それは死を覚悟しての任務だった。
任務を達成する為に命を賭けたのではなく、ただ死ぬ為に引き受けた仕事だった。
それまでの人生を終わらせ、苦痛のない世界へ旅立ってしまおうと心に決めて挑んだというのに――よりにもよって運命の女神は、彼の命ではなくその魂を奪い去ってしまったのだった。
「……シャーリィン! こっちに来てくれ! こいつ、まだ息があるみたいだ」
手下のことごとくが倒され、自身もまた傷つき地面に伏した。彼を盾で弾き飛ばした屈強な戦士が呼びかけると、音のない軽い足取りでその仲間が歩み寄ってくる。
(あぁ……これでやっと終われるのか)
死の鉄槌はむしろ望むところだ。彼は朦朧とする頭を持ち上げる。その前に立ったのは、薄茶色のマントを纏い、フードを深く被った人物だった。
「尋問するか? 俺たちを襲うように指示したのが誰か、分かるかもしれない」
盾の戦士の口振りからして、これが彼らのリーダーなのだろう。フードの人物は軽く頷いてこちらを見下ろし、
「……待て。エルフだと?」
驚きの声と共にふわり、とフードを下ろした。その姿に、(これは――)彼もまた意表を突かれて、ハッと目を瞠る。
それは純白の女だった。
肌も、髪も、色が抜け落ちたように白く、それ自体光を放っているかのよう。唯一色彩を帯びているのは峻烈な光を潜めた碧の瞳と、柔らかそうな赤い唇だけ。
繊細に整った端正な顔立ちは女神像を思わせる近寄りがたさで、息を飲むほどに美しい。そして、しゃらりと音を立てて揺れる髪の合間からのぞきみえるのは――彼と同じ、尖った耳。
「エルフが盗賊に身を落とすとは、おぞましい限りだな」
朱色の唇は世にも妙なる美声を紡ぎ、エメラルドの瞳が彼の姿を捕らえる。その眼差しを見つめ返した時、彼は死を忘れた。うっとりとため息を漏らし、いつもの癖で嘯く。
「あぁ、でもエルフの誰もがグレイ・ウォーデンになれるわけじゃないだろう? しかもこれほど美しい女性とは……事前に聞いていれば、花束の一つも用意したというのに、失敗したな」
それを聞くと、彼女は不快に眉をひそめた。
「……下らない世辞を聞く暇はない。貴様が誰に依頼されたのか、吐け」
そういいながら、素早く弓に矢をつがえて狙いを定める。その姿もまた絵に描いたような凛々しさで、このまま命を奪われても構わないとさえ思ってしまう。
目の前に
「尋問の必要はないよ。僕の名はゼブラン。友達はゼブって呼ぶ。アンティヴァの黒カラスの一員で、グレイ・ウォーデンの生き残りを抹殺する為に送り込まれた……」
いっそ軽薄なまでにあっさりと依頼内容を吐き出し、彼女――グレイ・ウォーデンのシャーリィンにほほえみかけたのだった。
「自分を殺そうとしたアサシンを仲間に入れるなんて、全く、正気じゃないぜ」
「まだ言ってるの? アリスター。そんなに不満なら、今からでも彼女に進言してきたらどうかしら」
日が暮れ、一行は山中でキャンプを張った。
ひととき戦いを忘れ、ささやかな夕餉を楽しみながらもぼやくアリスターに、レリアナが苦笑して応じた。昼の襲撃からずっと、彼はゼブランの存在に神経をとがらせ、ぴりぴりしているのである。
「シャーリィンがそんなこと聞くわけないだろ」とアリスターが目を向けると、本人は自分のテントの側でスープを黙々と片づけていた。フードをはずしているため、明かりの端にあっても、その白い姿はぼんやり浮き上がって見える。
「あいつは人の話なんて聞きやしないからな。ロザリングで盗賊に遭った時だって、一言の弁明もさせずにばっさり、だ」
「あら、盗賊にも情けをかけろっていうの? ずいぶん慈悲深い事ねぇ、アリスター」
皮肉っぽく口を挟むのはモリガンだ。彼女もまた離れて食事をしていたのだが、空になった皿を押しつける為に近寄ってきたらしい。それを渋々受け取りながら、アリスターは首を振った。
「そういう訳じゃない。ただ、シャーリィンは何というか……ちょっと容赦がなさすぎないか。特に人間に対して、冷淡というか」
