(鉄砲の音!?)
佐助はぎくりとして振り返った。頼鷹を残してきた方から、さらに銃声がいくつも重なる。
(頼鷹様!)
体を氷に貫かれたような寒気が走り、佐助は取って返そうとした。しかし、
「お待ち、佐助」
背中から刺すような鋭い声が、動きを縛り付けた。
「お前が行く必要はないよ。あたしらの仕事は、仕舞いだ」
死体を避けながら、桔梗が近づいてくる。吹き付けてくる殺気に気圧され、佐助はごくり、と唾を飲み込んだ。かすれた声を何とか絞り出す。
「仕舞いって……どういう意味だよ、姐さん」
「そのままの意味さ。いいから、お前は一緒に来るんだ」
そういって、桔梗はすっと手を伸ばした。それが佐助の肩に下ろされる瞬間、
「……!!」
佐助は地面を抉る勢いで飛び出し、先に倍する速さで頼鷹の元へ駆けた。道を走り抜け、もう少しというところで、どっ、と人の喚き声が霞の幕の向こうから聞こえてくる。
(頼鷹様!)
明らかに複数の男達によるものと聞き分け、佐助は手に
「なに奴!」
「佐久の手の者か!」
佐助の登場に警戒の声を上げ、銃をこちらに構える兵達。しかし佐助はそれらは目にも耳にも入らず、ただ男の足下を見て息を飲んだ。
そこには地に伏した馬と、武士の姿がある。
先刻、己の手で着付けた鎧をかいま見て、それが確かに頼鷹だと認識した瞬間、
「頼鷹様!」
佐助は黒い影となって男に襲いかかった。
向けられた銃口が火を噴く。しかし弾丸は残像をむなしく撃ち抜く。
「ぬっ!」
眼前に現れた佐助に驚き、男は刀を構えようとした。しかし佐助の手が目にも留まらぬ速さで走り、刀を弾き飛ばす。
(殺す)
その一念にのみ突き動かされ、佐助は手にした苦内を深く抉るように突き出した。その先端が男の目に突き刺さる、と思われた時、
ドスドスドスッ!
「がっ!」
背後から衝撃が襲いかかり、手足に激痛が走った。ついでわき腹に重たい打撃、視界がぶれ、風景が線となってとびすさり、
「ぐはっ!!」
次の瞬間には体が木に叩きつけられていた。そのまま根本に崩れ落ちた佐助は、げほげほと激しくむせて血を吐いた。吐く度に腹から胸にかけて、割れるような痛みが駆け抜ける。
(なん……だ、今の……)
なにが起きたのか分からない。かろうじて顔を上げた佐助は、自分の背中に針が刺さっており、ついでその先に、黒装束の桔梗が立っているのを見つけた。
「姐……さん……」
針は桔梗の武器だ。では、今自分をなぎ払ったのは、桔梗なのか。問いかけようとしても言葉は声にならず、目眩と吐き気で視界がぶれる。
「……桔梗、それは何だ。貴様の部下ではないのか」
そんな佐助の前で、男が桔梗に語りかけた。佐助を見ていた桔梗はすかさず膝をつき、
「はっ、この者はこたびが初仕事でありまして、いささか気を逸らせました。ご無礼を致し、真に申し訳ございませぬ」
恭しく謝罪する。男はふん、と鼻をならした。
「己が部下の面倒もみれぬとは、腕利きのしのびが聞いて呆れるわ。桔梗、この非礼は見逃せぬぞ。そのわっぱ、首を切ってよこせ」
居丈高に言い放つ。桔梗はわずかに肩を揺すり、しかしみじんも動揺のない声で、
「それはお許しを、九朗様。いささか血気盛んではありますが、この者はいずれ御身の役に立ちましょう。こたびの責めならば、この桔梗が負いまする」
淡々と答える。男は目を細め、絡みつくような視線で桔梗を見下ろした。
「……よかろう、始末は後ほどな。今はこちらが先よ」
部下が拾い差し出した刀を手に取り、足下にしゃがみ込んだ。佐助からは桔梗が壁になって良くみえないが、手を伸ばして何かを掴んだようだ。
「鬼鷹も、種子島にはかなわなんだな。五発六発と食らってなお生きていたのは化け物かと思うたが、鬼というても所詮人の子よ」
(よりたか、さま)
男が掴んでいるのが頼鷹の体と知り、佐助は呻いて起きあがろうとした。しかし桔梗の針はいかな作用か、佐助の手足の自由を奪い、身動き叶わない。
「この日を幾夜夢見たか……鬼鷹よ、これが貴様に殺された我が子の無念と知れ」
男は嬉々として叫び、太刀を振り上げる。ぎらりと輝くその刃が向かう先に何があるのか。佐助は戦慄し、
「やめ……やめろぉっ……!!」
声を絞り出して叫んだが、
「貴様の首、鷹通めに送りつけて、わしと同じ苦しみを味合わせてやるわ!!」
白刃は何に遮られる事もなく、そのまま、勢いよく、振り下ろされた。
