花のうへの露27

 次に目を覚ました時、視界は闇に閉ざされ、何も見えなかった。
(なに……夜……?)
 夢うつつのまま思う。どれほど気を失っていたのだろう。ぼんやりしながら腕を動かそうとすると、「いっ!」全身のあちこちが痛み、短い悲鳴が飛び出す。
(……つぅ……怪我しちまった、かね)
 今感じられる限りでは、そう大きな怪我は無い……とは思うが、周囲が黒い壁に覆われ、起きあがって身体を点検出来ない。痛む腕をそろそろ動かして周囲を探ると、掌が水気を含んだ土の壁に触れた。
(地面に、埋まってる?)
 どうやら自分は土中にいるらしい。そうと気づけば、濃い土の匂いが鼻につくし、手や足に湿った感触が伝わってくる。しかし上下左右からの圧迫感はあるが、さほどの息苦しさは無く、手足を少し動かす事は出来そうだ。
(これなら……何とか、出られるかね)
 どこかに手がかりは無いかと壁をなぞっていると、不意にその指先がなま暖かいものに触れた。「えっ!?」驚いて思わずびくっとしてしまう。
(な、何だい、今のは)
 恐る恐る同じ場所を探ると、固くざらざらしているが、どうやら何かの生き物の肌らしい。
 その正体を見極めようと、段々と闇に慣れてきた目をこらす。と、すぐ目の前に、大きな人の顔がぬっと現れたので、「うわっ」またも声を上げてしまう。
(こいつは……さっきの化け物じゃないか)
 闇の中で判然としないところもあるが、それはまさしく、空から降ってきた巨躯の男に違いなかった。
 先刻は鬼か阿修羅かと見まごうばかりで、表情の判別もつかなかったが、今は気絶しているらしく、桔梗より二回りは大きなその顔に強く苦悩の色を浮かべ、ひゅーひゅーと微かに息を漏らしている。
(あぁ……そういう事かい)
 気を失う前、土砂崩れが起きた事を思い出し、桔梗はようやく現状を理解した。
 暴れ狂いながら、男はこちらの目の前まで迫ってきた。しかし直後、後ろから山崩れが襲いかかって来たため、桔梗の上に覆い被さるような形で、土砂のほとんどを受け止めることになったのだろう。男が意図した訳ではなかろうが、結果的に桔梗は救われたらしい。
(感謝すりゃいいんだか、悪いんだが)
 その前に、明らかに殺されかけた事を思えば、素直に礼を言う気にはなれないが……。ともあれ、いくら九死に一生を得たとはいえ、このままでは窒息してしまう、何とか抜け出さなければ。
 あたう限り周囲を見回すと、右上辺りから薄く、光が差し込んできているのが目に入った。
「ん……しょっ……」
 そこで桔梗は精一杯腕を伸ばし、穴の淵をひっかき始める。水を含んだ土は重く、石や木の破片も混じっているのか、時折がりっと音がして鋭い痛みが走った。しかし今はそんな事に構っている場合ではない。
「くっ……う……」
 桔梗は必死で掘った。始め小さかった穴は徐々に大きくなっていき、光と新鮮な空気が滑り込んできて、息が楽になってくる。
「……せっ……!」
 ある程度大きくなったのを見越して、桔梗は全身の力を込めて、自分の身体をそちらへ押し出した。まず頭が抜け、息苦しさと闇から介抱される。
(眩しいっ)
 暗い場所から明るい場所へはい出たので、目がくらんで頭も揺らぐ。何度か瞬きして明るさに慣れようとしながら、桔梗はさらに外へはい出した。
 途中胸と尻が引っかかり、この時ばかりは豊満な自分の身体を恨みがましく思ったが、それでも何とか抜け出る。
「は……はぁ……はぁ、はぁーっ…………」
(ひ、酷い目に遭った……)
 全身の痛みと疲労で身体が重く、地面に手をついてぐったりする。くらくらする頭を持ち上げてみると、どうやら気を失っている間に嵐は過ぎたらしい。雨は止んで、灰色の雲の合間から光の柱が幾本も地上に降り注いでいる。
(……綺麗なもんだね)
 こんな時だというのにその光景にちょっとした感動を覚えつつ、桔梗は改めて周囲を見回した。見上げると、上の方の山肌が削り取られ、緑に覆われていたその下の地面を晒しており、そこから桔梗のいる場所まで、急な土砂の坂ができあがっている。先ほどいた場所から、かなり下方へ押し流されたらしい。
(よく生きてたもんだ)
 大規模な土砂崩れにぞっとして自分の体を見下ろし、改めて具合を確かめる。着物はあちこち破け、右肩は袖も破れて肩がむきだしになっているような有様だが、どうやら骨や筋を痛めた様子はない。
(こいつのおかげ、かねぇ)
 顔に張り付いた土を拭いながら、桔梗はその男を見た。男はうつ伏せの状態で、体のほとんどが土中に埋まっている。しかし見えている部分だけでも、その体躯はもしや人外かと疑うほどに巨大だ。厚い筋肉で盛り上がった肩がかすかに上下しているのを見て、桔梗は顔をしかめた。
(どう……するかね)
 まだ息はあるようだから、掘り起こせば助けられるだろう。しかし突然現れ、有無をいわさずこちらを殺そうとしたことを思えば、そんな義理はない。
 ――しかしなぜだろう、妙に立ち去りがたく思ってしまうのは。
「…………」
 しばしぼんやり眺めた後、やがて桔梗は土に汚れた指先を、ためらいがちに伸ばした。