手を認めた途端、目からどっと涙があふれ出た。
(どうして、こんな事になるのか)
 私はただ、感謝したかっただけなのに。彼に何か報いてやりたいと思ったのに。
「う……う、うぅ、うーっ……」
 きつく歯をくいしばり、シャーリィンは泣き声を懸命にこらえる。胸の痛みが刻一刻と増して、息が出来なくて苦しくなるほどに、ただひたすら悲しかった。