己が身命を捧げた主に仕えたい。そんな当たり前の願いが再度叶う日がくるとは、これは何という奇跡であろうか。
(あぁ……よもや現世でまた、拝顔の栄に浴することが出来るなんて)
喜びでいっぱいの胸を押さえ、シャムスは惚れ惚れと王を見つめていた。
イスカンダル王は今、マスターがかき集めてきた軍事関係の本や、ビデオテープなるものを見漁っている。投影機――テレビの放つ光に照らされた王の横顔は真摯にして凛々しい。往年の東方遠征において、次に征するは何処やと、地図を前に算段していた頃と全く同じ表情である。
(我が君……あぁ我が君)
主の一挙手一投足にいちいち、感動してしまう。飽かずイスカンダル王を見つめながら、シャムスはほとんど涙ぐまんばかりだった。
何しろ生前、王は非業の死を遂げていた。わずか十年の間に一大帝国を築いた偉大なる征服王が、志半ばで病に倒れ伏した。あれが悲劇でなくて、何だというのか。
(あの時の事はもう、思い出したくもない)
心に落ちた薄暗い影に、シャムスの顔も曇る。最愛の王を失った悲しみでシャムスは心が砕けてしまうほどの絶望に襲われた。また、それまで共に戦い続けてきた王の家臣達は互いに相争うようになり、結果的に大王の帝国は分断されてしまった。
もはや生きる気力を失っていたシャムスは、その戦乱の中で命を落としたが、王を慕ってやまなかった者の多くが、自分と同じ絶望を抱えていた。もはや二度と、あの雄大にして豪放な征服王のお姿を見ることが叶わぬと、嘆き悲しんだものだった。
(誰もが王を求め慟哭しながら争う、暗い時代だった)
それがよもや、こうしてその堂々たる姿を、磊落たる笑い声を、この目で、耳で見聞きする機会に恵まれようとは。
しかも今、ここにいるのは王とシャムスのみ。
マスターの少年は夜が明けてなお惰眠を貪っているし、家主の老夫婦も、今は出かけている。つかの間とはいえ、愛しい主と二人きりの時間を過ごせるなど、マケドニアの時代でも滅多に無かった、実に貴重な機会である。
(聖なる杯よ、マスターよ、私は貴様らに、なににも勝る感謝を捧げようぞ)
今生の幸せを目一杯噛みしめ、シャムスが一人、力強く感謝の念を抱いた時、
「む、そうか!」
それまで次から次へと書物を読み続けていた王が、声を発した。
「我が君、いかがなさいました」
あの小僧が集めたものに何か疎漏でもあったのだろうか。素早く尋ねると、王はぱっと顔を輝かせた。
「おおシャムスよ、よい考えが浮かんだのだ。通信販売だ!」
「通信販売……で、ございますか?」
数日前に聞いた言葉を反駁するシャムス。雑誌を読み込んでいた王が、文を以て注文するという通信販売で良き品を見つけたと喜び、マスターに買いに行かせた葉書でさっそく申し込んでいたはずだ。
「先の騎士王の装い、そなたも見たであろう? あのように当世風の格好を纏えば、自由に異郷を散策できるというもの。先に頼んだあの品が届けば、余も堂々と日の光の下に出られるというわけだ」
王が言うのは、昨夜初めてまみえたサーヴァント達のうちの一人、セイバーの事である。名にしおう騎士王があのように可憐で年若い少女であった事にシャムスはただ瞠目しただけだが、さすがに王は目の付け所が違う。
騎士王がこの時代に即した衣装を身につけている点に気づき、自身もまたそれに倣おうとする柔軟な思考は、征服した地の慣習を受け入れ自ら取り入れてきた、征服王ならではである。
(あぁ、さすが我が君。私などでは到底思い至らぬ、深淵な思考をなされる)
イスカンダルにしてみれば、「服を手に入れて、好き勝手に出歩きたい」と単純に考えただけの事なのだが、シャムスはいちいち大げさに感じ入った。良きお考えでございます、と言葉こそ控えめだが、そのまなざしは憧憬に輝いている。
「うむ。これでますます、荷が届くのが楽しみになったわい」
その視線を受けてますます機嫌を上向かせ、王は少年の眠るベッドをぱんと叩いてみせる。衝撃でベッドがばぅん、と大きく弾み、ウェイバーがうわぁと寝ぼけた悲鳴を上げて転げ落ちた。
さて、それより後。
家主の居ぬ間に届いた荷を受け取り、さっそく王が身につけたのは、胸に世界の地図が描かれた、白く薄手の衣類であった。
「この胸板に世界の全図を載せるとは、ウム! 実に小気味よい!」
「お似合いでございます、我が君!」
シャムスは即座に言う。過去であれば阿諛追従が得意な事だと陰口を叩かれる故、余計な口を噤んだものだが、今は気持ちを素直に伝えられる、それがまた嬉しい。世辞などではなく、シャムスは王の「当世風のファッション」を心の底からほめたたえた。
「さすがは我が君、その美しいお体を世の民に知らしめるに相応しい、最良の衣装でございます」
「……どう考えても言い過ぎだろ、Tシャツ一枚で。しかも下履いてないし」
寝起きのウェイバーがベッドの上で起き上がり、しらっと冷めた様子で口を挟んでくる。その言葉を聞き、シャムスは衝撃を覚えた。なんと言うことだ、この小僧には、神の姿と見まがうばかりに鍛え抜かれた、我が君の美しさが理解できないのか。
「貴様……もしや自身が貧弱であるから、目が曇っているのではないか」
シャムスは自分より格段に低い位置にある頭にぽんと手を置いて、侮辱を怒ると言うよりむしろ相手を哀れむ。と、少年はカッと赤くなって手を振り払った。
「うるさい! 僕はなあ、こういうむさ苦しいのは大嫌いなんだよ!」
「では、こちらで目を憩わせるがよいぞ、坊主」
寛大な王は小僧の暴言に意を介さず、もう一つ包みを破いた。中から出てきたのは、王の衣装と同じく白を基調とした服だ。それをシャムスに差しだし、
「ほれ、こちらはそなたの分だ、シャムス」
「えっ……」
予想外のことに思わず言葉を詰まらせてしまう。我が君が、私に、ご自身でお選びになった衣装を、下賜してくださると?
