終端に至りて

 それは紛れもなく敗戦だった。
 その男は己の力が足りぬばかりに、戦いに破れた。
 ――セイバー!
 僥倖で手に入れた最強のサーヴァントを、己の力が足りぬばかりに活かす事も出来ず。
 ――遠坂!
 淡い憧れを抱いていた少女と手を組み、己の力が足りぬばかりに足を引っ張ってしまい。
 ――桜! 藤ねぇ! イリヤ!
 絶対に守ると決めていた大切な人々を、己の力が足りぬばかりに、みすみす死なせてしまい。

 運命の残酷な気まぐれで、己のみが生き残った戦場。
 荒野に変わってしまったかつての街を見渡した己の胸の内に去来したのは、十年前のあの景色。
 ――誰か……
 気がつくと駆けだしていた。体は切り刻まれ、滝のように血を流しながら、ひたすら走った。
 ――誰か、いないのか……
 頼む、と一心に願った。わずかに瓦礫が残るだけのこの場所に、どうか自分以外の生存者が居てほしいと、すがるように。
 ――誰か……返事をしてくれ!
 燃える柱を押しのけ、かき分け、掘り起こし、しかし見つかるのはかつて人間の一部だったものだけ。
 ――……ああ……ああ、あああああ…!
 無為を悟りながら止められず、絶望の悲鳴をあげながら死体を掘り起こす。いつしか血の涙を流し、絶叫し錯乱しながら気がついた。
 ――そうか。じいさん、あんたはこんな絶望の中で、俺を見つけたのか。
 だからあの時の彼はあれほど弱々しく、綺麗な涙を流していたのだと悟り――だが、切嗣にとっての士郎を、自分はこの死の荒野に見いだせず――

 青白い光が石造りの窓から差し込んでいる。夜になって、物置のひんやりと冷たい空気はさらに気温を下げていた。
 空を漂う埃が月光を受けて時折きらめくのを眺めながら、アーチャーは静かに時を待っていた。
 主を失った城は廃墟同然で、この物置は言うまでもなく、静寂のみに支配されていた。ここにいるのは、赤い外套を纏ったサーヴァントと――遠からぬ時、自ら見限ったマスターの少女だけ。
(やっと、この時が来た)
 気絶したまま椅子に縛り付けられている凜を見もせず、アーチャーはただ静かに空を見据える。
(これでやっと、全てが終わる)
 勝つにしろ負けるにしろ――彼はここで終わる。
 主を失ったアーチャーはこのまま長らえても、二日も経てば消滅する。今こうして座っているだけでも、体の中から少しずつ魔力が漏れ出ているのを感じているくらいだ。
 戦いになれば、放出量はさらに増える。いくら未熟者とはいえ、相手は『あの男』だ。無傷で済むはずがなく、こちらも痛手を被ることにはなるだろう。流れによっては、勝負を決した瞬間、この身が消え去るかもしれない。
(だが、構わない。そんな事どうでもいい)
 今思うのはただ一つ。衛宮士郎を殺す事のみ。それさえ叶えば、他はどうでもいい。
 彼は英霊と言う名の、体の良い掃除屋になって、数え切れないほどの人々を殺してきた。
 衛宮士郎が正義の味方になると志すことがなければ、もしかしたら生き延びたかも知れない者達も、何の罪もない無辜の人間も、皆平等に殺してきた。
 アーチャーは自身の手を見下ろし、ぐっと力を込めて握りしめた。その拳を額に当て、強く思う。
(全ての罪は、誰かを救いたいという願いまで投影してしまった事)
 自分を助けてくれた養父のように、弱い人を守れる人間になりたいと願い、
(借り物の理想で、一体どんな輝かしい未来を描けると思ったのか)
 魂が摩耗するほどに戦い続ける英霊になり果てた己の罪を、
(偽物の願いはいつか消えなければならない)
 自ら断じる羽目になった愚かな男が、エミヤシロウという存在なのだ。
 アーチャーは視線を動かした。椅子に縛られた凜の呼吸が変化し、目覚めの兆しを見せている。力なくうなだれたその姿に目を細め、
(そうすれば――この世界の遠坂達は、救われるかもしれない)
 前方の床へ視線を落としたアーチャーは、心中でそっと呟いた。
 愚かな男、衛宮士郎の為に命を落とした、大切な大切な人達。もはや記憶にもほとんど面影のない彼らを、それでもやはり愛しく思い、無くしたくないと願うから――

 しんと静まりかえった物置の中。
 宿願の達成を前に、アーチャーは元マスターと共に、じっと時が経つのを待つ。
 未だ愚かしく、理想という美しい名で掲げた偽善に酔う過去の自身を殺すため。
 そうして忌まわしい運命の鎖に繋がれた己の全てを抹消するため。
 アーチャーはただ静かに、衛宮士郎を待ち続けたのだった。