花のうへの露3

 義姫の土産と旅の女を持って、小十郎は伊達屋敷へと帰着した。女の手当を館の者に託し、自身は真っ先に政宗のもとへ向かう。
「よぉ、小十郎。ご苦労だったな。母上のご機嫌はどうだった?」
 政宗は自室で六爪の手入れをしていた。小十郎が参上した時は三本目にかかったところらしく、鞘を払った抜き身の刀に打ち粉を散らしている。
「はっ、ご母堂様におかれましては、お顔の色よろしく、政宗様のご壮健ぶりをお伝えしたところ、重畳なりと大層お喜びになられました」
 下座に畏まった小十郎が応えると、政宗はそりゃGoodなことだ、と呟いた。普段母への好意をあからさまにしない政宗だが、その声には優しい響きが宿っている。
「どうやら土産物も山のようにいただいたらしいな。馬二頭に山積みだって?」
「はっ……」
 まだ報告していないのに、なぜ政宗がそれを知っているのだろう。疑問で言葉が途中で切れてしまったのを素早く察し、政宗は粉を拭って刀を置くと、そこでにやりと笑った。
「先触れの義直が言ってたぜ。土産のほかに、お前がMarvelousな女を拾ってきたと、ずいぶん大騒ぎしてやがったな」
「なっ……」
(義直の奴、余計なことを!)
 義直の先走った報告はどうせ事実以上に膨らみ、政宗にいらぬ好奇心を抱かせるような内容だったに違いない。その証拠に、政宗はあぐらを組んだ膝に頬杖をつき、
「それで? 小十郎。お前が拾ってきた大層なBeautyってのは、どういう女なんだ」
 にやにやとからかう表情で尋ねてきた。普段諭されることの多い指南役の弱みを見つけたと、喜んでいるのかもしれない。
(そんなものでは、ないのだがな)
 小十郎は一つ咳払いをしてから、さらに堅苦しく姿勢を正して、口を開いた。
「かの者は名を朝顔と申すそうです」
「朝顔。風流な名だな」
 小十郎は一つ頷き、続ける。
「女の一人旅にて、越後への途上にあった由。道で行き合った際、こちらの馬が地面を滑り落ち、それを避けようとした彼女に怪我を負わせてしまったのです」
「そいつはまた、らしくないな」
「面目ありませぬ。傷浅からぬ故、ただいま医師にかからせております。政宗様におかれましては、かの者の怪我が治るまでの逗留をお許し頂ければと。無論、お手を煩わせるような事は致しませぬ」
「Hun、そりゃかまわねぇよ。お前の好きにしな」
「はっ。ありがとうございます」
 頭を下げる小十郎の前で政宗は四本目を手に取った。目の前にかざして刃に刻まれた疵の具合を確認しながら、
「オレはお前がその女のところに入り浸ったって文句はねぇ。そんないい女なら逃すもんじゃねぇぞ」
 さらりとそんな事を言い出したので、
「なっ、何を仰いますか、そのような事致しませぬ!」
 小十郎は焦って思わず声を荒げてしまった。

「……参ったな、全く」
 興味津々に女の事を聞きたがる政宗の前からようやく辞した小十郎は、額に手を当てぐったりしながら、廊下を歩いていた。時は牛の刻限(12時)、昼餉の用意が出来たと女中が現れなければ、まだ捕まったままだったかもしれない。
(政宗様もつまらぬ事を気にされるものだ)
 義直がどれだけ朝顔の事を吹き込んだのか分からないが、何の縁もない通りすがりの女を連れてきただけで、ああも邪推されるとは。
(つきっきりで見るような事はしないほうが良さそうだな)
 勝手に自分の女のように扱われては、朝顔も困るだろう。怪我をさせてしまった故、本当は手ずから面倒を見るべきではあるのだが、と思ったところで小十郎は、前方の部屋から出てくる人影に気づいた。
「……それじゃ、私はこれで」
「ありがとうよ、先生」
「後でまた来ますよ。今はゆっくりお休みなさい。では……おや?」
 部屋の中へ声をかけてからこちらに向き直ったのは、医者の老人・稲尾だった。これは片倉様、と廊下に手をつき頭を下げる。
「お勤めから無事お帰りになられて、何よりです」
「じいさん、いきなり呼びつけてすまなかったな」