「なんと……よ、よろしいのですか、我が君」
あまりの栄誉に体が、声が震える。王は鷹揚に首肯した。
「婦人用の通販カタログを見つけたので、ついでにな。そなたも戦装束ばかりでは息が詰まるであろう。たまには華やいだ格好で余の目を楽しませてくれ」
「は……はっ! このシャムス、我が君のご厚情に、能う限りお応え致しましょう!」
賜り物を胸に抱き、頬を紅潮させて生き生きと答えるシャムス。ウェイバーが「……だから、たかだか通販の服くらいで、大げさなんだよ……」と呆れて呟いたのも、全く耳に入っていなかった。
「……いかがでありましょうか、我が君」
慣れぬ装束で御前に姿をさらすのは、緊張する。実体化した身に新しい服を纏ったシャムスは、マスターとともに待つイスカンダル王の前へ、おそるおそる姿を現した。
王によって選ばれた衣装は、膝丈のワンピースであった。裾に緻密なレースが施され、さわり心地の良い布はシャムスの長い手を慎ましく覆っている。セットで入っていたファーマフラーが首を包んで暖かいが、しかしその下の襟刳りはやけに深く、ややたじろぐほどに胸の膨らみを強調していた。
(このような格好は、いささか恥ずかしいが……)
生前は常に戦に従軍していた為、シャムスはこういった女性らしい衣類を身につける習慣があまりなかった。そもそも王の為と一心に身体を鍛え、背丈も普通の女性より高い自身には似合わぬものと諦めていたのだ。
だが、ワンピースは戦装束などよりよほど軽やかで、その場で回ると貴婦人のドレスがごとく、ふわりと裾が美しく翻り、何とも心躍る。しかも、シャムスの姿を見たイスカンダル王は目を輝かせ、
「おお、見違えたな、シャムス! 何とも愛らしい、まるで花の妖精のようではないか」
ほめ言葉を発したので、シャムスは有頂天になった。ぽっと頬を赤らめ、
「我が君のお気に召したのでしたら、私も嬉しゅうございます」
はにかみながら微笑む。そしてふと、王の側でぽかん、と口を開けているマスターに気がつき、途端に憮然となった。
「貴様、何だその顔は」
「え……うう……」
指摘されて口こそ閉じ、少年はぶんぶん首を振る。うろんな反応に眉根をしかめ、シャムスはつかつかと歩み寄り、上半身を折って、ベッドに座るウェイバーをのぞき込んだ。
「惚けた面をしよって、情けない。何か言いたい事でもあるのか」
「や、あの、えっと、そのっ」
途端、ウェイバーは赤面し、あたふたと視線をさまよわせ始めた。不審な動きは、その目前に、谷間も露わなシャムスの胸元が迫ってきたのが主な原因であったが、着慣れぬ服装に思慮が回らず、当のシャムスはそのことに気づかない。ずいっと身を乗り出し、更に詰問する。
「言葉は明瞭に使え。よもや、この出で立ちに何か異論でもあるまいな」
「ちょ、だ、オッオマエちょっと離れろ、近づくな!」
「何だと、目に入れたくないほど見苦しいとでも言うつもりか貴様!」
「そ、そうじゃない! そうじゃなくてっ……あぁもう似合ってる! その服、オマエにすっごく似合ってるよ!!」
のけぞるようにして壁際まで身を退いたウェイバーが、やけくそじみた大声で叫んだ。強引に讃辞を引き出したような気もするが、シャムスは望み通りの言葉を得られた事に満足し、うむうむ、と背筋を伸ばして腰に手を当てた。
「当然であろう、我が君のお見立ては完璧であるからな」
王の手にかかれば、己のような卑賤の身であろうと、見栄え良くなろうというものだ。ウェイバーがまだ何か言いたげに口をぐじぐじと曲げていたので少し気になったが、不意にイスカンダル王が立ち上がって部屋を出て行く様子を見せたので、シャムスの意識はそちらへ向く。同時に気づいた少年が、
「……おいライダー、待て、ちょっと待て! オマエ今どこへ行こうとした?」
慌てふためいて引き留めた。王は無論、と頷く。
「街へ。この征服王の新たなる偉容を民草に見せつける」
「素晴らしいお考えでございます、我が君。王のお姿を目にしたものはその光栄に打ち震えましょうぞ」
その光景がまるで今まさに目にしているかのように、まざまざと思い浮かぶ。王にひれ伏す民衆の光景に感動して身を震わせるシャムスと、そうであろうそうであろう、と深く首肯するイスカンダル王。完璧に現代の常識から逸脱してそれに気づきもしない二人に、
「そんな訳あるか! 外に出る前にズボンを履け!!」
ウェイバーから力一杯ツッコミが入ったのは、言うまでもない。