遠いようで近いその彼方に

 菊の花束を手に、道を進む。
 足取りは、重い。
「……ふう」
 何度目になるか分からないため息をついて、雪音は足を止めた。
 自分の気持ちを落ち着かせるために見上げた空は、くすんだ青色で、少しも気が晴れない。
『海燕さんのお墓参りに行って来ます』
 職場に復帰してようやく以前のペースがつかめた頃、雪音は思い切って烈にそう申し出た。
 止められるかと思ったが、烈は何も言わずに送り出してくれた。
 この花束は、烈からの手向けだ。
 隊舎にあった線香も一束くすねて、雪音は海燕の実家へ向かっている。
 だが、道のりは遅々として進まなかった。少し進んでは足を止め、また歩き出しては立ち止まってしまう。
(本当は、行きたくないのかな、あたし)
 海燕は都の夫だったので、二人でいるところに混ぜてもらって、ご飯を食べにいったり、お花見に行ったりと良く遊んでもらっていた。
 大雑把なところはあっても、気さくで、どんな事にも真っ向から立ち向かうその姿は正直格好よくて、さすが都さんは見る目があるなぁ、とちょっと思ったりもした。
 その強さが羨ましくて、照れ臭くてあまり言葉にしなかったが、雪音は海燕が好きだった。
 だから。だから、これから海燕の墓を参って、あの人の死を現実のものとして見るのが、怖い。
(…………でも、行かなきゃ)
 都の墓にはちょくちょく行ってるのに、海燕にはまだ一度も会いにいってない。
(……怖いけど、悲しいけど、どこかで海燕さんの事も、もう亡くなった人として区切りをつけなきゃいけないんだから、行かなきゃ)
「よっし!」
 気合を吐き出して、雪音は再び歩き出した。

「……何あれ」
 もう途中で躊躇う事もなく、ずんずん先を進んでいたけれど、海燕の実家近くと思しき場所まで来て、面食らった。
 流魂街外れ、というよりもう家の一つもないような郊外に、建物がある。住所と周りの様子からして、多分あそこがそう、なんだろう、けれど……。
「……何で垂れ幕……っていうか足……?」
 家の左右にどでかい足のオブジェが逆さまに立っている。
 そしてその指に紐を引っ掛けた垂れ幕には、これまたどでかく『志波空鶴』と達筆な文字が躍っていた。
「えぇと……」
 確か海燕の妹御が空鶴って名前だったので、実家は間違いなくあれのはずだ。
(何ていうか、ある意味芸術作品なのかもしれないけど……うわぁ、近寄りたくない。あんな変な家)
 ちょっと回れ右して帰りたい気分になった時、どばん! と大きな音が聞こえて、家の中から人が出てきた。
 離れていても聞こえるくらいの勢いで扉を開けたのは、どうやら女性のようだ。大柄な男性二人を連れて、何か話しながら裏手に回ろうとしている。
(もしかしたらあの人が空鶴さんかも)
 帰りたい気持ちを無理にねじ伏せて、雪音は奇妙な家に走りより、
「あ、あのっ!」
 三人が見えなくなる前に、上ずった声をかけた。
「あん?」
「おや、お客人ですかな」
「どなたですかな」
 雪音の声に、女性が、ついで男性たちが振り返る。
(あ、この男の人たち、双子だ)
 がっちりした体格に反して、ちっちゃい目をした顔が二つ並んで、何だか妙な迫力がある。
 えぇと、と気後れして言葉に詰まったら、女の人が前に出てきて、雪音をじろりとにらみ付けた。うわ、この人は双子よりもっと迫力がある。
 姉御っぽいっというのか、大きい瞳なのに目つきが鋭くて、にらまれると訳もなく謝りたくなってしまう。
 右上腕には「空」の刺青、左はそもそも腕がなく、背中には刀を背負っている。おまけに、はだけた着物の下には乱菊並みに大きな胸がどーんと存在を主張していて、何だかもうむやみやたらに威厳のある女性だった。
「なんだテメェ。死神が何か用か?」
 彼女は雪音を、というより死覇装をじろじろ見た後、その外見によく似合うべらんめぇ口調で問いかけてくる。雪音は慌てて腰を折って、
「急に押しかけてすみません、空鶴さんですか?
