辿るは女神の足跡7

 このところずっと、視線を感じる。どこにいても、何をしていても、追いかけてくる眼差し。
 振り返るとそこには必ず彼が居て、その真っ直ぐな瞳はいつも柔らかく、それでいて狂おしい光を宿しているので――いつの頃からか、彼が怖いと思うようになっていた。今更恐れる理由など、何もないはずなのに。

 レッドクリフ城の一室で荷物をまとめ直していたシャーリィンは、ふう、と大きく息をついた。
 やっと人間だらけの場所から出ていけると思えば、自然とため息が出てしまう。
 レッドクリフを襲っていた悪魔は、幸いにもこれ以上の犠牲を出すことなく退治できた。
 しかし悪魔によってフェイドに閉じこめられたイーモン伯爵の意識はいまだ戻らず。
 どんな薬も魔術も効かないとあっては、もはや伝説に頼るしかない。仕方なく一行は、あるかどうかも分からない、万能薬たるアンドラステの聖灰を求める旅に出ようとしていた。
 今はその準備をしているところなのだが、シャーリィンはまともな当てのない旅の行く先を案じるよりも、この石の建物や人間達から離れられる事に安堵していた。
(アリスターの言葉は尤もだと考えを改めはしたが……やはり、息苦しい)
 種族の違いで差別するなと説教された結果、シャーリィンは努めて人間達と冷静に、相手の立場を考えて対応するようにしていた。
 以前のむやみにつっけんどんな態度を改めたせいか、レッドクリフの人々は驚くほどすんなりシャーリィンを受け入れてくれたので、やたら敵意をむき出しにするのは良くないなとシャーリィンも実感はしている。
 だが、それはそれとして、やはり人間達ばかりの場所に身を置くのは、居心地が悪い。
(早く外に出よう。野宿の方がまだ気楽だ)
 そう思いながら鞄の紐をぎゅっと引き絞った時、コンコン、とドアがノックされた。どうぞと言えば、開いた扉の向こうからレリアナが顔を出す。
「シャーリィン、準備は出来た? 他の皆はもう行けるみたいよ」
「ああ、分かった。私も大丈夫だ。行こう」
 鞄を背負い、レリアナと共に部屋を出る。
 彼女たちが廊下を歩けば、行き交う人々は皆一様に道を開け、恭しく頭を下げた。
 難局を打開した救い主として、城内の者はシャーリィンらを高貴の者のように扱う事にしたらしく、それがまた居心地が悪い。
 気むずかしい顔でその前を通り抜け、ふうと息を漏らしたシャーリィンは、しかしそこでぱっと後ろを向いた。後頭部に刺さるような視線を感じた故で、自身も剣呑な表情でそちらを睨みつけたのだが、
「あっ……も、申し訳ありません!!」
 それに震え上がったのは、召使いのエルフ達だった。どうやら部屋に隠れて、その前を通り過ぎたシャーリィンをこっそりのぞき見ていたらしい。こちらから視線を向けられると、卑屈に頭を下げ、あっと言う間に消えてしまった。
「う……むぅ」
 その怯えた様子を見て、シャーリィンは決まり悪げに髪を払った。せっかく同族と出会えたというのに、むやみに怖がらせてしまった。どうせならひととき、息抜きに語り合いたかったのに。
「まぁ、シャーリィン。そんな怖い顔で睨みつけなくてもよかったのに」
 同道のレリアナにもそう言われ、そんなつもりは無かったんだが、とシャーリィンはぼそぼそ呟いた。
「てっきりゼブランかと思ったから、つい……」
「ゼブラン? 彼ならもう広間に行ってしまったけど。……あぁ、でも勘違いするのは分かるわね。彼、あなたの事いつも見てるもの」
 途端、レリアナがにんまりと笑う。好奇心に満ち満ちたその笑顔に嫌な予感がして、シャーリィンは足早に歩き始めながら、
「その話はやめろ。苛々する」
 ぴしゃりと言いはなった。
 しかしシャーリィンのそういう反応にも慣れてしまったのか、レリアナは隣に並んで歩きつつ、あらいいじゃない、と華やいだ声を上げた。
「ゼブランみたいな人に好かれるのって素敵だわ。そりゃあ、あれこれと規格外で厄介なところはあるけど、彼と一緒にいると楽しいでしょう?」