戦の勝利に、城内はどこへいっても沸き立っていた。長年の宿敵をついに倒した喜びに兵達はもちろん、軍を束ねる将達も浮かれ、酒に食に女にと、そこかしこで騒ぎを巻き起こしている。
泥酔した兵達が絡んでくるのをするりするりと避け、自室へと戻ってきた桔梗は、中に入ってふすまを閉め、ようやく一息ついた。
(やれ、酒臭いこと)
宴の手伝いにかり出されたおかげで、衣にも髪にも、酒のにおいが染み着いている。自分で楽しむならまだしも、人の飲む酒の移り香など、うれしいものではない。
(さっさと着替えるかね)
するりと帯をといて着替えを始めた時、
「……うっ……」
部屋の暗がりで、人のうめきが微かに聞こえた。桔梗はそちらへちらりと目をやり、手を休めないまま、
「目が覚めたかい、佐助」
声をかけた。灯りのない部屋の中でも楽に見通す桔梗の目に映るのは、手足を拘束された佐助の姿だ。壁にもたれた佐助は身じろぎし、こちらの姿を認めた途端、
「姐さんっ……どういう、事だよっ……」
しゃがれた声で叫ぶ。まぁ、訳が分からないだろうね。そう思いながら、闇の中で素肌を晒した桔梗は、衣桁にかけた着物に手をかけた。
「どういう事って、何がだい」
聞きたいことを分かっていながら、わざと問い返す。佐助の苛立ちが増す。
「決まってるだろっ……なんでっ……頼鷹様を、裏切ったんだ……!」
しゅ、と袖を通した小袖は布が荒い。九朗の下されものだが、しのびの者と侮られた故だろうか。ざらざらした感触に顔をしかめつつ、桔梗は答えた。
「裏切る? そいつは違うね、佐助。あたしらは、はなから佐久の味方じゃない」
「な……に……」
「あたしらを雇ってるのは、鳴竹だ。佐久を落とす為にあちらへ潜っていただけで、こうなるのは最初から決まっていたんだよ」
どん、と重たい音がしたので振り返ると、佐助が畳の上に横たわり、自由の利かない体を引きずるようにして、こちらへにじりよっている。
桔梗が蹴り飛ばした時の怪我がまだ激しく痛むだろうに、大したものだ。帯を締め、無表情のまま評価する桔梗に、佐助はひきつった顔を上げ、
「そんなのっ……俺は、聞いてないっ……」
「頼鷹は察しの良い男で、お前がいくら隠しても、言葉の端々から何事か探り出すかもしれなかった。お前は何も知らないまま、頼鷹の動きをあたしに知らせる、それが今回の役目だったんだよ」
「……っ……」
「佐久の中で頼鷹が一番の難物だったからね。あんたが色々語ってくれたおかげで、ずいぶん助かったよ。ま、最後に九朗様へ襲いかかったのは、ちょいとよけいだったけど」
「ふざっ……けるなぁっ……!」
ずり、とこちらの足下まで近づき、佐助がにらみつけてくる。それを見て、桔梗は目を細めた。膝をつき、佐助の顎をくい、と持ち上げ、顔を近づけ、囁く。
「言っただろう? お前が嫌でも、必要な時は使うって。……良かったじゃないか、お役目は見事果たしたよ」
「……っ!」
ぎらりと目に怒りが燃え、佐助が唾を吐いた。びちゃ、と頬にかかったそれを、桔梗はしかめ面で拭う。
そしてもう片方の手を翻して、掌中に針を生み出すと、
「明日には里に帰す。ご苦労だったね」
トッ、と首筋を刺した。ぐう、と喉を鳴らし、佐助はその場で意識を失う。
「…………」
無念に歪むその顔を見下ろし、桔梗はふ、と短く息を吐いた。
(心なんて捨てちまいな、佐助)
呼びかける言葉は決して声にならず、ただ桔梗の心中にのみ沈んでいく。
(そんなものがあっても、無用の苦しみを背負うだけだ)
その脳裏によぎるのは、佐久で過ごした日々のこと。桔梗を評価し、信頼の笑みを向ける鷹通。惚れたと戯れてしきりに口説き、一方で佐助に目をかけ可愛がっていた頼鷹。だがそのどちらも、先に見た光景に上書きされる。火に包まれる佐久の城と、息を引き取り、首を取られた男の姿に。
(……草に心はいらない)
桔梗は目を閉じ、開いた。開いた時にはもう、佐久の情景は心の奥底に押し込められ、沈んで見えなくなる。
力なく弛緩した佐助の体を持ち上げ、再び奥へ戻した桔梗は、静かに部屋を出た。
人目につかぬよう廊下をひたひた進み、屋敷の一番奥まった部屋まで来ると、
「――九朗様。桔梗、お召しに従い、参上致しました」
主の部屋の前に座し、密やかに来訪を告げる。間をおいて、
「うむ。入れ」
横柄な声が答えた。感情の無い顔をすっと上げた桔梗は襖を開き、その先にある無明の闇の中へと、静かに身を滑り込ませた。