 あたし、護廷十三隊四番隊所属の鑑原雪音です。海燕さんのお墓参りに伺いました!」
 早口に用件を告げた。
「いかにも俺は空鶴だが……墓参りねぇ」
 訝る声音に顔をあげると、空鶴が眉根をよせ、男性たちも困ったような顔を見合わせている。
「あの……ご都合悪いでしょうか」
 おそるおそる尋ねたら、彼女は肩をすくめた。
「別に悪かねぇがな、アニキの墓はねぇよ」
「え? ……お墓、こちらじゃないんですか?」
 海燕が亡くなった時、朽木ルキアがここにつれてきたと聞いたのに。
「しいていうなら、あっちだな」
 いって、空鶴は人差し指を上に向ける。その指に従って見上げた先には、細く高くのびる煙突があった。
「……???」
 意味わかんない。どう見てもあれ、墓石じゃないし。問いかけるようにもう一度空鶴に視線を向けると、
「アニキはあれで空に打ち上げたんだよ」
 あっけらかんと答えたので、雪音はぽかんとしてしまった。え、なに? 今、亡くなった海燕さんを、あの煙突で、空に打ち上げって……
「え、えええええ!?う、打ち上げたぁ!? な、な、なんで!」
「俺ぁ花火師だからな」
「答えになってない! おかしいでしょそれ!」
「あぁん?」
 力いっぱい突っ込みを入れたら、空鶴の目が座った。いきなり雪音の胸倉を掴んで引き寄せ、
「何だテメェ、俺のやる事に文句あんのか?」
 ドスのきいた低い声ですごまれたので、
「……いえ、ないです」
 思わず引っ込んでしまった。
 だ、駄目だ、なんかこの人海燕さんがより強力になった感じで敵わない。ここは四の五の言わず、とっとと退散したほうがよさそうな気がする。
「あ、あの、じゃあ失礼しました……」
 襟を掴む手が離れたのを幸いと頭を下げようとした時、
「別に急いで帰るこたねぇだろ」
 空鶴がくい、と立てた親指で後ろを指した。示しているのは、さっきの煙突だ。
「あんなもんしかねぇが、せっかくなんだ、墓参りしてけ。アニキも喜ぶだろうさ。金彦、銀彦、案内してやれ」
「「はっ!」」
「え? あ、あの……」
 いやもういいです、と遠慮する暇もなく、大柄な双子に挟まれるようにして、雪音はずるずる家の裏へと引きずってつれていかれてしまった。

 その煙突は、今まで見たことがないほど高かった。
 近くで見ると、大人五・六人でやっと抱えられそうな太い柱がずしん、と鎮座ましましていて迫力がある。丸い台座の上に引き上げられ、
「さ、こちらですぞ、鑑原殿」
「存分に参られよ」
「は、はぁ……」
 びし、とポーズを決めた双子に急かされ、雪音は煙突の前に腰を下ろした。
 どうしたものかと首をひねったけれど、とりあえず菊の花を置いてみる。ついで、懐から線香も取り出したが、火をつけても立てる場所がないので、そちらはしまい込んだ。
 そして、手を合わせて目を閉じる。
 お墓ではない、海燕のいないところでお祈りするのは変な感じだ。
 打ち上げたなんて、空鶴は何故そんなことしたのだろう。
(さっきちらっと、花火師だっていってたっけ? 花火師って皆そういう弔いをするのかな? いやまさか……)
 そんな事を考えていたら、不意に風の音が強く響いた。
(……あ)
 ふわりと暖かい風が頬をなでる。さわさわと草が揺れて、鳥の鳴き声が微かに聞こえてくる。
 じっとしていると、日の光で体が暖かくなってくる。ゆっくり呼吸してみたら、緑と土の匂いが胸に満ちた。
「……」
 目を開けて、雪音は煙突を見上げた。それは先ほどと変わらず空に向かって伸びていて、少しも揺るがない。
 雪音は脇に控えてる双子にあの、と声をかけた。
「空鶴さんって、本当にこれで海燕さんを打ち上げたんですか?」
「うむ、その通りですぞ」
「それって、もしかして、海燕さんの体をそのまま……?」
 もしそうなら、相当エグい事になりそうなんだけど。と思ったら、まさか! と双子達が同時に首を振った。
