水の音がする。流れ、ざわめき、ひいてはまた寄せて。こぽこぽと泡を弾く音も含むそれは、まるで揺籃(ようらん)のように心を落ち着かせ、さらなる眠りへと誘うようだ。
心地がよい。まどろみながらそう思う。
海は生命の母というが、羊水の中にいる赤子とはこういう気分なのだろうか。耳に響く波は柔らかく、暖かく、全てを忘却してしまいたくなるほどの安堵で彼を包み込み――ふと気づいた。
待て。柔らかいのも暖かいのも、頭の下にあるものではないか。気づくと同時に目を開くと、
「あっ、アーチャー! 目が覚めた?」
なぜか少女が上から彼を見下ろしていた。普段ではあり得ない角度でマスターを見上げ、疑問を口にしようとする……前に自力で答えに至ったアーチャーは、
「!!!!」
マスターの膝枕からがばっと勢いよく起きあがった。
「あ、アーチャー?」
「何だ、君は、何をっ……!?」
何をしている、と問いただそうとした途端、頭がふらついて、起こした上体がガクンと崩れ落ちる。
そのまま、青く発光するアリーナの地面に倒れ込み、アーチャーはきつく目を閉じた。ぐわんぐわんとめまいがして、世界が回っている。
「アーチャー、まだ起きちゃ駄目だってば!」
「うっ……ま、マスター、待て……何が、どうなって……」
自分が少女の膝枕に収まる事態になったのか。切れ切れに問いかけると、マスターはアーチャーの頭を自分の膝に戻しながら言う。
「覚えてない? さっき戦闘で、エネミーが自爆したの。アーチャーが私を庇ってくれたから、すごいダメージ受けちゃって……今まで気を失ってたんだよ」
「む……」
ぐらぐらする額を押さえ、記憶をかきだす。そういえば、そんな不覚を取った気がする。
後少しでとどめをさせるというところで、敵性プログラムがマスターに突進し、自爆攻撃をはかったのだ。何とか間に身をねじこんだはいいものの、そのまま失神してしまうとは、情けない。
「……済まない、マスター。また、醜態を晒したな」
普段ふんぞり返っているくせに、サーヴァントとしての役割を満足に果たせないとは何事か。
そんな叱責も甘んじて受けるつもりではあったのだが、周囲に甘いマスターからそんな言葉は出てこない。ううん、と茶色の長い髪を揺らして頭を振り、
「私こそ、ごめんねアーチャー。すぐ外に出られればよかったんだけど、リターンクリスタルきらしちゃってて」
すっと見上げたのは、学園へ戻る転送ポイントがある方角。
彼らはすでにアリーナの奥深くまで入っている。ポイントへ向かうにはその間を阻む他の敵性プログラムを排除せねばならず、昏倒したサーヴァントを抱えたマスターには無理な相談というものだ。
「やっぱりアーチャーの言うとおり、アリーナに入る前に買っておけばよかった。もう大部分踏破したから、一気にいけると思ったんだけど」
そう言ってマスターは気遣わしげにアーチャーを見下ろし、もう一度ごめんね、と謝った。
「私の判断ミスで怪我させちゃって……やっぱり私、まだまだ経験が足りないんだね」
しょぼん、と効果音を脇に書き加えたくなるような様子で落ち込むマスター。それを下から見上げたアーチャーは、やれやれ、と息を吐いた。手を挙げて、自然な仕草でマスターの頭にぽんと置く。何事かと疑問符を浮かべる少女に、
「何、それはお互い様だ、マスター。幸い、私たちはまだ生き残っているのだから、これを教訓に次の戦いへ生かせばいいだろう。それに」
アーチャーは口の端をあげて笑いかけた。
「こんな事がなければ、君をこうやって見上げるような機会には恵まれなかったろう。これもまた、貴重な経験というものだ。捨てたものではない」
「アーチャー」
マスターは目を瞬かせた。アーチャーの言葉を理解するのに間を置いた後、彼女もまた頬を綻ばせ、彼の腕にそっと手を添える。
「うん、そうだね。私も、アーチャーを見下ろすなんて初めて」
普段は見上げるばかりなのに。そうと気づけば反省より好奇心が勝るのか、少女は身を屈めてアーチャーの顔をのぞき込んできた。
そして、やれ意外とまつげが長いだの、本当に肌黒いねーだの、髪おろしてもいい? だの、なにやら好き放題言い始める。
「あまり遊ばないでくれ、マスター。私はあともう少し休めば、動けるようにはなる。その時仕返しされたくなければな」
苦笑混じりに釘を刺したが、アーチャーは大人しく少女に身を預けることにした。
こんなに暖かくて心地の良い寝床を提供されてしまえば、少しくらいの悪ふざけは、目こぼししようという気にもなるものだ。