朝の基礎トレーニングを終えて、スパーリングの為にロープをくぐったところで、
「……はよーっす」
ジムの入り口から聞こえてきた声に、勇利はぴくっと反応した。グローブをはめながら、さりげなく視線を向ければ、
「よぉキャット。体調大丈夫なのか? 急に休むなんて珍しいじゃねぇか」
「あー、はい。問題ないっす。すみません、昨日の分もやりますんで」
「……まぁ、顔色も普通か。問題ねぇならいいが、無理すんなよ」
トレーナーと言葉を交わしながらシャルが歩いてくる。その顔がこちらを向いた時、
「……!!」
唐突にぎしっと動きがとまり、見る見るうちに頬が赤く染まった。硬直しているのは自分のせいか。勇利は素早く目を背けたが、
「おいキャット? どうした、やっぱお前熱でもあるんじゃ」
「な、………な、何でもない、何でもない、です……あの、準備してくるんで!」
狼狽えた声を残して、ばたばたとかけていく足音。
その気配だけで、彼女がどれだけ動揺しているかは十分理解できたので、
「……キトゥン。少しいいか」
「あの……少しいいかって言いながら詰め寄るの、やめてくんないかな……」
ジムにいる人々の目を盗んで二人で話をしようと様子を窺い、ようやく捕まえたのがトレーニングマシンの影に追い込んでのことだったので、相手から苦情が上がってしまった。
(お前が逃げ回るからだろう)
そう思ったが、自分と顔を合わせた彼女が、どうしようもなく動転してしまうのは、当然か。
ともあれ、
「お前がそうあからさまに俺を避けると、目立つ。落ち着け」
必要な注意はしておく。
白都の一体型ギアを身に着けている勇利は、私生活にも制限や決まりがあり、ことによっては報告義務がある。
そのため、ゆき子や関連部署には、二人の交際を告知しているが、諸々の騒動を嫌って公にはしていなかった。
故にジムの仲間たちは、この関係を知らない。
だが、シャルが勇利を慕っているのは周知の事実で、以前ぎくしゃくしていた時も噂になっていた。こうやって本人があまりにも分かりやすく反応すれば、周りが察知するのは時間の問題だ。
(わざとでないのは分かるが)
元々、隠し事が苦手とはいえ、もう少し冷静に対応してほしい。と思ったのだが、
「…………む……無理……」
シャルは耳まで真っ赤になって答えた。視線を思い切り避けたまま、
「き、昨日の今日で、平気な顔なんて、出来ない……だろ。自分は、そっちみたいに、何もなかったみたいに落ち着いてらんない……です」
蚊の鳴くような声で告げる。それは無理からぬ事だと、勇利も思う。
……何しろ昨日、初めて夜を共にしたのだから。
「…………シャル」
ちら、と辺りに視線をやって、誰も気づいていない事を確認してから、勇利は腕を伸ばした。
「ひゃっ?」
びくっとする彼女の手を取り、自分の左胸に押し当てる。そして身をかがめて顔を覗き込み、
「……俺も落ち着いている訳じゃない。そう見えるだけだ」
囁きかけた。な、と絶句するシャルも、気づいただろう――こちらの心臓が普段よりずっと早く鼓動している事を。
「…………、~~~~っ」
胸に触れたまま、ますます顔を赤らめてシャルが縮こまる。その様子が可愛らしくて、ついそのまま身を乗り出しそうになった。
(そうじゃない、助長してどうする)
勇利はすんでのところで後ろに退くと、
「……しばらく、ジムでは話さないようにするか。お互いの為に」
そう提案した。ばっと手を自分の胸元に引き寄せた彼女は、うんうんと言葉もなく大きく何度も頷く。
赤面して小さくなった姿が小動物のようで、いっそう愛しさを覚えたが――場所は、わきまえよう。
内緒話