クロス・ライン

 自然に囲まれた郊外に位置するその家は、自分には敷居が高すぎるほどに高い豪邸だった。
 それは決して華美ではなく、むしろシンプルで飾り気のない外観なのだが、その無駄のなさが、かえってよそよそしく感じられる。普通なら、近づく事さえなかったはずだ。
「…………」
 バイクを降りて家を見上げたキャットは、ごくり、と唾を飲みこんだ。
 ここには初めて来たわけではない。
 最初は偶然から思いがけない訪問。二回目は犬の面倒をみるためにやってきた。
 その時は、やっぱり金持ちの家だと軽く萎縮はしたものの、今よりは気楽に上がり込んだのを覚えてる。
 しかし――今日という今日は、そんな簡単に足を踏み入れるのが、ためらわれた。
 何しろあの時から、状況が変わりすぎている。
(……やっぱり、やめるべきだったかな)
 いざ目の前にしたら、臆病風に吹かれそうになる。地面に根が生えたように足が動かず、まんじりと見上げてしまう。
 しかし、時計を見れば、約束の時間はすぐそこに迫っていた。ここまで来て逃げ帰る訳にもいかないだろう。
 いやそもそも、そんなに及び腰になる必要も、ないのかもしれないけれど。
(……ええい、ままよ!)
 ぶんぶんと頭を振って、ごちゃごちゃ巡る気持ちをぶん投げると、思い切って足を踏み出した。
 広々としたエントランスへ上り、緊張して震える指先でチャイムに触れ――押す。
(う、うあああ……)
 こちらの重苦しいテンションとは裏腹に、軽やかな音が鳴り響いて、最後の審判が下ったような心境にまで陥る。
 ガチガチに緊張したまま棒立ちで待っていると、ややあって、がちゃりと扉が開いた。
 そして、
「……キトゥン。時間ぴったりだな」
 高い影が現れて、いつものように落ち着いた低い声が耳を打つ。その姿を見た途端、緊張がピークに達して、
「う……うん、勇利」
 キャットはそれだけしか答えられなかった。喉がからからに乾いて、声を押し出すのも辛い。

 もとはといえば、自分から言い出したようなもの、かもしれない。
「――昔の試合を見返す?」
「うん。過去のデータ見て勉強しろって言われてさ」
 ジムでの休憩の際、たまたまその話題になった。
 勇利にタオルを渡した後、キャットはポケットからUSBメモリを取り出してみせる。
「これ見てレポート百枚書けってさ。こんなの、トレーニングよりしんどいよ」
「ただ観戦しているのと、トレーナーとしての目で見るのとでは、見方も変わるからな」
「そう言われたよ。まぁ、それは良いんだけどさ、これ何で見ようかと思って。うちに再生機(プレーヤーー)ないんだよな」
 今は給料をもらっているとはいえ、元は貧民暮らしのようなものだ。
 贅沢な家電を買う余裕もなく、必要性も感じなかったから未だに持っていなかったのが、あだになった。
「メディアルームで見ればいいって言われたけど、それじゃ時間あんま取れないし、携帯じゃ画面小さすぎるからさ。
 今日終わったら、自腹切って買いに行こうかと」
 先の事も考えれば、購入するのは悪くない。痛い出費ではあるけれど、と思ったところで、
「それならうちで見るか。プレーヤーはある」
 何の気なしに勇利がそう言ったので、え、と視線を向けた。
(勇利のうちでって、……え。……!?)
 途端、隠す間もなくカッと顔が熱くなった。
 それを目にした勇利もまた、あ、と言いそうな表情になって、
「…………。……他意はない」
 視線をそらしてぼそりと呟く。
 同じことに思い至ったのだろうと察したら、また熱が上がった気がして、
「あ、いや、その、わ、分かってる、それは分かってるよ!」
 わたわたと言葉を並べ立ててしまう。
 まさか勇利が、下心で自宅に誘うなん考えるはずもない。むしろ自分の態度のせいで、変な想像をさせてしまった気がして、
(ば、バカかーー! もっと普通にしなきゃ駄目だろ!!)