それは仕方ないわ、とレリアナは眉根を寄せる。
エルフと人間は過去争い、エルフはその戦いに敗北した。
ある者達は劣悪な環境での隷属を強いられ、ある者達は永遠に流浪の旅をし続けなければならない現状を考えれば、エルフが人間に好意を持つことを期待しても難しいだろう。
「特に彼女はデイルズ――シティエルフと違って、種族の誇りを掲げる高潔なエルフ達の一員ですもの。私たち人間とはそう簡単に馴染めないでしょう」
「じゃあ同じエルフなら、アサシンでも受け入れるって? そんなのどうかしてるだろ」
苛立ちを隠しきれず、アリスターはきっと目を鋭くした。
シャーリィンから右手に視線を移動すれば、そこには倒木に腰掛けたゼブランがいる。足を組み頬杖をついた彼は、先ほどからずっとシャーリィンを見つめてニヤニヤしていた。
そのにやけ面がまたアリスターの気に障る。いつ裏切るかも分からない背信者が、さらにいかにも下心満載の笑顔で仲間を見ているなんて、我慢ならない。
今すぐやめろと怒鳴りつけるべきかどうか考え始めるアリスターに、サークルの魔導士ウィンが話しかける。
「アリスター。シャーリィンは確かに独善的な面があるわ。グレイ・ウォーデンとしての自覚に欠けてるとは思うけれど、一方で彼女はサークルの魔導士を救う努力をしてくれた。彼女の口添えがなければ、テンプル騎士団が解散権を行使し、サークルは崩壊していたでしょう」
「それは……」
「魔導士の力がブライトに対抗するために使えると判断したからでしょう? 私はそうは思えないけど。
ともあれ、シャーリィンは自軍の勢力を少しでも保つ為に選んだにすぎないわ。感傷的な理由ではなかったはずよ」
実際的な考えを好むモリガンが、嫌っているサークルの救済に参加したのは、シャーリィンがその考えを事前に語っていたからだ。そうねとウィンは頷き、それでも、と続ける。
「彼女はこの先、数え切れないほどの苦しみや痛みと対峙する事になるわ。その中で、今は同族にしか向いていない暖かな感情を、他の者達にも与えられるようになっていく必要があるでしょうね。ブライトに向けて結束しなければならないとすれば、なおさら」
ウィンは理知的な眼差しを元暗殺者へ向け、
「私はそのきっかけになるのが彼、ゼブランではないかと思うのよ。人間社会に一人放り出された彼女がやっと巡り会った同胞ですもの。
もちろんしばらくは動向に注意する必要があるでしょうけれど、彼女の為にも、ゼブランを受け入れられるように努めてはどうかしら」
「……うーん」
ウィンの言葉にアリスターは唸った。まだ納得いかないが、言われてみればこれまでの道中、シャーリィンがリラックスしている様子を見た事がない。
同じグレイ・ウォーデンという点でアリスターには多少気を許している雰囲気はあるが、あの美しいエルフが微笑んだり、冗談を言うような機会は全くなかったのだ。
異種族に囲まれる中で、彼女が一瞬も心安らぐ事が出来ないというのなら――確かに、同族のゼブランの存在は、救いになるのかもしれない。
「分かった。この件に関してはこれ以上、何も言わない」
がらん、と二枚分の皿を地面に投げだし、アリスターは両手をあげた。
「ただ、もしゼブランが不穏な行動をとるようであれば、そのときは容赦なく叩き出す。それでいいよな?」
「大丈夫よ、アリスター。皆、彼女を気にかけているもの。間違いなんて起こりっこないわ」
レリアナがにっこり笑うその後ろで、モリガンが仲良しごっこはごめんだと言いたげに口を曲げる。そうだな、と口の端をあげたアリスターは、もう一度シャーリィンへと視線を戻した。
それは女神を思わせるその美しい姿を目に焼き付けたいと無意識に願った故だったが、しかし麗しい白のエルフは、食器だけを残してテントの中へ入っていってしまった。今日もまた、誰とも必要以上の会話をしないままに。