運命の輪

斯 く て

刃 は

振 り 下 ろ さ れ た

 それを知ったのは、六番隊から四番隊に伝令が届いた時だった。
 机に居座る書類の山から、その伝令を取り上げた雪音は、途端に顔をしかめてしまった。
「隊舎牢の掃除ぃ? また下らない雑用を押しつけられて。こんなの断って……あっ、伊江村三席もう了承印押してるし!
 あぁもう、こういう細かい仕事をほいほい快諾するから、他の隊になめられるんじゃないの、全く」
 書類には、適当な人間を見繕って掃除夫をやらせろというような事が書いてあったので、ぶつぶつ言いながら雪音はそれを脇に避けようとする。
 が、ふと何かが意識の片隅にひっかかった。
「……?」
 流し読みした書面を手元に戻し、もう一度、最後まで目を通す。そして、音を立てて息を飲み込んだ。

 『六番隊隊舎牢 収容者:朽木ルキア(護廷十三隊十三番隊所属)』

「……失礼します!」
 六の字が刻まれた扉をくぐり、押しとどめようとする隊員を振り切って、雪音は隊長室へ足を踏み入れた。
「うわっ! え、雪音さん?」
 押し開いた扉がバァンと壁に衝突する音で、中にいた恋次がびくっと肩を跳ね上げる。
 雪音は部屋を見回した。執務室にも、隣の来賓室にも、朽木隊長の気配はない。目的の人物が居ない事にいらっとして、恋次に詰め寄る。
「阿散井君、朽木隊長は!?」
「え、えぇ? 今はちょっと、出払ってますけど。どうしたんすか、血相変えて」
「血相変えてって……」
 何を悠長な事を。六番隊の副隊長にして、ルキアの幼馴染みたる彼がまさか、この事態を知らないなんて、あり得るだろうか。雪音は恋次の胸ぐらを掴んで、
「どうもこうもないでしょう、朽木さんが第一級重禍罪で極刑って、どういう事!?
 何で朽木さんがそんな処罰受けなきゃいけないの!」
 声を大にして叫ぶ。
 と、恋次が顔を強ばらせて、立ちすくんだ。一瞬目が泳ぎ、しかしすぐ鋭い光を宿して雪音を見下ろす。
 続いて発した声は、硬く低い。
「……どうもこうも。そういう事です」
「そういう事って、朽木さんが何かしたの?」
「あいつ。現世出向任務中、人間にテメェの力奪われちまったんです」
「に、人間に?」
 人間への死神能力の譲渡。
 それは確かに、ソウル・ソサエティで定められた規律の中でも大罪とされている。
 もし死神がその力を容易く人間に与えられるようになってしまえば、現世と死後の世界とのバランスが大きく崩れてしまうからだ。
 発覚すれば、刑罰を逃れる事は出来ない。
「で、でも、もし無理やり力を奪われたようなら、情状酌量だって……」
 抗弁する雪音に恋次は目を細めて、首を振った。
 眉間のしわが更に深くなる。
「ルキアはすっかり人間に同情しちまって、悪いのは自分だと言い続けてるんです。
 能力の譲渡が行われた経緯にしても、そこいらの雑魚虚に人間共々やられそうになって、仕方なくだったとかで。
 そんなの、あいつの霊圧レベルを考えれば、不自然な状況だった。
 人間に肩入れして、テメェの力をほいほいくれてやったなんて言ってるようじゃ、裁判官が納得してくれるわけがないでしょう」
「裁判官って……じゃ、じゃあもう、中央四十六室の裁定は下った、って事?」
 中央四十六室。
 それは四十人の賢者と、六人の裁判官で構成されるソウル・ソサエティ最高の司法機関であり、死神の罪に対する裁定は、絶対的な決定権を持っている。
 既にルキアの罪が中央四十六室で裁かれたというのであれば、その決定を覆す事は難しい。
 という事、は。これから一ヶ月の猶予期間が過ぎてしまえば、ルキアは極囚として。
 ……殺されて、しまう。
「……!」
 冷たいものが頭から足下まで一気に走り抜ける。
 雪音はもう一度、恋次の服を掴む手に力を込め、怒鳴った。
「阿散井君、朽木さんの幼馴染みなんでしょう? 今でも大事な人なんでしょう?
 だったら、何で牢に閉じこめて刑の執行を待ってるのよ! どうして助けてあげないの!」
「……」
 恋次は鋭く息を吸い込み、ぐっと顎に力を入れる。
 一瞬、何とも言い様のない悔しそうな顔をした後、恋次は雪音の手を乱暴に外して押しやった。
「今更どうしようもない。あいつだって、覚悟は決めてます」
「朽木さんが覚悟を決めたら、もう死んじゃっても良いっていうの?!」
 思わず叫ぶと、恋次はきっと雪音を睨み付け、
「雪音さんには関係ないだろ! 俺にどうしろっていうんだ!」
 びりびり空気を震わすほどの怒声を上げた。
「!」
 たたきつけられる怒りに圧倒され、雪音はびくっと身を縮ませる。
 大きく目を見開いて硬直したその姿に、恋次はハッと我に返った。
「あ……す、スンマセン、俺、そんなつもりじゃ……スンマセン!」
 がば、と勢いよく頭を下げる。
「……ううん。こっちこそごめん。言い過ぎた」
 雪音は細く息を吐き出し、唇をかみ締めた。
 そうだ、ルキアが罪人として裁かれる事に一番心を痛めてるのは、きっと恋次だ。
 自分は彼女と親しいわけではないし、関係ないというのは確かにその通りで、こんな風に恋次を責める謂れも無い。
 だが……
「雪音さん、ルキアの事心配して、来てくれたんスよね。それなのに、本当に申し訳ないッス。
 その……正直言って、俺もまだ、混乱してるところがあって」
 恋次は頭を上げて、困惑した表情で言う。
「……もう、本当に駄目なの?」
「…………」
 見上げて問いかけると、恋次が傷ついたような顔をした。
 しかしすぐ、それを隠すように、無理な笑みを浮かべて、
「いや、あいつの事だからきっと、執行前に派手に脱獄しますよ。意外と執念深いッスから大丈夫ですって。雪音さんが心配する事ないですよ」
 冗談めいて応えたが、それが嘘だという事はすぐに察せられた。
 先ほど恋次自身が言っていたではないか、ルキアはすでに覚悟を決めているのだ、と。
「……そんなの、無い」
 雪音は呟いた。そんなの、無い。ルキアが死ぬなんて、そんな事、嫌だ。
「……雪音さん?」
 様子がおかしい事を訝ってか、恋次が顔を覗き込んできた。雪音はそれを睨み返し、
「朽木さんが死ぬなんて、絶対駄目よ。
 あたし、総隊長のところ行ってくる。総隊長ならもしかしたら、裁定も覆せるかもしれないから」
「えっ、雪音さん!」
 驚いて目を瞬く恋次を置いて、隊長室を飛び出した。

