彼女が街にやってきた 10

 季節は秋。風にほんのり冷気が混じり合い、一足先に枯れた葉がひらり、ひらりと舞い落ちる頃。
 ガラスで覆われた天に輝くは、真夏の太陽を思わせるほどの熱を振りまくライトの数々。熱を帯びた空気を払うように、足下では砂浜を模したプールサイドに波が絶えず打ち寄せてくる。耳を洗うような涼しげな波音に周囲を見渡せば、鮮やかなコバルトブルーの水面を正面に、奥には見上げるほど巨大なウォータースライダーや流れるプールに飛び込み台などなど……今が秋とは思えない、真夏の空間が広がっていた。
「はっはー、まったく面白ぇもんだな、こんなでけぇ水遊び場があるってのは。これなら暑かろうが寒かろうが、いつでも楽しめるってわけだな、贅沢な話だ」
 そのプールサイド、水着の上に陽気なアロハシャツを羽織ったランサーは、今にも水の中へ飛び込みたそうな様子で、うきうきと周囲を見渡している。その様子はまるっきり現代人と変わりなかったが、
(そういえばこいつは、神話の英霊だったな)
 パーカーに水着姿のアーチャーは一人頷く。アーチャーは元々この時代の人間なので特に感慨はないが、他の英霊達にこういった施設は目新しい事だろう。
「一足先に貴様だけ泳いでいても構わんと思うぞ。どうせ彼女達はまだ時間がかかるだろう」
 そういって見やったのは、更衣室につながる通路のほうだ。男と違って、女性陣は着替えに手間がかかる。ここに入ってから三十分過ぎたが、まだ出てくる気配がない。早く遊びたいのなら、先に始めても構わないのでは無かろうか。そう思ったアーチャーだが、
「ばっか何言ってんだお前は。こういうとこで一番楽しいもんを見逃す訳にはいかねぇだろ?」
 へっ、とバカにするような笑いを返されてむっとした。
「何だ、その一番楽しいものとは」
 どうせ下らない答えだろうと予期しながら問いかけると、
「とーぜんっ、女の子達の水着姿に決まってるじゃねぇか! 前回の聖杯戦争からこっち、皆分厚く服を着込むばかりで、肌の露出もありゃしねぇから、目の保養にゃちっと物足りなかっただろ。
 だが水遊びすんなら、皆とーぜん水着。粒ぞろいの女達が肌も露わな格好ではしゃぎ回るのを、心行くまでじっくり楽しめるんだぜ。これを見逃す手はねぇだろ!!」
「……貴様という奴は……」
 予想通りの下世話な理由を、予想以上に熱く語ったので、アーチャーは思わず半眼になってしまった。この男は全く、軟派にも程がある。ばかばかしいと首を振り、
「そんな下心満載でいては、近づく前に吹っ飛ばされるのが落ちだろう。せいぜい、聖剣や魔弾に気をつける事だな」
「そうだなぁ、セイバーはちっこすぎて好みじゃねぇが、お嬢ちゃんなら及第点だ。服の上から見ても、いい体してるしな」
「……だから貴様は何の話をしている」
「いいからいいから、お前も良い子チャンぶるなって」
 ぴきぴきと青筋を浮かべるアーチャーの肩に馴れ馴れしく腕を回し、ランサーは内緒話をするようにぐっと顔を近づけた。にやにや笑いながら、
「そういうお前は誰が好みなんだ? やっぱりお嬢ちゃんか? それともあの桜って子か。まさかバーサーカーのマスターじゃねぇよな。そうそう、七海も結構ありそうだと思わねぇか?」
 自分の仲間に引き入れようとするものだから、アーチャーのこめかみに青筋が浮かんだ。
「知るか、このたわけ!」
 ばしっと勢いよく腕を振り払い、そのままずんずん歩き出す。何だよ図星かぁ? などとふざけた事を抜かすランサーを無視して、アーチャーは出口へ向かった。ここまでほとんど無理に連れてこられたが、やはり自分には、こんな陽気なところは合わない。が、
「おい、アーチャー! 帰るのか?」
 ベンチに腰掛けて女性陣を待っていた衛宮士郎が、彼を呼び止めた。
