鮮やかな碧の瞳が輝く。その瞳を縁取るまつげを二・三度瞬き、彼女は横を向いた。すっと通った鼻筋の横顔は精緻なカメオに収められた肖像のように端正だ。吹いた風で銀糸のような髪がなびき、その視線を遮って前にかかった。ほっそりとした指がそれを払い、もう一度瞬き。その眼差しがふと、こちらへ向いた。
その際に向けられる表情は時々で異なる。
ある時はあからさまな不快の色に染まり、ある時は戸惑いと羞恥の色を浮かべ、またある時は全くの無関心で通り過ぎた。
そのどれもが彼の目には気高く映り、胸を焦がすほどに美しく、だからこそ触れてはならぬものなのだと、強く刻み込んだ。
――そう、あれは不可侵の聖域。汚れた身では近づくことさえ出来ない――
「ゼブラン。そう不躾に眺めるのはやめにしたらどうかしら」
「ん?」
現実の声が夢想を断ち切る。ハッとして目を向けると、いつの間にやってきたのか、目の前にモリガンが立っていた。
ゼブランの視界を遮るように立つ彼女を見上げ、何のことかな、といつもの声音で答える。
「どうしてそんなに怒った顔をしてるんだい? 可愛い魔女さん」
「とぼけないで。朝から晩まで飽きもせず、気持ち悪いくらいシャーリィンを見続けてるじゃない。だれも気づかないと思ってた?」
「へぇ、そうかい? 僕は気づかなかったな」
木箱に腰掛けて足を組み、その上に頬杖をつく彼を、モリガンは冷ややかに睨み下ろした。
「何が目的なの、ゼブラン? シャーリィンの隙を狙って、いつ命を奪おうか計算中ってわけ? 仕事熱心で結構な事ね」
「そういう訳じゃないさ、モリガン。考えすぎだよ」
「あらそう? だけどそんなに四六時中、シャーリィンを見張るのは何故かしらね……」
切りつけるような詰問を次々とぶつけてくるモリガン。それを適当に相づちをうって聞き流しながら、横に身をずらしてモリガン越しに視線を向けると、シャーリィンは、急ごしらえの武具を身にまとった村長、マードックと話し込んでいた。
時は夕暮れにほど近く、場所はレッドクリフの村。
イーモン伯爵を訪ねてやってきた彼らの前には、正体不明の敵に襲われて恐怖に怯える村人達がいた。
その上、レッドクリフ城とも音信不通状態と知ったシャーリィンは、少し考えた後、助力を申し出た。
夕刻に城からやってくるというその敵を撃退し、逆にこちらから攻め入ってイーモン伯爵がどうなっているのかを確認しなければならない、というのが彼女の言だった。
シャーリィンが人間を嫌っているのは、普段の態度を見ていれば十分わかる。ブレシリアンの森では同族相手だったので問題解決を快諾していたが、彼女は人間がどれだけ困っていようと、私個人には関わりない、という態度をとるのかと思っていたのだ。
(だが、今回は違う)
シャーリィンは感情をよく抑え、イーモン伯爵の弟ティーガンや、マードックと、戦いの準備について入念に打ち合わせている。
また村人で非協力的な者がいれば、自ら出向いて説得した(ドワーフのドウェインが立てこもっていた時は、問答無用で扉の鍵を蹴り壊したが)。
その姿勢は今までの頑ななエルフのそれとは、全く違う。そもそも、人間の前でフードを外すのも、これまであまり無かった事だ。
ゼブランだけでなく、それは皆気づいているだろう。前よりずっとつきあいやすくなった、とレリアナが喜んでいたっけ。そんな事を思い出した時、再び目の前がモリガンの体に塞がれ、
「ゼブラン、私の話を聞きなさい。一体何をたくらんでるの?」
再びきつい声が耳に飛び込んできた。ゼブランはニヤッと笑い、
「ひどいな、モリガン。僕は彼女を見ているだけで、指一本触れちゃいないだろ? 見つめる事も許してくれないなんて、それはあんまりにも残酷じゃないか?」
「今は見てるだけでも、そのうち何かしでかすとも限らないじゃない。何といっても前科があるんだもの。不審な行動をすれば、警戒されるのは当然でしょう」
「ハァー……いい加減、過去の過ちは水に流してもらえないかな。そりゃ君にしてみれば、友達の命を狙いにきた元暗殺者なんて、信用できないんだろうけど」
途端、モリガンの細い眉がぴくっと上がった。なおさら不機嫌な表情に塗り変わり、
「別にシャーリィンとは友達なんかじゃないわ。ただ、暗殺者なんかを引き入れた挙げ句、そのせいで死んだなんて間抜けな結果になるのは御免ってだけよ。散々連れ回された挙げ句にそれって、苦労のし損じゃない。好きでついてきた訳じゃないけど、これまでの行動がまるっきり無駄になるなんて、考えたくもないわね」
「ハハー、急に雄弁になったね、モリガン? シャーリィンに肩入れする理由をそんなに一生懸命説明するのは逆効果だ」
声を上げて笑い、ゼブランは急所をつくようにモリガンを指さした。
「本当に思い入れがないのなら、もっと簡潔に嫌いな理由を挙げればいい。それじゃかえって、彼女の身を案じていますと声高に宣言しているだけだ。
それなら素直な気持ちを表現した方が可愛らしいよ、モリガン。シャーリィンの事が心配でならない、目が離せないってね」
「何言ってるのよ、バカバカしい!」
その指摘は、よほど鋭く彼女の胸に刺さったらしい。モリガンは声をあらげて身を翻し、
「とにかくシャーリィンに妙な真似はしないでちょうだい、ゼブラン。もし間違いを犯したら、その時は――そうね、きっとアリスターがあなたの首をはねて楽にしてくれるでしょうよ」
捨てぜりふを残してすたすたと逃げていってしまった。その艶めかしい背中をくすくす笑いで見送ったゼブランは、再びシャーリィンへ視線を戻した。
マードックとの打ち合わせを終えたらしい白のエルフは再びフードをかぶり、こちらに背を向けてレッドクリフ城を見上げていた。
忙しく立ち回る男達の中でその姿は一際小さく、頼りなく見える。細い双肩にかかる重荷が目に見えるようで、ゼブランは瞳を細めた。浮かんだ笑みは自然と消え、自身では気づかないまま、その表情が憂いを帯びて沈む。
(間違いなど犯しようがないさ、モリガン)
煩悶を仲間への呼びかけにかえて、述懐する。
(僕は決して彼女を傷つけない。近づかない。その足下にひざまずき、頭を垂れるだけで良しとするから)
決してあの気高いデイルズの娘を、傷つけはしないと心に決めているから。
――だから、見ることだけでも許して欲しいと。
それだけはせめて、自由にさせて欲しいと、ゼブランは誰にともなく祈る。
多くは望まない、ただその願いだけでも叶えたいと、強く……強く、心に抱いて。