クリードを見ているとやっぱりメガロのことも色々考えちゃいますね。
メガロの短編文庫で勇利がもし歩けるようになったら、という話を書いたんですが、2本編では車いすのままでした。
この車いすの意味を改めて考えてて……
そもそも2の勇利はおそらくマックと対比されてるんだろうなと思ってます。
脊椎の損傷の勇利、再起不能・意識不明のマック。どちらも「歩けない」という点では同じなんですが、マックはベスを埋め込まれることで自分で動けるようになる。
一方勇利は車いすのまま、リハビリや筋力を必要以上落とさないための運動はしてると思いますが、おそらくそれ以上の治療はしてない。
勇利がその状態を選んだ理由は、本編では描かれてないので、見る側が勝手に想像してしまうんですが。
私自身は、勇利のネームバリューや劇的な引退試合になったこともあって、佐久間絶対一度は勇利にアプローチしてる→勇利は断った、だと思ってます。
一体型ギアで鋼の男となり、それを捨てた勇利はもう二度と、自分の力でないものに頼りはしないだろうなーと。
あとネットの感想見てたら、もし歩けなくなった状態を変えてしまったら、あの試合もなかったことになるからじゃないか、というのを見て、そういう考え方もありだなーと思ったり。
2の勇利は孤高ではなく、ジミーさんやリュウやトレーナーがいて、ジミーさんとは疑似親子のような関係だと思うんですが、リュウとは師弟であり、元とはいえボクサー同士、孤高のファイターとしての対峙してる面もあるんじゃないかなと思います。
一方でマックには家族がいて、自分以外の「守りたいもの」を持ってる状態。
マックに関してはベスを使うか否か選択の余地がなかったわけですが、もしあの時意識があったとしても、マヤと同じ選択をしたと思うんですよね。それが自身の不幸を招くとわかっていても、家族のためならそうするという思いがあっただろうし、それゆえにマックは瀕死の状態からあそこまで回復・復帰したわけで。
勇利とマックの違いが何かと言えば、家族の愛情を注ぐ相手がいたか否かの違いなんじゃないかなーと。
だらだら書いてますが、要するに自分が勇利歩いちゃう話を書いた言い訳なんですがw
その話の中で、もし自分が一人でも生きていくことをあきらめはしなかったけど、シャルがいたから(再び歩けるようになるまで)頑張れた、といったことを勇利に言わせてて、ああそうだなー勇利、もし「守りたいもの」を持ってる状態なら、きっと歩けるようにしようとするだろうなーと考えたわけです。
執筆当時はそこまで深く考えてなくて、2が来る前に妄想書いちゃえ!くらいの気持ちだったんですがw
クリードをはじめとしたロッキーシリーズで体がボロボロになるまで頑張るボクサーたちを見ていたら、改めて考えを巡らせてしまいました。
別に男女の情が男同士の疑似家族や友情に勝るというわけではないんですが、勇利昔かたぎの、男は女を守るものみたいな考え方しそうだなーというところからの連想だと思います。ロッキーがそうだしね(いや彼はもうほんとにそういう時代の人だけど)
2のジョーは自分が家族を守らなければと空回りしての「有害な男らしさ」を発揮してしまったけれど、勇利もそういうところは譲れなさそうだし、それゆえに力を発揮する、みたいなところあるんじゃないかなという妄想です。とりとめもなく書き散らしてしまった。