手に入れたいものは隠せば全部自分のものになると思っていた。
あたしはそのための力を持っていたし、実際、あの子の人形も、あの子のお菓子も、あの子の髪飾りも、簡単に手に入った。
あたしが望むものは皆あたしのものになった。あたしはそれが当たり前だと思っていたし、それが絶対の真実だと信じていた。
あの日。あの人を箱の中に隠すまでは。
ガラスを隔てた向こうには、煌びやかなアクセサリーが綺麗に並べられていた。
シルクの艶やかな布をかぶせた台座の上に恭しく飾られているのは、マカロンカラーの大きな石を中央に据え、シルバーでハートを象った指輪。ライトを浴びてそれは燦然と輝き、リルカの心をとらえて離さなかった。
(あれ、欲しい)
通りに面したディスプレイにぴったり顔を寄せ、それを食い入るように見つめるリルカ。と、その頭にどん、と腕が乗った。
「いたっ!」
「おいこら、リルカ。お前、俺ばっかり働かせてんじゃねぇよ」
いつの間に近づいてきたのか、リルカの脇に、黒ずくめの男がいた。ビニール袋を持った手とは反対の腕で、無遠慮にこちらの頭に肘をつき、むすっと口を曲げている。ちょっとやめてよ、とリルカは声を上げて押しのけた。
「何すんのよ、銀城! セットが乱れちゃうじゃないの!!」
「なーにがセットだ、んなもん、ちょっと手で直しゃいいだろ」
「きゃー!」
ぐしゃぐしゃとかき乱され、リルカは悲鳴を上げた。
「ばか銀城、二時間もかかったのに! あんたみたいな適当頭と一緒にしないでよ!」
「へーへー、そりゃ失礼しました。いいから帰んぞ」
全く反省の色のない調子でくるりと背を向ける銀城がむかつく。こんなにめちゃくちゃにしておいて、なんて失礼な奴だ。リルカはとっさに銀城のジャケットを掴んで引っ張った。
「あん? 何だよ」
ぐんと勢いよく引かれ、銀城はたたらを踏む。不機嫌顔で振り返るのを首が痛くなるほど見上げて、リルカは仁王立ちのまま告げる。
「銀城、あれ欲しい」
「は。あれって……あの指輪か」
指さしたそれを見て、銀城は顔をしかめた。一応というように身を屈めてそれを検分し、
「……あぁ!? なんだこりゃ、五万もすんじゃねぇか! こんなの買ってどうすんだ!」
呆れかえったと声をあげる。いかにもバカバカしいというその声音に、リルカの怒りゲージはさらに上昇した。
「何よ、男ならこれくらい気前よくプレゼントしなさいよ!」
「あほか、何で俺がお前にプレゼントしなきゃならねぇんだよ!」
「絶対あたしに似合うんだからいいじゃない、可愛い女の子にプレゼントの一つも出来ないの? この甲斐性なし!」
「誰が甲斐性なしだコラァ!! 大体十二のガキのくせに、こんなもんねだるな!」
ガキ、という単語が、勘に障る。ピンク髪の少女は銀城をキッと睨みつけ、
「何よ、あたしガキじゃないもん! 銀城のけち!!」
ガスッ!
「痛ぇ!?」
罵声と共に向こうずねを思い切り蹴りつけ、身を翻して駆け出す。
その後ろから「おい待てよ、どこ行くんだ!」という呼び声が追いかけてきたが、それも振り切って、通りを走り抜けた。<
あたしは特別な存在だ。
他の誰も持っていない力があって、その気になれば世界だって、自分のものに出来る。
だから、特別が欲しかった。
あの子の人形は、お母さんに作ってもらったものだし、あの子のお菓子は好きな子の為に作ったものだし、あの子の髪飾りは死んだおばあちゃんが選んだものだった。
あたしはそういう特別を持っていなかった。だから、人のものを隠して手に入れた。
だけど手に入れたそれらは、ちっともあたしの特別にならなかった。
なぜならあたしには、あの子のお母さんも、あの子の好きな子も、あの子のおばあちゃんも、全然関係ない赤の他人だったから。
だから、あたしは特別を探して、隠して、閉じこめた。
それが間違ってるって気づくまで、ずっと。
「……さむっ……」
足下から立ち上ってくる寒気にぶるっと震え、リルカは縮こまった。財布も持たずに銀城のところから逃げ出したせいで、リルカには行き場がなかった。店が開いている間はウィンドウショッピングをして十分楽しかったが、日が暮れて夜も更けると、寒空の下をうろつくしかなくなってしまった。
仕方なく目に付いた公園の、電車の形をした遊具の中に潜り込んだが、寒風をしのぐには無理がある。
(帰ろうかな)
ふと弱気が忍びより、すぐにぶんぶんと首を振って追い払う。銀城の事だ、のこのこ戻ったら、
『ったく、ガキが迷子になってんじゃねぇよ。ほんとどうしようもねぇな』
なんて怒るに違いないのだ。
(何よ、帰ってなんかやらないんだから)
今日はリルカが食事当番をする予定で、とびきり甘いホットケーキを作るつもりだったが、絶対帰ってなんかやらない。銀城なんて、せいぜいお腹を空かせて苦しめばいいのだ。
途端、きゅううとお腹が鳴って、リルカは顔が熱くなった。
(やだ……ホットケーキなんて考えるんじゃなかった)
お昼にパフェを食べただけなので、もうお腹はぺこぺこだ。ホットケーキを思い浮かべたら空腹がよりいっそう、切実に感じられる。リルカは情けない気持ちになって、膝頭に顔を埋めた。