 自重しなきゃならないのに、墓穴を掘ってどうする、恥ずかしい。
 その後、勇利がすぐトレーニングに戻ったおかげで、気まずい沈黙から解放されたわけだが――

 結局、今日ここへやってきたのは、
(再生機無いのは確かだし、レポートの締め切りもあるし、他意はないし)
 と諸々の言い訳と、諸々の覚悟を決めたからだ。そしていざ訪ねてみれば、
「……今の、あんたがフェイク入れたんだよな。
 ガード固くしてたのに、この時ボディーがら空きになって、まともに入ってる」
「この選手は猪突猛進で、すぐに状況を見失うから、フェイクに引っかかりやすかったな」
「確かに。でも勇利のパンチ、マジでえげつないな。さっきもブロックの上からなのに、ロープまで吹っ飛んでたしさ。これ、重量級よりの相手だろ」
「あちらはアッパー大振りの連発で、スタミナを使い切ってる。ここでもう、だいぶ足に来ていたはずだ」
 ソファに並んで座り、間に犬を挟んで映像を見始めたら、気まずい空気はどこかへ行ってしまった。
 キャットはノートにメモを取りながら、画面に見入った。選手本人の解説コメントで見る試合は、確かに勉強になる。
(それに、勇利の技術はマジでトップクラスだもんな。
 他の選手よりずっとスマートだから、お手本見てるみたいだ)
 どうせなら、現役の時にきちんと見ておけばよかった。
 自分と勇利はもちろんタイプが全く違うのだが、それでも参考になる点は山ほどあっただろう。
(まぁ、過ぎた事はともかく……トレーナーとしてこういうの、ちゃんと研究しておくの大事だな。
 勉強は苦手だけど、頑張ろう)
 そう思いながら、またテレビ画面に集中する。
 トレーナーから借りたデータはチーム白都のものだが、中でも勇利の試合映像が多めだった。
 キング・オブ・キングスともなると、試合数が増えるし、対戦相手も強敵ばかりで、自然と見ごたえのある展開になる。
 いくつも熾烈な闘いを繰り広げ、それでも最後には必ず勝利をつかみ取るチャンプの姿には、ファンとしてやはり胸に熱いものがこみあげてきてしまうのだが、
(……でも……少し冷静になってみると)
 見方が変わる、というのはそうかもしれない。
 数時間後。ようやく全てを見終え、勇利が入れてくれたホットミルクを飲みながら思った。
 思った事は、つい口から出てしまう。
「……なあ、勇利。ちょっと気になる事があったんだけどさ」
「何だ」
 コーヒーを飲みながら、勇利が答える。
 犬の背に長い腕を置いてリラックスしているのを横目に見て、キャットは問いかけた。
「あんた、メガロボクスやってて、楽しいか?」
「……?」
 投げつけた問いは、唐突に聞こえたのだろう。
 マグカップから口を離した彼は、訝し気にこちらを見やる。
 そうだよな、変な事聞いてるよなと思うが、芽生えた疑問を撤回する気になれなかった。
 リモコンでもう一度、映像を再生しながら、
「今日改めて試合を見直してみて、ちょっと思ったんだ。
 最近はもうどの試合でも、ほとんど危なげなく、当然みたいに勝ってる感じだよな。
 それはまぁ、チャンプだから当たり前かもしれないけど」
 だが、こうして昔の対戦から順番に、一挙手一投足を注視してみると、そこには明確に違いがあるように思えた。
「――以前のあんたはリングの上で、もっと必死な感じがする。
 勝つのが当たり前なんて感じじゃなくて、格上の相手に食らいついて、勝ちを一つ一つ拾うたびに、嬉しそうに見える」
 それもまた当然だろう。
 以前本人も言っていたように、勇利も初めからキングだった訳ではなく、挑戦者だった。
 試合で勝つたびに自分の価値を証明出来て、嬉しかったというのは事実だろう。
 実際、勝利を得た瞬間はそれまでの緊張感から解き放たれ、満足げに微笑んでいる姿が映像には残されている。
 だが、その喜びの感情は、試合の数を重ねる内に、少しずつ見えなくなっていった。
