雲一つ無い夜空を紫電が走り、轟音が鳴り響く。猛る牡牛二頭は何もない空を分厚い蹄で蹴り、主の願うままに冬木の上空を駆け抜けていった。
「…………」
手綱を握るライダーの後ろで、ウェイバーはへたり込んでいた。
彼はもちろん、聖杯戦争がなんたるかは、事前に調べていた。英霊を召喚しての尋常ならざる殺し合いが、最長でも二週間の短期決戦である事は理解していたが、それにしても毎日、いや毎時ごとに、メインイベントが次々と起こりすぎて目が回りそうになる。しかも彼のサーヴァントは自らしゃしゃり出て、無茶きわまりない茶番を仕掛けるのだから、たまったものではない。
(まぁ……あの宝具はとんでもなかったし、こいつがこんなに自信満々なのは納得出来たけど)
酒杯によって聖杯にふさわしきを問う「聖杯問答」。征服王が王らを招いた酒宴で彼は、サーヴァントが見せつけた宝具「王の軍勢」の凄まじさに圧倒された。
かつて王に付き従った数え切れないほどの軍勢、しかもその一人一人が英霊であり、その戦闘力はもはや計り知れないほどに巨大だった。改めてステータスを確認してみれば、ランクは最上級のEX……もはや評価規格外である。それもさもありなん、ウェイバーに至っては、最後の方は意識すら一瞬飛びかけたほどの威力だった。
数を頼みに総攻撃をかけてきたアサシンにしてみれば、それこそ藪をつついて蛇、いや猛り狂う牛に襲われたようなものだったろう。敵ながら、いっそ哀れみを覚える。
これだけの強力な武器があるとすれば勝利はもはやもぎ取ったも同然。
だが、あの場に居た他のサーヴァントも、自分達のマスターに委細伝えて、対策を講じてくるに違いない。豪放磊落な彼のサーヴァントは、肉体派に見えて意外と頭が回る。しかしその自信故か、大事を些事と捉えて顧みない癖がある。何しろセイバー、ランサーの戦闘に割り込み、聞かれもしないのにわざわざ真名を明らかにするほどの大馬鹿者であるからして。
(ボクがしっかり、こいつの手綱を握らなきゃ)
まだ動悸する胸を押さえ、落ち着こうとため息をつく。と、正面からも呼気の音が聞こえて、ウェイバーはん? と顔を上げた。目に映ったのは、王の足下に膝をついて控えながら、なにやら難しい顔をしているシャムスである。
「おい、オマエ。どうしたんだよ。何怒ってるんだ」
こと「我が君」に関する事では短気極まりなく、しょっちゅう怒気を露わにする従者だが、こんな風にため息をつくのは珍しい。気にかかって声をかけると、シャムスはちらっと彼を見、
「……何でもない。貴様には関わりない事だ」
やはり不機嫌に返事した。木で鼻をくくるような言い方にウェイバーはムッとしたが、しかし奇異にも思った。
つい先ほど、ライダーが「王の軍勢」を具現化した時、シャムスもまた高揚し、征服王への賛歌を叫び、戦場を駆けた。
おそらくは共に戦ったであろう戦士達と再会し、かつての東方遠征さながらのイスカンダルの偉容に、シャムスはこれ以上無いほど歓喜したはずだ。王を崇めて止まないこの女にしてみれば、あの戦場での幸福感はおそらく、少なくとも数日は尾を引くほどに大きなものであったのではないか。
だが今、シャムスは苦虫をかみつぶしたような顔をしたまま、嘆息を止めない。
「でも……何か変だぞ、オマエ」
あまり突っ込むと怒られるだろうか。そう思いつつおそるおそる言葉を続けると、
「騎士王が気にかかるか、シャムスよ」
不意に頭上から太い声が降ってきた。見上げると、ライダーが肩越しに、苦笑を滲ませてこちらを見ている。王の言葉に、シャムスはますます眉間のしわを深くし、
