ワイズマン・ウィズダム

 あーん、と大きく口を開いて、ハンバーガーにかぶりつけば、かさついたバンズと薄い肉、しなびたレタスにやたら濃いケチャップが口の中を満たす。
 しばらくもぐもぐと咀嚼して飲みこみ、オレンジジュースをストローで吸うと、嘘くさい人工甘味料の味が喉をすり抜けて、チープの一言に尽きる。
 とはいえ、長年馴染んだジャンクフードを口にすると、味はともかく、気持ちが落ち着いた。
「……ったく、どうしたもんかね」
 最後のひとかけを放り込み、指についたマスタードをなめて、キャットはため息と共に呟く。
 膝に頬杖をついて眺める景色は、天を突けとばかりに高層ビルが立ち並ぶ認可地区――を川向うに見る、未認可地区のそれだ。
 地面に這いつくばるようなバラック小屋が立ち並び、日々の暮らしにあくせくする人々が行きかう街並みは、決して美しくはない。
 だが、認可地区むこうよりもよほど身近に感じるのは、幼いころからここの世話になってきたからだろう。
 いつ来ても変わることなく薄汚い光景を、土手の芝生に座って眺めながら、
(家にいても落ち着かないから、外に出たはいいものの……。
 空が開けたところに来たって、簡単に答えが見つかる訳ないよなぁ)
 はー、とまた息を吐き出す。
 せっかくの休みに、どうしてこうも憂鬱な気分に浸らなきゃならないのかとも思う、が。
 白都ジムに復帰してから――正確には、勇利の告白からずっと、頭にモヤがかかったようにすっきりしない状態が続いている。
(せめてこう、ちょっと距離を置ければ、まだまともに考える気力も出ようってのに)
 白都のジムは元々、勇利の居場所だ。
 毎日通っていれば当然、顔を合わせる機会も増えてしまうから、緊張して何も考えられない。
 とはいえ、ラボで出くわして以来、言葉を交わしてはいなかった。
 自分から話しかけるのはもちろん、あの奇行を目にして勇利も敬遠しているのか、必要な時以外は一切近寄って来ない。
(まぁ、元々おしゃべりな質ではないけど)
 それでも時々、視線を感じる気がする。
 その気配にぱっと振り返ると、勇利はトレーナーと話をしていたり、トレーニング中で、目が合う事はない。
 なのだが……何度も同じことが続けば、もはや自分の勘違いで済ませられなかった。
(そりゃ勇利にしてみりゃ、いい気分しないよな……。
 どっちつかずのまま、周りをちょろちょろしてるんじゃ)
 うーん、と頭を抱える。
 あの告白について気持ちを整理する前に、のこのこ戻って来た自分が悪いといえば悪いのだろう。
 だが他に帰りたいと思う場所もないのだから、どうしようもない。
 しかし、それで勇利とぎくしゃくするのも嫌で……。
「……あーくそっ、わかんねぇ!!」
 ぐちゃぐちゃした頭の中をかき回す気分で髪をかき、脇に置いた袋へ手を伸ばす。
 考えるのが面倒になってやたらめったら注文したせいで、ジャンクフードは売れるほど積み上がった状態だ。
 どうせ試合に出る事もない。やけ食いしてやれとフライドポテトを掴もうとして、
「んっ?」
 すかっと空振りした。あれ、と横を見ると、
「……ん、んま~~」
 いつの間にかそこに座り込んだ太った子どもが、もりもりと頬張っている。
「あ!?」
「ボンジリ、何してんだよ! とっとと来いって!!」
 ぎょっとする間もなく背後から声がかかった。
 振り返った先には、薄汚れた格好の子どもが三人、土手の上からこちらの様子を窺っていた。
 目が合うとやべぇ、と身を竦ませる。
「ボンジリ逃げろ、ばれた!」
「ひっつかんでこっち来い!!」
「あ、ああ~ちょっと待って……」
 盛んにはやし立てられ、太った子どもが、のたのたと歩き出そうとする。
 呆れた奴らだ。どうやら堂々と人の食い物を盗もうとしていたらしい。
 キャットはとっさに、鈍重な子どもの首根っこをひっ掴んで、引き寄せる。
「ちょっと待て、お前ら」
「うわっ……う、うぐうっ」
 そのまま首をホールドして呼びかけると、逃げようとしていた他の連中が足を止めた。
「ボンジリ!」
「馬鹿ッ、何やってんだよのろま!」
「ちくしょー、人質なんて卑怯だぞ!!」
「なに好き勝手騒いでんだ……」
 ギャーギャーとわめきたてるのに、思わず苦笑する。
