今年の法要は、雨が降らなかった。
毎年毎年、なぜか祖父の法要の日は雨に見舞われていた。
今年もそうなるかと思っていたから、部屋のカーテンを開けた時、思いがけないほど空が晴れ渡っていて、虚を突かれてしまった。
(珍しいこともあるものね)
集まりが終わった後、一人で墓の前に残ったゆき子は思う。祖父の墓碑は天をつくような背の高い石柱で、その偉業に相応しい威容だ。
最初に目にした時は、あまりの大きさに圧倒されて、恐れすら感じたほどだ。
いい大人になった今、恐れはない。その代わり、雨に濡れそぼった墓を傘越しに眺めると、どこか空虚な張りぼてのようにも思えた。去年はそうだった。
今年。雲ひとつないほど晴れた空の下で見る墓は、いつもと違って見える。
晴れているから。積年の願いがとうとう結実したから。その報告に訪れたからか……いや。
「――ゆき子」
空気を柔らかく震わせて、その声が耳に届き、ゆき子は振り返った。
整然と並ぶ墓石の間を、一人の男性が歩いてくる。喪服に身を包んだ、すらりと背の高いその人――この場で目にする事はもうないのではと思っていた姿に、ほ、と胸が暖かくなった。
「お兄様」
「遅くなって済まない。役員連中に捕まってね。連中まだ俺を使うつもりらしい」
「断ったのでしょう?」
「もちろん。俺はもう白都の名を捨てたからな。二度と戻るつもりは無い」
兄の樹生はゆき子の隣に並び、墓を見上げた。空の光に目を細め、しばらく黙って見つめた後、ふっと笑う。
「……またここに来るとは思わなかったな。法要に来ても、墓は遠巻きに見ていただけだった」
「嘘。誰もいなくなった後、花を供えていたでしょう」
ゆき子が微笑みながら言えば、樹生は気恥ずかしそうに口元を手で隠した。
「……知ってたのか」
「ええ。私も、一人でお墓参りをしたかったから」
周囲に多くの人々がいる時に、祖父と話は出来ない。毎年ゆき子は、夕方近くに一人で墓を参ったが、その時いつも花が添えられていた。
花に疎いゆき子でも、それが生前祖父が好んだものと知っていたし、ごく限られた人間しかそれを承知していなかった。
であれば、兄かもしれないと思った――そうであってほしいと思った。
不幸な仲たがいをするまで、自分も樹生も祖父を心から慕い、尊敬していたから。
「…………今更、どの面下げて、と思われてるかな」
もう隠す必要もないと思ったのか、後ろに持っていた花束をそっと供えて、樹生が呟く。
「墓参りに来ても、俺はいつも恨み言を口にしていただけだ。
どうして俺を認めてくれなかったんですか。
なぜゆき子だったんですか、俺ではだめだったんですか。
……そんな事ばかり、毎年飽きもせず繰り返してた」
兄を見上げようとしたが、やめた。きっと見られたくないだろうと思ったからだ。同じように祖父の墓を見つめながら、小さく首を振る。
「お爺様は、お兄様の事をいつも案じてらしたわ」
「……」
「お兄様は責任感が強いから、何でも自分で背負おうとしてしまう。けれど皆の事を背負ってしまったら、いつか潰れてしまう。
優しいだけではだめなのだと。
切り捨てる勇気を持たなければ、白都を背負って立つ事など出来ないと。
……お兄様の事を、心配してらしたのよ。本当に」
「…………」
じゃり、と足元を鳴らした樹生は、小さくため息をついた。
「もっと早く気付ければよかった。悔やんでも遅いな」
「お爺様は多分、分かっていらしたと思うわ。……それに、昔の事ばかり気にしても、仕方ないでしょう」
す、と自然に手が伸びて、兄の手を握る。驚いて震えるその手を優しく包んで、ゆき子はにっこりと微笑みかけた。
「お兄様にはゆき子がついているわ。……そうでしょう?」
それは幼いころ、周囲の期待に押しつぶされて、落ち込んでいる兄を励ます時、かけた言葉だ。樹生は目を瞠って息を飲んだ後、
「……ああ、そうだな。ゆき子には俺がついてる」
同じ言葉を返して、ぎゅっと握り返してくれる。その手の大きさと暖かさが嬉しくて、ゆき子はそっと顔をそらした。目の端に浮かびかけた涙を気づかれないように払って、空を見上げる。
(お爺様。……来年もまた、お兄様と来ますね)
きっともう、雨は降らない。大きくあたたかく優しかった祖父は、私たちを青空の下で迎えてくれることだろう。