(ランクがあがるたびに、勇利はどんどん落ち着いていく)
 それは実力と実績を兼ね備えた、強者の余裕から来るものなのだろうとは思う。
 経験を重ねる事で、相手や試合展開を冷静に観察し、分析する力も得たから、というのもあるだろう。
 だから最近のものになると、ランキング上位の選手相手でも、余力を残して勝利をもぎ取っており、悠然と立つその姿はいつも、割れんばかりの勇利コールに包まれている。
 だが――
「最近のあんたは、何だかつまらなさそうだ。メガロボクス自体、楽しんでなさそうに見える」
 卓越した技術で構成された試合は圧巻の一言だが、以前のような熱を感じない気がする。
 そんな印象を、しかしうまく説明できなくて、陳腐な言葉で表現すると、
「…………」
 勇利はテーブルにコップを置き、目を伏せた。そのまま黙り込んでしまったので、
「……ごめん、何か生意気な事言ってるよな」
 頭をかきつつ、でもさ、と言葉を継いでしまう。
「あんたはずっと勝ち続けて、キング・オブ・キングスにまでなった。
 でも、だから勇利にかなう敵がいなくなって、つまんないんじゃないかって、そう思ったんだ」
「……そんな事はないさ。俺はそこまで傲慢じゃない。
 ペペ・イグレシアス、グレン・バロウズ、最近でいえば樹生も、俺からすれば脅威だ」
「かも、しれないけど」
 もちろん、他のメガロボクサー全てに楽勝なんて事はないだろう。
 だが、キャットからすると、やはり『楽しそう』には見えなかった。
 言ってしまえば、今の勇利は与えられた仕事を淡々とこなしているだけに見えて、違和感を覚えたのだ。
 そしてまた、樹生の名前が出た事で、もう一つ思い出した事がある。
 キャットは背もたれに寄り掛かって、犬の毛を指先でいじりながら、
「それにこうして身近で見てるとやっぱり、あんたはしがらみがあるんだなって思ったよ。
 入る前は分かんなかったけど、白都の中もさ。
 ギア開発で、オーナーと樹生がひと悶着あったってラボのおじさんから聞いた事ある。それって、勇利も思いっきり巻き込まれてるんだろ?」
「…………」
「まぁ、自分は難しい事わかんないし、上の連中が何しようと関係ないけど……あんたが面倒ごとに関わらなきゃいけないのは、やだなあって思うよ。
 そういうのなしに、勇利がメガロボクスを好きにやれればいいのにってさ」
 そこまで言ってから、はたと気づく。
 そういえば以前こういう話になった時、お前には関係ないと切り捨てられたんだった。
 今も自分で、無関係だと言ったのに。一方的な考えを吐き出されても、迷惑だろう。
「あー……ごめん、勇利。こんな話、聞きたくないよな」
 ばつが悪くなって、ノートを畳んでバッグにしまった。
「全部見終わったし、これでレポートは何とかなりそうだよ。わざわざつき合わせてごめんな。
 次は自分でプレーヤー買うから、」
 今日はありがとう。そう言って、USBメモリを取ろうと腰をあげかけた時、
「……不満が、無い訳じゃない」
 ぽつりと呟きが耳に入った。
 え、と振り返ると、勇利は微かな笑みを口元にためて、
「ただそれは、俺の我慢が足りないだけの話だ。
 これ以上ないと言うほど十分に恵まれているのに、他の何かを望むのは、我儘だろう」
「……」
「キング・オブ・キングスと持ち上げられたところで、俺はただのボクサーに過ぎない。いま俺に出来るのは、自分のなすべき事をなすというだけだ。
 それが例え、お前から見て『つまらなさそう』に見えたとしてもな」
「………ごめん」
 申し訳ない気持ちがこみあげてきて、小さな声で謝った。
(前と違って、不満があるっていうのは言ってくれたけど)
 日々過酷なほどの努力を重ねて、キングとして君臨している彼に対して、自分の感情走った物言いは、侮辱に他ならない。