 その姿はかつての自分を思い起こさせるようで、怒りや苛立ちは感じない。むしろ懐かしい気持ちになった。
 キャットは、ボンジリと呼ばれた子どもから手を離し、
「別に取って食ったりしねぇよ。お前ら、腹減ってるんだろ?」
 再び土手に座って、ジャンクフードの山を示す。
「やるよ。好きに食べな」
「……んな事いって、まとめてトッ捕まえるつもりじゃないだろうな!?」
 親分格らしいぼさぼさ頭の子どもが、きっとこちらをにらんで叫ぶ。馬鹿言うな、と肩をすくめた。
「お前らみたいな跳ねっ返りを何人も相手したって、何の得にもならないだろ。
 どうせ一人じゃ食いきれないんだ、残飯処理に付き合えよ」
「…………ちっ、いいだろ」
「やったぁ! 久しぶりの肉だあ!!」
「ポテト、んま~~」
 ボスが折れた途端、服の袖をたっぷり余らせたチビと、太った子どもが嬉々として食い物の山に取り付く。
「ボンジリ、オイチョ! 俺はそっちのバーガー食うんだからな、全部取るんじゃねぇ!」
 慌てて駆け寄ってきたぼさぼさ頭も加わって、さながら動物園のような大騒ぎだ。
 元気な連中だなと笑って、キャットはジュースをすすった。
 ふと視線を上げれば、もう一人――オレンジ色の帽子をかぶった子どもが、じっとこっちを見据えている。
「何だ? お前はいらないのか」
「……貰うよ」
 ぼそっと答えた子どもは土手を降りてきて、山の中からポテトをかすめ取った。わいわいと騒々しい仲間たちのそばに座って、もぐもぐ頬張りながら、
「…………」
 ちらちらとこっちを見ている。だから何だよ、とキャットは肘でその頭を小突いた。
「言いたい事があるなら言えよ、気味悪いな」
「……あんた、野良猫ストレイキャットだろ? こないだまでメガロボクスに出てた」
「! ……ああ、まあね。知ってるのか」
「あんた、ちょっとした有名人だったろ。
トーナメントにエントリーした時も、初の女メガロボクサーだってすげー話題になったし、その後いきなり引退したから」
「あー……そうだな」
 そういえば引退を発表した際、だいぶ好き放題に書かれていたらしい。
 当時は精神状態がおかしくなっていたから、ニュースの類は一切シャットアウトしていて、今でも詳細は知らないが。
「その元メガロボクサーが、こんなところで何してんだよ」
 どうやらこの子どもは、飯よりこちらに興味があるらしい。携帯端末をいじりながらの問いかけに、肩をすくめる。
「自分は元々、こっちの出なんでね。
 今日は休みだから、散歩しにきたようなもんだよ」
「ふーん……。そのわりにため息ばっかついてたよな。
 ここに座り込んでからこっち、のろのろ飯食ってるか、百面相してるかじゃないか」
「……いつから様子見てたんだ、お前ら」
 ここに落ち着いて小一時間、どうやら来た時からターゲット扱いされてたようだ。
 抜け目のない奴らだと苦笑して、キャットは頭をかいた。
「あー、まー、ちょっと考え事しててな……。
 色々思うところがあるというか何というか」
「へぇ」
 煮え切らない返事をすると、相手も気のない反応で、肩透かしを食らった気分になる。
 何だよ、と顔を覗き込み、
「そっちから聞いてきておいて、その態度は」
「知らないよ。あんたが何を悩んでるかなんて、関係ないし。それとも相談に乗ってくれとでもいうのかよ」
 相談。相談か、と繰り返してしまう。
(置き引きの子どもに、こんな事を相談するなんてバカバカしい……けど)
 案外いいかもしれない。
(知り合いに話したら一発でバレるし、バレたら勇利に迷惑がかかるしな)
 どうせこの場限りの関係だ。余計な事をぶっちゃけなければ、良い吐き出し口になるだろう。
「なら乗ってくれよ、相談」
「はあ?」
 言葉尻をとらえて笑うと、相手が素っ頓狂な声を上げた。何言ってんだこいつ、と書いてある顔をつんとつついて、
「まあ聞けよ。あー、これ、知り合いの話なんだけどな……」
 事の次第をかいつまみ、適当に伏せて説明する――

「……そりゃあ、どう考えても女が悪いだろ」
「んっ? 何でだ!?」
 ――そしてダメ出しを喰らった。
 一通り話を聞いた子どもは、帽子のつばを上げ、冷静に続ける。
「だってそいつ、普段から相手の男に目いっぱい、かっこいいだの何だのほめちぎって、誰よりも尊敬してる、世界一だなんて言いまくってたんだろ?
