人命に関わるデータ改ざんの不正。
上からの指示とはいえ、それを行ったのは自分。
科学者として到底許されるものではなく、ここで自分の人生は終わるのだと思った。
違う。終わらせなければならないと、思ったのだ。
(私の信じていた未来は、間違っていた)
薄々そうと感じていたのに、見ないふりをしていた。間違っている事を認めるのが、怖かった。
自分の能力を発揮できる場というのは、そう簡単に得られるものではない。
まして、女だ。
女の身で開発チームのリーダーをつとめるまでになった自分を妬み、あざけり、足を引っ張る男たちは、数え切れないほどいた。
「……佐久間さんは、そんな私を拾い上げてくれた。優秀な科学者であることに、性別は関係ないと、言ってくれたんです」
大学の研究室。差し出されたコーヒーを見下ろしながら、呟く。
「佐久間さんの語る未来は本当に素晴らしかった。魅了されました。この人となら、きっとどこまでも行ける。自分をどこまでも高めていけると、そう信じていたんです」
「ああ。分かるよ」
答えたのは、白都教授だった。ゆったりと椅子に腰かけて向き合う教授は、ネガティブな感情を一切表情に出さず、穏やかに微笑んでいる。自分はその前の机上に広げた資料を指し示し、
「これまで隠ぺいされていたデータは昨日お送りしたものと、これで全部です。
内容をチェックされていてサーバーに残せなかったものは、印刷してファイリングしていました。
全て見て頂ければ、教授の仮説が正しい事は証明できます」
「うん。さわりだけ見たが、裏付けには十分だ。後はこれを公表するだけだが」
自身もコーヒーを飲みながら、教授は天井を見上げた。
「俺がまた論文を発表したところで、今度は本格的につぶされるだけだろう。そうなっては大学との協力関係も、俺も、……そして君も。ただ破滅するだけだ」
「……」
ぎゅ、とマグカップを握る。そうなる未来は簡単に予測できる。それが出来るだけの力を、ロスコは、佐久間は持っているのだから。
そうして怯える自分に、教授は目を細めた。大丈夫、というように。
「君に覚悟があるのなら。……これを、白都の社長に提出してみないか」
「白都……」
言われてすぐ、女社長の凛々しい姿を思い出す。
美しい人。信念のある人。ロスコとの提携話が持ち上がった時、佐久間が他の人には見せないほど興奮していた光景が、ふっと頭をよぎった。
やっと理解者が現れた、完璧な支援者だ、これでBESは更なる飛躍を遂げるに違いないと――チームで沸き立った、まだ無邪気で無実だった、あの日。
「……はい。ここへ来ると決めた時、覚悟も決めました」
声が震える。それが自分の未来を閉ざす宣言だと、分かっているから。
あの清廉潔白な社長が、この不正を見逃すはずもない。
佐久間はもちろん、自分もまた罰をうけなくてはならない。白都は大々的にこれを公表し、自分の科学者としての道は永遠に消え去るだろう。
(怖い。醜い。こんなことになってまで、私は自分の心配をしている)
マックを死の淵に追いやり、その家族も不幸にしている罪人なのに、自分の将来を案じるなんて、虫が良いにもほどがある。
今にも逃げ出したい気持ちを必死で抑え、目をそらしたくなるのをこらえて、教授を真っすぐに見据えると、
「分かった。さっそくアポを取ろう」
相手は答え、携帯電話を手にした。そしてかけようとする前に、ふと笑う。
「人は誰でも過ちを犯す。取り返しのつかない事もあるが、君はそのぎりぎりで立ち止まる勇気を出した。償いのチャンスをつかんだんだ。
――大丈夫。何があろうと、俺が必ず君を守る。だから安心してくれ」
「……!!」
柔らかく、力強い言葉。整った顔立ちに浮かんだ微笑。
それを目の当たりにして、思わず声を失ってしまった。自制する間もなく頬が勝手に熱くなるのを感じて、
「は、はい。よ、ろしく、お願いします」
思わず顔を伏せて言いよどんでしまった。
こんな時に胸をドキドキさせるなんて、私はのんきなんじゃないか。ちらりと、そういえばこの人のファンクラブがあったっけ、と思い出してしまったし。