「――好きで来た訳ではないからな。私一人いなくなったところで、支障はなかろう?」
 その隣に座った間桐慎二が憎々しげにこちらを睨みつけてくるのをじろりと見下ろし、素っ気なく答える。衛宮士郎は顔をしかめた。
「そんな事言うなよ、せっかくイリヤが貸し切りにしてくれたってのに」
 そういって見渡した室内には、フードコーナーや監視員以外、客の姿が全くない。数百人は収容できるだろう規模の施設からすると、異様なほど閑散としている。
「ふんっ、アインツベルンだかなんだか知らないけど、金持ちってのは嫌みだよな。わくわくざぶ~ん貸し切りなんて、これ見よがしに札束見せびらかしてるようなもんじゃないか」
 それに対して、間桐慎二はいつものように不満だらけで、いつものように聞き苦しい。
「嫌なら来なければいいだろう。与えられた恩恵を享受しておいて、不平不満を口にするなど、浅ましいにも程がある」
 アーチャーが小馬鹿にした笑みを浮かべて言うと、何だと! と間桐慎二が勢いよく立ち上がった。
「桜や遠坂が衛宮とプールにいくなんて、見過ごせるわけないだろ! だいたい僕は来るのが嫌だなんて言った覚えはないね、駄々をこねてたのはそっちじゃないか!」
「おい慎二、こいつに絡むな。ろくな事にならないから。お前も、いちいち挑発するなよ」
 本格的な喧嘩になる前に、衛宮士郎がまぁまぁ、と二人の間に割って入った。なんやかんだと突っかかる友人を抑えながら、
「アーチャー、無理に仲間に加われとはいわないけど、せめてここにいてくれ。でないと、俺が遠坂に叱られる」
「こうしてお互い、嫌いな顔をつき合わせているよりかは、凛に絞られる方がまだマシだろう?」
 何が悲しくて天敵と娯楽に興じなければならないのか。徐々にこみあげてきた苛立ちに眉根を寄せ、アーチャーが冷たく言いはなった時、
「おっまたせー! 士郎、見て見て! この水着、可愛いでしょ!?」
 剣呑な空気を一撃で破壊する明るい声が響きわたり、ようやく更衣室から出てきたイリヤが、まっすぐ衛宮士郎のもとへ駆け寄ってきた。
 長い髪をアップにしてまとめ、雪のように白い肌のホムンクルスの少女は、新品の水着をまとった慎ましやかな胸を張り、誉めてくれといわんばかりに目を輝かせている。
「お、おーイリヤ。へぇ、あぁ……」
 突然の登場に目を白黒させた衛宮士郎はぎこちなくイリヤを見つめ、それから顔を赤らめた。えーっと、と頬をかきかき、
「あぁ、うん……か、可愛いよ、イリヤ」
 辛うじて、そんな感想を呟く。
「ほんとにー? 士郎ったら、他に言う事ないの? 私ビキニ初めてなのに。もっとこう、大人っぽいとか、艶っぽいとか……」
「無茶言うんじゃないわよ、イリヤ。あんたを見てそんな感想言う奴、ちょっとやばいから」
 ツッコミを入れながら続いて現れたのは、凛。
 こちらもビキニ、しかも真っ赤。いかにも人目をひくデザインだが、凛はモデル顔負けのプロポーションを惜しげもなくさらし、男性陣の前でどう? とポーズを取ってみせる。
「おぉ、さっすがだなー嬢ちゃん。俺が睨んだ通り、見応え十分じゃねぇか。よく似合ってるぜ」
 いつの間にこちらへやってきたのか、満面に笑みを浮かべたランサーが手放しに凛をほめたたえ、
「と……遠坂……」
 間桐慎二は、ぽーっと惚けた顔で見とれている。衛宮士郎は真っ赤になって視線をさまよわせているが、
「ちょっと士郎、よそ見しないで! 士郎は私だけ見てればいいの!」
 とイリヤに耳を引っ張ってのお叱りを受けた。
 それを見て肩をすくめ、凛はアーチャーに向き直り、くるりと回ってみせた。
「どうかしら、アーチャー。何か感想はないの?」
「あぁ、似合ってるよ、凛。馬子にも衣装というところだな」
「……何よそれ、誉めてるの?」