「いえいえ、片倉様のお呼びであれば、いつなりと。娘さんの手当は終わっておりまするよ、どうぞ」
 そう言って稲尾は所作も静かに立ち去っていった。小さな老人の背中を見送った後、小十郎は「朝顔、入るぞ」開いたままの障子から部屋の中へと足を踏み入れた。
「あぁ、旦那。何かと手を焼かせちまって、済まないね」
 その小十郎を迎えた女――朝顔は、汚れた着物をこちらが用意した小袖に着替えて、布団の上で身を起こしていた。小十郎と目が合うと、上体だけ曲げて頭を下げる。
「よしてくれ、怪我をさせたのは俺だ。これくらい当然だろう。気にするな」
「そうはいってもねぇ……」
 小十郎が畳に腰を下ろす前で、朝顔は苦笑いを浮かべて肩の髪を背中に払った。
「まさか旦那が、伊達の殿様にお仕えしてるとは、思いもしなかったから驚いたよ。言われてみりゃ、御名を聞いたことあったけどさ」
「ほう、俺のことを知ってるのか」
「そりゃね、伊達には凄腕で有能なお人がいるってどこにいっても噂を聞いたからね。竜の右目と言ったら今、浮世絵でも人気の絵柄だそうだよ、右目の旦那」
 からかいの口調で言われ、それは初耳だ、と小十郎は頭をかいた。天下統一を目指して疾走する政宗に付き従い、あちこちを巡った故なのかもしれないが、市井でそんな事になっているとは、想像もしていなかった。何とも居心地悪い思いでいると、朝顔がなお、わざとらしく恐縮した様子で肩をすぼめた。
「そんなお偉い方にこんなにあれこれしてもらっちゃあ、恐れ多くて声も出なくなっちまうねぇ」
「……畏まる必要はねぇ。政宗様にはもうお許しを頂いているんだ。あんたは何の気兼ねもなく、怪我が治るまでゆっくりしてりゃあいい」
 思わず語気を強めて言ってから、小十郎はふと道中の会話を思い出した。
「そういや、越後に行くつもりだったと言ってたな。急ぎの用件か? 何なら、相手方に文を書くか」
「あぁいや、それは構わないよ。あちこち物見遊山をしながら、昔なじみの顔でも見に行こうかと思ってただけだからね」
 朝顔はどうという事もない、と手を振って笑う。しかし小十郎は、その気安い様子を見て眉間にしわを寄せてしまった。
「女一人で、奥州から越後に向かうつもりだったってのか? あぶねぇな。豊臣秀吉が倒れてからこっち、あちこちで盗人山賊のたぐいが出没してるってのに」
 富国強兵の号令で集められ組織的に鍛えられた兵達は、豊臣秀吉が没した後、その大多数が浮浪と化した。
 帰る場所がある者はまだしも、豊臣軍の圧倒的な軍事力に屈して国を焼かれ、仕方なく下った者達は、旗頭が倒れた後の居場所を失った。そして理不尽な己の運命を呪いながら、強盗略奪の狼藉を各地で行っているのである。
 奥州では、情勢をいち早く察した小十郎が国境の守りを固め、村々に兵を派遣して巡回させ、不審者が入り込んでもすぐに捕らえて大事に至らぬように気を配っている。が、だからといって万事平和とは言えない。
 このような折り、女の一人旅がどれほど危険かは、赤子でも分かる事だろう。しかし、朝顔は肩をすくめて、大丈夫だよ、と答えた。
「あの山に入るまでは、北に向かう商隊と一緒に移動してきたんだよ。それに、盗賊に盗られて困るような値打ち物も持ってないし、問題ないさ」
「…………」
 それはどうだろうか、と小十郎は沈黙した。金目の物はなくとも、どうしようもなく男心をそそるその見た目であれば、山賊のたぐいに拐かされて、筆舌に尽くしがたい屈辱にまみれる危険もあるだろうに。
(危機感のねぇ女だ)
 もやもやと思い浮かびそうになったあれそれを振り払い、何はともあれ、と小十郎は咳払いをした。
「怪我が治ったら、あんたの行きたいところまで、供人をつけて送らせよう。それまでは自分の家と思って、ゆっくり養生してくれ」
「……あぁ。何から何まで気ぃ遣ってもらってすまないね、右目の旦那。今はお言葉に甘えて、休ませて貰うよ」
 対して朝顔は、まだ済まなそうに眉根を寄せながら、それでも心からの感謝のこもった穏やかな声で、礼を言うのだった。