「じゃあ、どうやって?」
「それはですな……」
「うむ……」
 途端、二人の口が重くなる。何か言いにくいことなんだろうか。再度問いかけようとした時、
「アニキは、粉々になったんだ」
 不意に後ろから声がかかった。振り返ると、家の裏口から、空鶴が歩み出てきた。
 台座に上ってずんずん近づいてきて、雪音の隣にすわり、ついで手に持っていた日本酒の瓶をどん、と下ろす。
 一緒に持っていたぐい呑みを床に置いて、空鶴は口を開いた。
「うちに帰ってきてからしばらくしたら、アニキの体は砂みたいに粉々になっちまったんだ。指のひとかけらも残さずに」
「こなごなって……何で、そんな事に」
 ソウルソサエティで死んだ魂魄は、その体を構成していたもの全てが、霊子に還る。
 ひとかけらも残さずにといえば同じだだ、霊子分解は徐々に、人間が土に還るのと同じくらいゆっくりと行われるのが普通だ。
 海燕が亡くなってからどれくらい時間がかかったかは知らないが、少なくとも家に戻ってきて一日二日で起きる事象でない事は確かだと思う。
「もしかして、虚と闘った時の傷が原因とか?」
「さぁな、知らねぇよ、っと」
 けっこう重要な問題を妹はあっさり流して、日本酒の蓋を開けた。
 もう少し詳しく聞こうと身を乗り出したのに、空鶴は瓶を傾けて杯に注ぎ込みながら、話をそらした。
「お前、四番隊の鑑原とかいったな。とすると、あれか。都の後輩か」
「あ……はい、そうです。ご存知でしたか?」
「ご存知ってほどじゃねぇがな。都とアニキが時々、お前の話をしてたのを思い出した」
「え、都さん達が!? な、何て言ってました?」
 二人が自分の事を話していたって、どんな事を? どきどきしながら聞いたら、空鶴が口の端を上げて笑う。
「アニキは、くそ生意気で鬼道ど下手な後輩がいるって言ってた」
「うっ……」
 思わず床に手をついてしまう。そ、そういう評価ですか……。
 面と向かって、冗談めかして言われたことはあるが、自分の居ないところでもそんな事言われてたなんて、かなりショックだ。
「そら、持てよ」
「は、はい……」
 凹んだまま、ぐい呑みを手にする。透明な水面には自分の情けない顔が映り込み、すぐに揺れて歪んだ。
 空鶴がくっくっ、と声を漏らして、同じように杯を持った。
「それと、見所のある奴だとも言ってたぜ」
「え?」
「あいつは根性あるから、ちょっとくらい壁にぶつかったって止まりゃしない。死神になるなら、それっくらいの気概がなきゃぁな、とか何とか」
「……」
「都は、何つってたかな……。
 ……あぁ、気持ちが優しい子だから、自分一人で悩みを抱え込むような事はしないでほしい、とか言ってたか」
「……そ、うですか……」
 さっき凹んだ分、余計に感動して、雪音は声に詰まってしまった。
 二人が、そんなふうに言ってくれてたなんて。
 ――あの二人に、あたしは何も出来なかった。
 共に戦う事も、二人の命を救う事も出来なかった。
 心地よい居場所を、優しい温もりを、与えられるばかりで、何も返せなかった。
 それなのに、二人は雪音を認めてくれていた。心配してくれていた。
(都さん……海燕さん)
 ぎゅ、と唇をかみしめた時、視界にぐい呑みが入ってきた。顔を上げると、空鶴が手を差し伸べている。
「そら、献杯だ。アニキと、都に」
「あ……はい」
 あぁ、さっきから何でお酒を準備してるんだろうと思ったら、二人に捧げるためだったのか。
 一瞬間をおいてから、意図を理解した雪音は、掌中のぐい呑みを空鶴のそれとぶつけた。透明な酒の表面に小さな波紋が出来て広がっていく。
 その波紋にそっと唇をつけたら、口の中にすーっと味が広がった。
 辛口だが重くなく、喉をするりと滑り落ちる感じで、後にはお米の甘い香りがほんのり残る。
 思わず目を閉じてじっくり味わい、ほう、とため息をもらす。
「美味しいお酒ですね」