 さらりと返すと、凛はじと目になって睨みつけてきた。そこへ続いて、
「遅くなってごめんなさい、先輩、皆さん」
「お待たせしました」
 今度はライダー主従が現れる。桜はピンクのビキニ、ライダーは黒のワンピースだが、そのどちらも、たわわな果実という表現が実に的を射た見事な胸元が目を引く。動くたびにたっぷり揺れる魅惑的な二対のバストに、男達がごくり、と唾を飲み込んだ。
「おお……すげぇ、絶景だなこりゃ」
「…………」
「……お、おい、衛宮。何黙り込んでるんだよ。まぁ桜の水着姿なんか、コメントしようもないだろうけどさ」
 ひねくれた間桐慎二につつかれ、衛宮士郎はハッと我に返った。そうですよね、私なんて……と言いたげに眉を八の字にして、体を小さくする桜の様子に慌てて、
「ち、違うぞ桜、そんな事ぜんぜんないっ。なんて言うか、その、すごくよく似合ってるよ、綺麗だ」
「先輩……。……嬉しい。先輩にそういってもらえると、一番嬉しいです」
 憂い顔が、すぐ華やかな笑顔に変わる。にっこり微笑んだ桜のおかげで空気が和み、ほっとした時、
「……ま、待ってセイバー、私やっぱりやだっ……」
「ここまできて何を言うのです、七海。敵前逃亡など今更出来るわけがないでしょう」
「だ、だってでもちょっと待って、せ、セイバーってば!」
 何やら口論しながら、セイバーと少女がやっと出てきた。セイバーは相手の腕をつかみ、無理矢理引っ張ってこちらへ向かってくる。
「すみません、思いの外時間がかかってしまいました。我々で最後ですので、これで全員揃いましたね」
 そういって皆の前で足を止めたセイバーがまとうのは白のビキニ、すらりと伸びた華奢な手足と白い肌、金髪がよく栄える。その細い手が掴んでいるのは少女の腕で、
「……うう……恥ずかしい……」
 茶色の髪を束ねて肩に流した少女は、色鮮やかなストライプのビキニを身につけていた。やたら恥ずかしがって手で隠そうとしているのだが、腕を寄せるほど、ほっそりとした体つきに反してふっくら盛り上がった胸も寄せて上げられ、なおさら主張しているようだ。
「おー可愛いじゃねぇか、七海。よく似合ってるぜ、その水着。そう縮こまるなって」
 するっと近づいたランサーが、またも馴れ馴れしく少女の肩をぽんぽん叩く。にやけたその顔の目線は、どう見ても胸の谷間に固定されている。その不躾な視線に隣のセイバーがむっとして、
「ランサー、彼女にあまり近づかないでください。あなたの態度は無礼極まりない」
「なんだセイバー、妬いてんのか? 俺に色目を使ってほしけりゃ、もう少し胸をでかくしてからにごふっ!!」
 言い終わるより先にランサーの体が吹っ飛び、一足先にプールの中へ飛び込んだ。目にも留まらぬ早さで肘鉄を放ったセイバーは、
「……では、士郎。皆も揃った事ですし……」
 誰にも何もコメントさせない、完璧な笑顔で衛宮士郎を促した。飛び石のように跳ね、沖の方で水中に沈んでいくランサーを見送った少年は、顔を引きつらせつつ、
「え、あ、あぁ、そうだな、セイバー。それじゃ皆、プールに入ろう」
「うん! 士郎、私と競争しよ!」
「あらイリヤ、それなら私としない? 勝った方が士郎と遊べるの」
「そ、それなら私も参加しますっ」
「頑張ってください、桜。他の二人と比べて水中抵抗がある分、あなたはやや不利ではありますが」
「ライダー、今どこ見て発言したのかしら?」
「遠坂、僕は遠坂くらいがちょうど良いからな!」
「あら、いたの? 間桐君」
「気づいてなかった!?」
 なんだかんだと語り合いながらプールへ次々に入っていく面々。アーチャーはその最後尾で騒々しい事だ、とため息をついていたが、ふとパーカーの裾がくいくい引っ張られていることに気づいた。
「?」
