衛宮切嗣は、自身を機械だと認識していた。
機械は定めた事を定めた通りに実行するもの。彼は己に科したタスクをこなすだけの機械――タスク通りに眠り、タスク通りに食事をし、タスク通りに敵をしとめるだけの存在と認識していた。
故にどんな行為であれ、彼は全てを機械的に処理した。
他人の目から見れば彼は、心のない悪魔のような殺人者にしか映らないだろう。
だが、そのように振る舞わなければ、非情にすぎる世界を前に、彼の優しすぎる魂は、とっくに事切れていた。
あるいはそのほうが彼にとっても、彼が手にかけた何の罪科もない人々にとっても幸福だったのかもしれないが。 歩み続ける道の後ろに山と屍を積み上げ、衛宮切嗣は機械として己をよろい、何者も寄せ付けなかった。
ただ、機能の維持のために眠り、食事をし、女を抱いた。そこにあるのは無味乾燥な体の反応ばかりで、何の色味もない、灰色の人生でしかなかった。
だが、今。
吹雪に閉ざされた冬の城。赤々と燃える暖炉の前で初めてアイリスフィールの肌に触れた時、切嗣は自身でも抑えきれないほどの感情に襲われ、混乱していた。
「アイリスフィール……本当に、いいのか?」
彼女を気遣っての言葉はその実、己の恐れから発するものだ。この女を抱いてしまったら、自分の何かが、致命的なほど変わってしまう――そんな予感が彼を竦ませるのだ。
それを見透かすように、白い頬に血の気を上らせたアイリスフィールは、夢見る眼差しで彼を見つめ、えぇ、と頷いた。ガラス細工のように繊細な手を彼の頬に当て、優しく微笑む。
「衛宮切嗣――私に世界を与えてくれた人。私はあなたでなければ、駄目なの」
「だが、僕には――」
君を愛する資格などない。この先、次の聖杯戦争で、自分は彼女を殺すのだから。
思えば、いつもそうだった。
彼は多くのものを愛し、慈しみ、その全てを失った。彼が愛するものは皆、彼を置いて死んだ。いや、その中には、彼自身が手をかけた者さえいる。
(この微笑みも、温もりも、何もかも。僕は切り捨てて、たった一人で生きていくことになる)
震える手で触れたアイリスフィールの頬は、滑らかで暖かい。
(失いたくない)
胸の奥底にしまい込み、もはや枯れ果てたと信じていた感情の泉から、とめどなくあふれ出すのは、紛れもなく、愛そのものだ。
切嗣はもはや後戻り出来ないほどに、この美しい人形を愛してしまっている。そして同時に、その果てにある別離の未来を思い、身が切り刻まれるような苦痛に襲われている。
(今ならまだ間に合う)
彼女から身を離し、暖かな暖炉の火に包まれたこの場所から逃げ出してしまえば、取り返しのつかない過ちを犯さずに済む。
「アイリ、僕は――」
怖じて、子供のように怯えた眼差しで、切嗣は別れを口にしようとした。しかしその唇が、ほっそりとした人差し指で縫い止められる。
「もう考えないで、切嗣」
慈愛に満ちたその笑顔は、かのユスティーツァを思い起こさせる聖女の美しさ。一点の曇りもない信頼と愛情をあふれんばかりに体現し、アイリスフィールは切嗣を包み込む。
「あなたの強さも、弱さも、全て共に担うわ。だから……あなたも私を受け入れて。その心が願う通り、私を愛して。あなたは――もう、私の全てなのだから」
「――っ」
堰を切ったように、思いが爆発する。
切嗣は鋭く息を飲んだ後、アイリスフィールを抱きしめた。柔らかな唇をかさついた口で塞ぎ、華奢な体を無骨な手で探り、まるで飢えた獣のように無我夢中で貪る。
「アイリ……アイリ……っ!!」
いつしか瞳から止めどなく涙があふれ出し、切嗣は震える声で彼女の名を呼んで、子供のようにすがりついて、慈悲を請うた。
戦いに秀で、魔術師殺しの異名を取る男は、そうして白き聖女をその腕に抱いた。
それはかつてないほど色鮮やかで甘美な、だが一方でもう二度と味わいたくないと思うほどの責め苦を彼に負わせた――とても、とても幸福な一夜だった。