「楽しくない。さっきも言ったが、苛々する」
 むすっとした表情でシャーリィンは文句を言う。
「どうしてあいつは、あんなにじろじろ私を見るんだ。不平なり不満なり言いたい事があるなら、直接言えばいいじゃないか」
 そう、ゼブランがなぜ自分を注視するのか、その理由が分からない。
 シャーリィンは元々、その特異な容姿故に、人目をひく。
 物珍しい獣のように好奇の眼差しを向けられるのがしょっちゅうなので、シャーリィンはそれを嫌って、いつもフードを被るようにしていた。
 とはいえ四六時中そうしているわけではなく、最近は旅の仲間達だけしかいない時は、マントを取って楽に過ごすようになっていた。彼らはもうシャーリィンの見た目に慣れて、妙な特別扱いをしないからだ。
 しかし、その中でゼブランだけは、いつまでも変わらない。いや、以前よりもひどくなっている気がする。
 最初に出会った時から、ゼブランはシャーリィンを見つめ続けている。
 何か用があるのかと声をかけても、返ってくるのはたいてい、他愛のない戯れ言だけ。それなら無視して構わないだろうと判じて放っておいても、やむことなく視線を感じる。
(それが特にひどくなったのは……あの時からだ)
 思い出すだけで顔から火が出そうになる――ゼブランの様子が更に変化したのは、シャーリィンが湖で水浴びをしていた時からだ。
 それまでは余裕の笑みを含んでいた表情が、ふっと真顔になり、怖いほど真剣な眼差しを向けてくるようになった気がするのだ。
 あの視線を向けられると、シャーリィンは無性に恥ずかしくなって逃げ出したくなる。
 湖でのあられもない事故を思い出すのはもちろんの事、異常にいたたまれない気持ちにさせられる――なぜなら、妙な話、彼の視線はまるで服を一枚ずつ脱がして、シャーリィンを丸裸にしているかのように感じられるからだ。
(話をする時は普通なのに、何であんな目で見る)
 あの目を思い出して同時にぞわっと鳥肌が立ち、シャーリィンは腕をさすった。と、レリアナがまじまじとこちらを見つめ、
「ねぇシャーリィン。もしかして、彼がどうしてあなたを見ているか、本当に分からないの?」
 不思議そうに問いかけてくる。分かるか、とシャーリィンは不機嫌に言い捨てた。
「あいつはいつも冗談でごまかして本音を言わない。そんな奴の考える事なんて、分かるわけがないだろう」
「……シャーリィン、あなたって……」
 レリアナはもう一度こちらを凝視した後、深々と息を吐いた。頭を振って、
「あなたって時々、とんでもなく勿体ない人だと思うわ。自分の思いこみが間違ってるかもしれないって考えたりしないの?」
「……最近は配慮してるつもりだが」
 アリスターの指摘で、シャーリィンは自身の狭量さを思い知った。
 十分相手の立場に立って考えているかと問われれば足りないかも知れないが、それでも努力はしているつもりだ。そのおかげでレッドクリフ(ここ)では大層気疲れするくらいには。
 それなら、とレリアナは肩をすくめた。
「彼があなたを悪く思ってない事だけは、理解してあげた方がいいと思うわよ。一度じっくり話し合ってみたら?
 ああ見えてゼブランはきちんとわきまえてるから、何も分かってないあなたを、無理矢理どうこうする事はないでしょうし」
 無理矢理どうこうする? 何だそれは、また命を狙われるということか。
 一瞬懸念を抱いたが、レリアナの様子からしてそういう訳ではないようだ。よくわからない。……が、
「まぁ……考えてはみる」
 これもまた、グレイ・ウォーデンとして必要な試練なのかもしれない。
 腑に落ちなかったが、シャーリィンは広間への扉をくぐりながら頷いた。
 レリアナから正面に顔を向けた途端、広間で待っていた仲間の内、ゼブランからまたも悩ましい視線を投げかけられて、いきなり気圧されてしまうのだが。