 見下ろすと、いつの間にか少女が自分のそばにいる。彼女はまだ肩をすぼめ、頬を染めながら、
「あ、あの、アーチャー……ど、うかな。これ、その……変、じゃない?」
 おずおずそんな事を聞いてきたので、アーチャーはえっ、と硬直してしまった。
(な、なぜ私に聞くっ)
 女性陣のファッションショーには興味がない。故に離れて静観していたアーチャーなので、まさか感想を求められるとは思わなかった。
「そういう事は衛宮士郎に聞けばいいだろう」
「……何で士郎君?」
 はてなマークを浮かべて首を傾げる七海。つぶらな瞳でアーチャーを見上げ、
「私、あの……、あのね。り、凛が言ってたから」
「凛が、何をだ」
「その……」
 言いよどむ少女の頬にぱっと赤が散る。パーカーを握りしめて、
「……あ、アーチャーはこういう、水着、好きだって、言うから……」
 ぼそぼそと、最後はほとんど聞こえないくらいの小声でささやき、そのまま俯いてしまった。よほど恥ずかしいのか、耳まで赤くなっている。その様子を間近で見てしまい、アーチャーの心臓が不自然に跳ねた。
(な、なんだそれは、凛は何を適当な事を吹き込んでいるんだっ)
 女性陣が連れだって水着を買いにいった事は聞き知っている。しかしアーチャーは特にどれが好みという話をした覚えはない。察するに、露出度の高い水着を嫌がる少女を納得させる為に、凛はアーチャー絡みの適当な嘘をついたのではないか。
「あの……お、おかしい、かな……」
 今すぐ凛を問いつめたいが、恥ずかしさで消え入りそうになっている彼女を捨て置く訳にもいくまい。アーチャーはごほんと咳払いをして、
「あー……いや、そんな事はない。君はそういう明るい色が、よく似合うと思う。おかしくはない」
 思っていた以上に、スタイルもいいし。というのは自分のキャラではないので口に出さなかったが。アーチャーが素直に評すると、少女は目を見開き、
「……ありがとう、アーチャー。私こんなの着るの初めてだから、なんか不安で……アーチャーにそういってもらえると、凄く安心する」
 ふわっと顔を綻ばせて柔らかく微笑んだ。それがあまりにも嬉しそうな笑顔なので、
「っ……」
 アーチャーは自分の顔まで熱くなるのを感じた。思わず視線をはずしたが、
「じゃあいこっ、アーチャー! 皆もう先に行っちゃったよ」
「わっ……ま、待て、引っ張るなっ」
 彼女にぐいっと腕を引っ張られ、たたらを踏みながらプールへと引っ張っていかれる。その気になればいつでも振り払えるというのに、アーチャーは勢いに引きずられるまま、水の中へと足を踏み入れた。
(全く、どうしてこうなるのか分からない……が)
 腰まで沈む前にパーカーをプールサイドへ放り投げたアーチャーの前で、
「わっ、水冷たい! でも気持ちいい~! ねえねえアーチャー、あっちにあるおっきいの何? 滑り台?」
 栗色の髪の少女は水をはねとばし、好奇心に満ち満ちた表情で辺りを見渡している。その無邪気なはしゃぎぶりに目を奪われ、
(だが、まぁ……彼女は、笑ってる方がいいな。その方が、彼女に似合っている)
 ふとそんな事を思い、アーチャーは何やら急に気恥ずかしさを覚えて、肩まで水に浸かった。
 おかしい。彼女と接触すればするほど、何かが狂ってきている。しかもそれが心地よかったりするのは、困る。
 なぜなら彼女の素性は知れず、未だ敵か味方かの区別がついていない――しかも朧気な記憶の中、自分は彼女を射殺した覚えがあるのだから。
(……いずれ、厄介ごとにならなければいいが)
「アーチャー、こっちこっち! 皆で競争しようって!」
 彼の暗い物思いを知らず、少女はやはり無邪気だ。あぁ分かった、とそちらへ泳ぎながら、アーチャーは一人密かにため息をもらした。
 本当に――あの少女は何かと、心臓に悪い。