 それじゃあどんな奴だって、その気になるに決まってらあ」
「うっ……そ、そうなるのか……?」
「逆に何でそうならないって思ったのか、知りたいね。そういうの、据え膳食わぬは何とやらって言うんだろ」
「据え膳……」
 直截な物言いにくらくらして、額を押さえる。
 自分にとって勇利が世界一かっこよくて、唯一無二の尊敬する人だという事は当然の理で、そこに邪念の類は一切存在しない。
 しかし客観的に見れば、どうも異常な事らしい。
「で、でもなあ、その男ってのは物凄くストイックで、寡黙で、人寄せ付けないタイプだぞ?
 一緒にいて下心見せるような様子は無かった……って、聞いてるけど」
「そういう奴だから、裏表なしに懐いてくる相手にコロッとまいっちゃったんじゃないの。
 聞いてる感じ、あんたみたいな馬鹿正直なタイプに弱そう」
「!? いや、人の話だって言って」
「うそ、つくの下手すぎだろ。
 そいつの話するとき無駄にほめ過ぎだし、目輝いちゃってるし、どう考えても、あんたの話してる風にしか聞こえなかったよ」
(くっ……何だこいつ、子どものくせにやたら鋭いな!?)
 思わず言葉に詰まると、相手は興味のなさそうな顔で端末を操作し続ける。
「とにかく、向こうはすっかりその気になってるんだから、後はあんたが返事すればいいだけじゃん。
 答えは出てるようなもんじゃないの」
「答えは出てるって……そんなわけあるかよ」
 あっさり見破られた事にむすっとして、あぐらをかいた足首を掴んで体を前後に揺らす。
「自分はゆ……相手を尊敬してるし大好きだけど、あっちが言ってるのはそういう事じゃないっていうか……なんかこう……違うだろ」
「その違いってよく分かんないな。
 だってあんた、そいつの支えになりたい、一生そばに居たいって言ったんだろ?
 それってもうプロポーズみたいなもんじゃん。だからそいつも告白したんだと思うけど」
「プロ」
 ポーズ。
 一拍おいて反復し、それから、
「なっ……プ、プロ!?」
 カッと赤くなって、ドッと汗をかく。
「ば、ばばばば馬鹿っ、何言ってんだ!? そ、そんなつもりで言ったんじゃなくて、あれはその、これまで世話になったから恩返しをしたいからってそういう事であって……」
「…………オレ、そいつに同情するよ。
 あんたみたいなの好きになったら、すげー苦労しそう」
「何でだよ!?」
 どうして通りすがりの子どもにまで、心底呆れたという顔で深々ため息をつかれてしまうんだ、納得いかない。
 とにかく、と相手は最後のポテトを口に入れて、
「別に、相手と全くおんなじ気持ちじゃなくても、いいんじゃないの?
 あんたがそばに居たいと思うなら、そうすればいいだけの話だろ。もしかしたらその内、気持ちも変わるかもしんないんだしさ」
「それは……そうかもしれないけど」
(ダメ元で、そばに居させてくれって言うのは、ありかもしれないな)
 ふとそんな事を思う。
 自分はともかく、勇利の方が心変わりしてよそに行く可能性はあるだろう。
 それに今の、会うに会えない状態が長く続いているのも、正直重荷になっている。
 できれば以前のように、気安い関係に戻りたい。
「……それなら、とりあえず……話、してみるか」
 考え込みながらぽつりと呟くと、そうしなよ、と子どもがぽんと背中を叩いてきた。
「聞いてる限りじゃそいつ、優しい奴みたいだしさ。
 あんたがどう返事しようと、ちゃんと答えてくれると思うよ」
「……そうだな」
 小さな手の感触に、沈んでいた気持ちがふと軽くなったような気がして、嬉しくなる。
 キャットは子どもの頭に手を置いて、帽子ごとくしゃくしゃと撫でた。
「ありがとうな、坊主。おかげでちょっと気が楽になったよ」
「うわっ、いてっ! は、離せよ、気安く帽子にさわんな!!」
 返ってきたのは何とも可愛くない返事だったが、それを聞いて久しぶりに、声を上げて笑う。
 それにいまだ争奪戦を繰り広げる子どもたちの喚き声も重なって、川っペリのわびしい食事が妙に楽しくなってきた。
(よし。勇利とちゃんと話そう)
 そして子どもたちとじゃれ合いながら、心に決める。
 たとえそれで、そんな中途半端はお断りだと拒絶されるにしても、今のようにあいまいな状態が続くよりはずっといい。
 しかし、
(まさか勇利もあれをプロ……とか思ってないよな……?)
 その一点が気になりだすと、また顔が熱くなってきて、どうにも始末に困るのだが。