 感嘆の声音で呟くと、一息に飲み干した空鶴はニッと笑った。
「こいつはアニキが好きだった酒だ。アニキが帰ってくるたまの休みには、こいつを呑みながら、朝まで大騒ぎしたもんさ」
「へぇ……」
 海燕の周りにはいつも人が集まってくるから、宴会ときた日にはそれはもう大盛り上がりで楽しかった。
 ここでもきっと、海燕さんはそんな風に、皆に慕われていたんだろうな。そう思ったら、何だか肩の力がふ、と抜けた。
 空鶴は杯を床に置いて瓶をつかみ、それを煙突の根本に振りかけて、ぐいっと見上げた。
 目を細めてしばらく黙り込む。
 真摯なその横顔にかける言葉がなくて、雪音も口をつぐんだ。
 ちびちび呑みながら目を閉じると、最初にこの煙突の前に来た時と同じ静寂に包み込まれる。
 近くの林から、鳥が飛び立つ。枝の揺れる音。ふわりと通り過ぎる風。青臭い草と、菊の香り。少しきつめの、酒の匂い。
 ふう、とため息を聞こえた。
 目を開けたら、空鶴が少し乱暴な手つきで瓶を傾けている。雪音はそれを受け止めて、自分の手に持ち、
「一献、どうぞ」
 口を向けた。相手は虚を突かれたように目を瞬かせたけど、あぁ、と答えてぐい呑みを持った。
 差し出されたそれに注ぎ込みながら、言う。
「ここは良いお墓ですね、空鶴さん」
「あン?」
「空と土と太陽と……全部が感じられる、良いところだと思います。それに」
 ぐ、と見上げた煙突は、どこか気高さを感じさせるほど堂々と、空に向かって伸びている。
「あの上からならきっと、ソウル・ソサエティが皆、見えますよね」
「…………」
「間違ってたらすみません。空鶴さんは、海燕さんをソウル・ソサエティの空にかえす為に、打ち上げたんじゃありませんか?」
 問いかけると、空鶴はじろり、と雪音を睨み付けた。眼光の強さに思わずびくっとしてしまう。
 ま、間違ってたかな、っていうかちょっと考え方が感傷的過ぎた?
 びくびくする雪音をじぃっと睨みながら、空鶴が口を開く。と、
「……ただいまー姉ちゃん! 虎吉の団子、買ってきたぜー!」
 家の方から元気の良い子供の声が聞こえてきた。
 ガンジュ殿、と言いながら双子が飛ぶように走っていき、空鶴がチッと舌打ちする。
「めんどくせぇのが来たな。悪いが、今日はもう帰ってくれねぇか。死神のお前がいると、ちょっとややこしい事になる」
「へ? あ、は、はい」
 何だか良く分からないが、今の子供と顔を合わせるのはまずいらしい。
 元々こちらが押しかけてきたのだから、長居するつもりはなかったので、
「それじゃ、急に訪ねてきたのに、お墓参りさせてもらって、有り難うございました」
 急いで立ち上がってお礼に頭を下げる。空鶴がおう、と鷹揚に答えてくれたのを潮に身を翻したところで、
「おい、鑑原!」
「はいっ!?」
 急に名前を呼ばれて、びくっとして振り返ると、空鶴が瓶を軽く振って、笑った。
「暇になったら、また来いよ。今度はお前が俺に、アニキの話を聞かせてくれ」
 一瞬きょとんとした後、雪音はほっとして、笑い返す。
「はい。また、絶対来ます!」
「おう。土産を忘れんな」
 ちゃっかり請求してくるところは、海燕あにに似てる。雪音はもう一度ぺこりと頭を下げると、足早に志波家を去った。

 帰る道すがらに、振り返った。
 志波家はもう小さく見えるだけで、その背後に立つ煙突が青い空を背景に黒々とした影を落としている。
 来る時はあの変なオブジェに圧倒されて気づかなかったけど、離れてみると、煙突の方がより存在感があった。
(海燕さん)
 ここに来る前は怖かった。
 海燕の死を、現実のものとして受け入れるのが怖くて、来たくはなかった。
 だが今、不思議なほど穏やかな気持ちで、その名を口に出来る。
「海燕さん」
 声に出して呼びかけて、雪音はにっこり笑う。
 見上げた空は鮮やかな青で、目に沁みるように美しかった。