(……このまま、死んじゃおうかな)
寒さと空腹で思考が鈍り、そんな事を思う。このままここに居たら、きっと朝までに死んでしまうだろう。一度経験したから、分かる。リルカがあの人に自分の能力をバラされて逃げ出した時も、こんな感じだった。
(あの時も、寒かったな)
冷えて感覚が無くなってきた指先に息を吐きかけ、リルカは震える。
まだ小さな子供だったリルカは部屋に閉じこめられ、白衣のおじさんやおばさんに訳の分からない試験をされ、このこはあたまがおかしいのだわと泣くママとパパの声を聞いてしまった。力を持つリルカを恐れ、気持ち悪がる人々は、もう友人でも家族でもなくなっていた。
だから逃げ出した。この人たちはリルカを理解してくれないのだと察してしまったから。
(分かってくれなくても、いいもん)
七歳のリルカは逃げながら思った。リルカは特別だ。こんな力は誰も持っていない。他の子達とは違う特別な存在だから、理解されなくても構わないのだと胸を張った。
だけど、行き先がなくて、今のように誰もいない公園で夜を迎えた時、リルカは無性に悲しくなった。
(寒い。寂しい。苦しい)
白い息を吐いて縮こまる少女を、探しに来る人は誰もいなかった。パパも、ママも、あの子も、あの子も、あの子も、誰もリルカを迎えに来てはくれなかった。
(どうして)
リルカの秘密がばれるまで、皆リルカを好きだといい、いつでもそばにいてくれたのに。こんなに寒くて、お腹が空いて、今にも倒れてしまいそうなのに、どうして誰も助けてくれないのだろう。
(あたしは、ただ特別になりたかっただけなのに)
なのにどうしてこんなに、寂しくて悲しいのだろう――
「……見つけた! こんなところにいたのか、バカやろう!」
「!?」
不意に静寂を破る大声が響きわたる。びくっとしたリルカが顔をあげると、壁に開いた穴から、銀城が顔を覗かせていた。こんなに寒いのに、息を切らし、額に汗さえかいて、リルカを睨みつけている。
『何やってんだ、お前。死ぬ気か?』
その顔が、あの時見た表情とかぶる。初めて死を間近に感じた時、たった一人になった自分を見つけてくれた、元死神代行のそれに。
(きて、くれた)
こわばった心が、ゆるり、とほどける。リルカは震えながら銀城を見つめ、
「ぎん――」
名を呼ぼうと口を開いた。だが歯の根が合わず、声が最後まで出ない。その様子を見て銀城はますます眉間のしわを深くして、
「このバカ、そんなになるまで意地張りやがって。ほら、出てこい」
遊具の中から引っ張り出すと、ジャケットを脱いでリルカに着させ、
「うわ、つめてっ。お前どんだけ外に居たんだよ、氷みてぇだぞ」
さっさと背負って歩き出した。寒さで朦朧としていたリルカはそれでも、うるさい、と弱々しく憎まれ口を叩く。
「もとはと……いえば……銀城が……けちなのが、悪いんじゃない……」
「誰がけちだ、誰が。お前がワガママなんだろうが。ああいうのはな、大人の女が身につけるもんだ。お前にはこれで十分だ」
そういって銀城は、片手でリルカを支え、空いた手でポケットから何かを取り出した。肩越しにぽいと寄越してきたのは、プラスチックの台座に大仰な宝石を象った飴の駄菓子だ。――子供だましにも程がある。
「なによ……こんなの、いらない……」
「ガキにゃ似合いのアクセサリーだろ。黙って食っとけ」
リルカの悪態を軽くいなして、銀城は夜道をずんずんと進んでいく。
「帰ったらすぐ飯にするけどな。秀の奴が腹減った、腹減ったってうるせぇんだ、何通もメール寄越してきやがって。あいつの文句はお前が引き受けろよ」
「勝手に……言わせておけば、いいのよ……」
戻ったら銀城と秀九郎の二人から説教と嫌味のフルコースかもしれない。それを煩わしいと思う一方で、リルカは冷え切った体を包み込む暖かさに、ほう、とため息をついた。偽物の指輪をはめ、甘い石を少しなめると、緊張がほぐれていく。
「……銀城」
「ん?」
「これ、全部食べたら、あたし太っちゃう」
「マッチ棒みたいな体してんだ。ちょっとくらい肉ついたって問題ねぇだろ」
「うるさい。……あたしだけじゃ食べきれないから、あんたも食べなさいよ」
そういって、リルカは銀城の首にしがみつき、指にはめた飴を差し出す。そりゃどうも、と銀城は皮肉っぽく笑った。そうして順番に飴を食べながら、二人はいつもの家路を辿る。
手に入れたものは隠せば全部自分のものになると思っていた。
だけど今、あたしは、自分のものにならないものがあるって分かっていた。
あたしを助け、月島を助け、同じように苦しむ連中を助けた黒ずくめの男は、誰のものにもならない。
『今度は俺たちが食い尽くす番だ』
そういって世界に牙をむいた男は、決してあたしのものにならないと分かっていてから――だから、いつか救われますようにと祈った。
あんたが、死にかけてたあたしを助けてくれたように。
いつか誰かが、傷だらけのあんたを助けてくれるように、と。
差し出された手の大きさを、大きな背中の温もりを、胸の宝箱の一番奥にしまい込んだまま、あたしはそう願わずにはいられなかった。
――あの日。黒崎一護に出会うその時まで、ずっと。