 勇利のボクサーとしての在り方を、ただのトレーナー見習いが批判するなんて、おこがましいにもほどがある。
(やっぱり、余計な事言うんじゃなかった)
 嫌な気分にさせてしまった、と凹んで肩を落とした時、
「!」
 不意に、犬の背で遊ばせていた手に、勇利のそれが重なって、ドキッとした。顔を上げると、切れ長の瞳がこちらを見つめ、ふっと和む。
「俺には、こういうやり方しか出来ないというだけだ。お前が謝る必要はない」
「勇利」
「お前が俺を心配して言っているのは、分かっている。だから、そう落ち込むな」
 重ねられた手が、励ますようにぽんぽん、と甲を軽く叩いてくれたので、少し気持ちが楽になる。
「……うん」
 ほ、と肩の力を抜いた時、
「……お前の手は小さいな」
 ふと呟いた勇利が、自分との差を確かめるように、指で緩やかに輪郭をなぞった。
(うっ?)
 見た目はしなやかで綺麗な彼の手は、実際に触れ合うと固くざらついていて、厚い。
 大人と子どもくらい大きさが違うせいで、手を取られると、勇利の掌にほとんど包み込まれてしまう。
 その指で指の根元から爪の先までゆっくり撫でられて、不意にぞくりとした。
(っ、何かこれ……やばい)
 相手に悟られそうなほど震えそうになって、キャットはつい腕を引いた。
 するりと抜けた手を、かばうように胸元へ引き寄せて、
「ゆ、勇利、あの」
 ごまかそうと言葉をつぎはぎしようとした時、すっと勇利が前のめりになって、こちらの顔を覗き込んできた。
 鼻がぶつかりそうなほど間近に迫ってきた端正な顔に、思わず息を飲む。
「…………」
「…………」
 言葉が出ないまま、数秒。
(ち、近すぎる……)
 まるで観察するようにじいっと見つめられる。真っ向からぶつかる視線の圧に、耐えきれなくなって目を伏せた。
 勇利、と小さく囁いた時、ふっと顔が傾いて、重ねられた。
(う……わ)
 吐息が触れる。形を確かめるように、味わうようにゆっくりと角度を変えて、唇をなぞられる。
 それはごく穏やかで決して乱暴なものではないのに、先ほど手を探られた時よりよほど刺激が強く、触れられているだけで頭がクラクラしてきた。
「は……ゆ、うり」
 息をする事も忘れかけて、とぎれとぎれに名を呼ぶと、勇利はわずかに離れた。
切れ長の目が光を帯びて揺れ、一瞬の間を置いた後、
「んっ……!」
 こちらの肩を引き寄せて、今度は深く重ね合わせてきた。二人がくっついたせいで狭くなったのか、犬がくぅんと鳴いてソファから滑り降りる。
 あ、良い仕切りになっていたのに、と思う間もなく、
「……は、……ぅ、んっ……」
 後頭部を手で支えられ、息を全て奪うように熱を帯びた舌が口中を探り、合間に唇を食まれ吸われ、また塞がれては、試すように舌を誘い出される。
 動きこそ緩やかだが、生々しい感情の発露のように貪られて、
(あ……ど、しよ……だめ、だ)
 思考がどんどん溶けていき、力が抜けていく。
 そして、キスの勢いに押されるように体が後ろに下がり、気づいた時には、ソファに横たわっていた。
 口が解放されて息が出来るようになり、はー、はー、と荒く呼吸を繰り返していると、
「……すまない」
 いきなり謝罪が降ってきたので、何事かと目だけ動かした。勇利は座面に手をついて身を起こしたまま、こちらを見下ろしている。
 キスの名残か、わずかに息を乱しながらも、
「……本当に、最初は他意がなかった。お前が嫌ならやめる」
 しごく冷静に、そんな事を言って来たので、
(……は……。……なん……、何だ、それ)
 溶けていた思考が急に現実に立ち戻り、脱力しそうになった。
 何だそれは、あんなキスをしておいて、どうして突然、我に返る。
 いつでもどこでもどんな時でも平静さを保てるのは、キング・オブ・キングスとして培ってきた経験によるものなのかもしれないが、
(……のっ……大真面目の、大馬鹿か、あんたはっ!)
