シタデルから父の遺品をもって辛うじて脱出できたが、クルーシブルで壊滅的な打撃を受けたコロニーとリレイ、そして地球の復興に多くの時間を費やしたからだ。
その状況で、一番近場の避難先として、地球を選べたのは不幸中の幸いだった。そうでなければ、この星に来ることすら簡単ではなかっただろう。
彼は、かつて父と訪れたその地を定住先に選び、情勢が落ち着くのを待って移住した。
地球の人々は、トゥーリアンのように人間からかけ離れた容姿をしているドレルになかなか馴染めないようで、かなりの期間遠巻きにされていたが、やがて少しずつ近所の友人もできた。
一つには、この地の人々がおおらかで寛容的だから。
もう一つには、地球人とは異なる宗教ではあるが、彼もまた敬虔な信徒であることを理解してもらえたからだ。
環境の激変。慣れぬ星。次々と現れる問題。それらにてこずっているうちに、リーパー戦争からあっという間に年月が経過していた。
地球に腰を落ち着けてから数年。今年もまた、終戦記念日がやってくる。
快適に乾いた風が吹く中、家を出る。隣近所の人々がこちらに気づき、おはようコルヤット、と声をかけてくれる。
「おはよう。いい天気だね」
「ああ、そうだな。砂丘がいい具合に乾いてる、あんたにちょうどよくね」
「それはよかった。今日は父を連れて行こうと思っていたから」
そういってバッグに手を当てると、日に焼けた気のいいヒスパニックの男は歯を見せて笑う。
「そうかい、おやっさんによろしくな。ああ、うちのマチルダが一緒にランチしようと言ってたんだ。後で来てくれよな」
「ありがとう。寄らせてもらうよ」
別れを告げて、歩き出す。
観光で訪れた時と違い、実際住んでみるとニューメキシコは地球の一地域としては、いささか治安が悪い。
だが、シタデルをはじめとした宇宙の都市を見てきた彼にとってはかわいいものだ。
昼でも危険な通りは注意していけば厄介ごとに巻き込まれることもそうないし、仮に絡まれたとしても、対処できるだけの腕はある。油断は禁物だが。
(特に今日は、父さんを連れている。気を付けよう)
バッグをそっと押さえ、歩を進める。向かう先は、砂丘だ。
見渡す限り白い砂に覆われたその地に最初訪れた時、からからに乾いた心地よい空気に、父とそろって深呼吸した。
ああ、なんて気持ちいいんだ。もしかしたら、すでに滅びた故郷は、こんな風だったんだろうか。
そう呟いたら、その日体調がよかった父は笑って、そうかもしれないなと肯定してくれた。そして、
『……シーハはこの景色を知っているだろうか』
独り言のようにつぶやいたので、聞こえなかったふりをした。
(認めたくなかったわけじゃないよ、父さん)
盛り上がった砂の上に座り、バッグを下ろす。中から取り出したのは、写真立てと、父が使っていたデータパッドだった。
一緒に持ってきた台の上に写真を固定し、パッドを持ったまま、漠然と見渡す。
(父さんが十年孤独だったのを知っていた。最期の時に、運命の人に出会えて生きがいにしていたのも、知っていた)
それでも最初聞いた時には耳を疑い、抵抗を覚えた。
誤解が解けたといえど、親子間の十年の空白は長い。その間に醸成された恨みつらみを解消するには、時間を要した。
ベイリーや寺院を頼ってどうにかこうにか真っ当な道を歩き出したころになって、ようやく。
自分を悪の道から救ってくれたスペクター、シェパード少佐が父の恋人ということを、受け入れる準備ができた。
(母さんのことを忘れたわけじゃない。少佐は母さんの思い出ごと愛してくれたと言っていたね、父さん)
写真にそっと手を滑らせる。それがどんな奇跡的な出会いだったのか、今ならしっくり来る。
子供のころのように、シタデルで、ニューメキシコで穏やかな時間を過ごせたのは、何よりシェパード少佐が父を救って、愛してくれたからだ。
「今日は彼女も連れてきたんだ、父さん。ハケット提督が父さん宛てのメッセージがあったと送ってきてくれた」
父に語り掛けながらデータパッドを操作し、再生する。
ディスプレイ上に浮かび上がったのは、砲弾の音が鳴り響く薄暗い部屋の中、アーマーと武器をフル装備し、深刻な表情をしたシェパード少佐だった。
『コルヤット、こんな形でのメッセージでごめんなさい。もっと早くに送るべきだったけど、時間が取れなくて。
最後に……私は絶対に、リーパーに勝って、平和を取り戻すけれど、最後に。
あなたのお父さんに伝えたかったことがあるの』
録画されたのは地球のロンドン。リーパー戦争の最終決戦の場だろう、ということだった。
時折乱れる映像の中、少佐はこちらをまっすぐ見据えて続ける。
『セイン。海の向こうにいるあなた。私はあなたに会えてよかった。
こんなに誰かを愛することができるなんて、自分も知らなかったくらいに、あなたが愛しい。共に過ごした時間の一瞬一瞬が、何にも代えがたいほどに大切だった』
この時、父はすでに逝去しており、追悼の会も終えていた。
それでもこれを撮ったのは、本当にこれが最後かもしれないと覚悟を決めた上だったのだろう。
荒い画像でもわかるほど、シェパード少佐は慈しみと恋しさをないまぜにした、美しい表情で父に愛を語る。
『あなたがいたから、私はここまで来れた。そして最後まで走り抜けるつもりよ。
見守っていて、セイン。あなたこそ私の守護天使、シーハ……誰よりも、何よりも愛してるわ』
愛してる。かみしめるようにもう一度囁いて、少佐は映像を切った。
この後の詳細は知らない。
ただ、彼女のなした選択は驚異的なものだった。
コルヤットが自身の手を見下ろすと、その表面を緑色の光がきらきらと滑っていく。
機械も、有機も、すべての生命が同一の生命構造になった。
一言でいってしまえばそれで済む、すべての常識を覆す新たな選択。
シェパード少佐は何もかもを見捨てることなく、あらゆるものを救い取ってしまった……あのリーパーさえ、今や銀河の一員として、復興に大きな役割を果たしている。
「父さん……あなたはなんて、途方もない人を愛したんだ。驚くよ」
パッドを写真の前において苦笑する。
生前、父は独身の息子を気にかけていたが、こんな恋をされたら、自分はどんな相手を探せばいいのか迷ってしまうじゃないか。
(まだ、僕のシーハには出会っていないけれど……できれば父さんのように、自分の命をかけてもいいほど愛したいな)
母も、シェパード少佐も、コルヤットも。皆が皆、セインを心から愛してやまなかった。
それはセインという男が、皆に無償の愛を注いでやまなかったからだ。
それならば、まだ未熟な自分だが、いつか父のような男になれるよう、日々を積み重ねていこう。父もまたそうやって人生を生ききっていったのだから。
「母さん、父さん、少佐。地球はいいところだね。皆で来られて嬉しいよ」
両親の忘れ形見である己と、少佐のデータパッドに触れながら、コルヤットは顔を仰向ける。
今日もニューメキシコの空は雲一つなく、宇宙まで透けて見えるように青く、涙が出るほど美しかった。