「……は。いえ、気にかけている……という訳ではありませぬが……」
なにやら曖昧に呟く。ライダーは前に顔を戻し、気にするでない、と力強く言った。
「あれはあの小娘にかけられた呪いだ。そなたがいちいち案ずる必要はない」
「案ずる……って、オマエ、セイバーの何を気にしてるんだ?」
話が見えないウェイバーが問いかけると、シャムスはもう一度息を吐き出し、苦々しげに言う。
「……あのような娘が、細い双肩に見合わぬ重荷を背負い続け、その不幸から目を背けている事が気に入らぬというだけの事だ」
シャムスはウェイバーを見た。その瞳には悲しみ、その表情には苛立ちと、互いに相反する感情が浮かび、端正な顔立ちに複雑な影を落としている。
「詰まらぬ感傷にすぎぬやもしれんが……あのように一人の人として、女としての幸を知らずに生きるのは、さぞ苦しかろうと思ってな」
そう言って、シャムスは目線を上げる。先にあるのは、朱のマントを翻す、征服王の広い、広い背中。それを映すシャムスの瞳には憧憬と限りない愛情が浮かぶ。それは見ているものの鼓動を高鳴らせ、胸を締め付けさせるほどに激しく情熱的だ。
(……セイバーも、自分みたいに恋をすればよかったのにと……そう、思ってるんだろうか)
確かにこれだけ強く一個の存在を思う事など、あの高潔にして孤高の騎士王には出来なかったのではないだろうか。
脇で聞いていた限り、セイバーは少女の見た目に反して、確かに王の品格を有していたが、その高潔さは峻烈に過ぎて、ウェイバーなどはとても寄りつこうとは思えない。自分のように未熟な人間が彼女の側にいたとしたら、その息苦しいほどの存在を恐れ、己を恥じ、やがて逃げ去ってしまう事だろう。
「あれは人として生まれながら、とうとう人にも神にもなれずに足掻いている小娘だ。過去を否定し、自身の不幸を認められぬまま戦場に立ち続けるようなら、あの小娘は最後には己に裏切られるであろうよ」
背を向けたまま、ライダーは静かに、深く響く声で謳うように言う。そして半身振り返ってシャムスの肩に手を置き、大海のごとき大らかな笑みを浮かべた。
「あの呪いをどうにかするのは、騎士王自身の問題だ。女の身では、より一層あの小娘が哀れに思えるやもしれんが、奴は同情など与えられたところで、喜びはせんだろう。
――だから、な。気にするなシャムス。それより笑え。久方ぶりに皆と駆けた灼熱の砂漠の地は、大層血を沸かせたであろう?」
「我が君……はっ、勿論でございます」
そこでようやくシャムスは愁眉を開き、いつものように王に向けて、甘くはにかんだ表情を見せた。
「我が君の軍勢は長き時を経てなお変わらず、彼の日のまま、この身を熱く滾らせております」
頬に血の気を上らせて熱く語るシャムスに、ライダーは呵々と笑って手綱を入れた。
「では疾く寝床へと帰り、夜を明かして思い出を語り合おうではないか。余もまた、この胸の鼓動が猛々しく脈動し、抑えきれぬ故にな」
「…………別にいいけど、あんまり夜更かしするなよ」
テンションを上げてすっかり盛り上がってしまってる二人に当てられ、ウェイバーは白けた気分でぼそっと呟いた。主従が語る言葉はかつて世界を駆け抜けた頃の思い出話へと切り替わっていき、彼には理解さえ出来ないものへとなっていく。
(……何なんだよ、馬鹿馬鹿しい)
最強のサーヴァントを手に入れたのだという興奮は今、なぜか急速に冷えていった。
かわりに顔を出したのは、居心地の悪さ。自分はマスターであるのに、なぜこんなに居場所が無いのか。そんな事を思いながら二人から目をそらし、ウェイバーは何とも言えない胸苦しさに襲われ、顔をしかめた。