 思い切り大声でしかりつけそうになって、すんでのところで堪えた。
 その代わりに目を手で覆って、ああもう、と呻いてしまう。
(……こっちがどんな思いで今日、ここに来たと思ってんだ)
 告白された時も、最初にキスされた時も、不意打ちだったから、心の準備をしていなかった。
 だが、今日という今日、キャットは覚悟を決めて、勇利の家に来た。
(さっきまでは迷ったり、そういうの忘れてたり、したけど)
 前もって、何があっても受け入れよう、自分も腹を決めて臨もうと、そう決めていたのだ。
 だというのに、この男は何だ。
 手を触ったり、キスをしたり、人をその気にさせるだけさせておいて、やっぱりやめようかって、何だそれは。
 こっちだって気持ちの盛り上がりとかそういうのがあるんだから、振り回すのはやめてほしい。
「……キトゥン?」
 うう~とうめき声をあげるこちらが異様に見えたのか、勇利が声をかけてくる。
 指の間からちらりと覗いてみると、あまり見ない困惑の表情をしていた。その顔から、さっきのも本心からの言葉なのだと察せられて、
(何かもう……確かに、勇利は神様じゃないや)
 本当にただの男なんだと実感してしまって、何だか急に笑えてきた。
 こんなにストイックで、真面目で、不器用な人は、他に居ない。
 そして、自分がこんなに、どうしようもないほど、大切で愛しいと想える人も、他に居ないだろう。
「勇利」
 キャットはハーッと大きく息を吐き出すと、腹に力を入れて起き上がった。そして、
「!」
 相手の胸元を掴んで引き寄せ、自分から顔を近づけて、唇を重ねた。ぴくっと勇利の体が震えるのを感じて、少し離れる。
 まだ、間近で見つめあうと、恥ずかしさのあまり視線をそらしたくなる。
 けれど、キャットは強いて相手の目を覗き込んで、
「今日は、勇利と一緒に居たい。……居させて、欲しい」
 精一杯の答えを、たどたどしく口にする。
 対して勇利は、
「…………」
 目を瞠ってしばし黙り込んだ後、いいのか、と掠れた声で囁いた。
「途中で止めるような、器用な真似は出来ないぞ」
 だからいいと言ってるじゃないか、バカ。
 何でキングにこんなにバカバカ思わなきゃいけないんだ。と、もはや怒りに似た感情を覚えながらも、
「……勇利なら、いい。いや、勇利がいい。
 ……止めないで、いいから」
 また羞恥がこみあげてきて、指先まで痺れるような思いで囁くと、
「……分かった」
 ようやく了承が返ってきて、頭を優しく撫でられた。顔を上げれば、柔らかな微笑を浮かべた、優しいまなざしの勇利が視界に映る。
(こんな顔、初めて見た)
 心から穏やかなその表情は、これまでキングとして接してきた勇利という男の、生身の表情だ。
 他の誰も見られないだろう、優し気な笑顔に胸がまた高鳴り、ぽっと火が灯ったようにあたたかくなる。
(この人に出会えてよかった)
 きっと今日はそれを、何よりも実感する日になるだろう。
 それが嬉しくて、静かに目を閉じて、再び唇を重ねた。
 交わす吐息は互いに熱い。
 手を置いた勇利の厚い胸の下で、鼓動が高鳴っていく。それを感じ取る自分もまた高ぶりを抑えられず……

 そうしてこの日、初めて――キャットは勇利という一人の男と、身も心も深く分かち合う時を過ごしたのだった。