『海燕の身体は完全に虚に乗っ取られて、救いようが無かった。最後は、斬ったよ』
『……!』
 淡々とした浮竹の言葉は、かえって生々しいほどに現実を突きつけてきた。目の前が一瞬白くなり、眩暈がする。
『鑑原、大丈夫か?』
 がくっと足元から崩れそうになったのを、浮竹が支えてくれた。しかし身体に触れた手は驚くほど冷たく、まるで死人のようだった。
『海燕……副隊長は……どこへ……?』
 掴まれた腕からじわじわ広がっていく、冷たい感触に震えながら問う。浮竹は、まるで苦痛に耐えるように顔をしかめて囁いた。
『……朽木が、家に連れて帰った』

 カンッ、と杖が床を叩く。静まり返った総隊長室の中、その音は思わずびくりとしてしまうほど、大きく響き渡った。
 萎縮して肩をすくめる雪音の前に立った山本は、細い目をうっすら開き、
「ならん」
 ただ一言で、雪音の嘆願を切り捨てた。
「! どうしてですか!」
 すがるように叫んだが、山本は顔色一つ変えず、あごひげをしごいた。
「一度下った裁定は、例え隊長格が異議を唱えようと、覆されぬ。そのくらい、お主も分かっておろう」
「で、ですが……確かに、死神能力の譲渡は重罪です。
 でも極刑に値するほどの罪では無いでしょう。ましてや、罪人は四大貴族・朽木家の方なのだから、減刑を請われたはずでは?」
「それは無い」
「え……」
「四大貴族の者であろうと、罪は罪。しかるべき罰を受ける事に異存なし、と朽木家当主も申しておる」
「とう、しゅって……」
 雪音は今度こそ絶句した。朽木家の現当主といえば、ルキアの義兄・朽木百哉その人ではないか。
(ど……どうして! 何で、妹を助けてあげないの?!)
 朽木家の兄妹仲がどうかは知らないが、ルキアは百哉に請われて、朽木家に入ったと聞いている。
 大貴族の朽木家に、流魂街の平民を入れる事、それは雪音が卯ノ花家に入った事よりも、更に困難なことだったろうと思う。
 そうまでして迎えた義妹を、なぜ見捨てるのだろう。
 理解が出来ない。腹立たしい。そんな思いで、きつく拳を握り締めて俯いていると、山本が問うた。
「雪音。朽木ルキアは、お主の友か?」
「……知り合いです」
 友というほど、近しく付き合った事はない。山本は眉を上げて、
「では、どうしてそこまで朽木ルキアにこだわる。単なる知り合いにしては、思い入れが強いように見受けられるが」
 恋次にも言われた事だ。
 ルキアとは仲が良かった訳でもないから、総隊長にまで減刑を請うほど必死になるのは一見奇異に見えるかもしれない。だが、こだわる理由なら、存在する。
「朽木さん、は……」
 雪音は一度ぐっと奥歯をかみ締め、それから顔を上げた。
「朽木さんは、海燕副隊長の最期を看取ってくれた人だからです。海燕副隊長が家に帰る事が出来たのは、朽木さんのお陰でした。
 私は、海燕副隊長を尊敬していましたから、虚に乗っ取られるような悲惨な状態になりながらも、せめて最期は人として、家族の元へ戻れた事が、何よりも嬉しかったんです」
 名を口にするだけで、あの時の情景が目に浮かんで、涙が出そうになる。
 横たわる都、訃報を告げる浮竹の顔。風にはためく隊葬の旗。
「……私は、嫌なんです。もう、知っている人が亡くなるのを見るのは」
 きつくまぶたを閉じ、震える声で言う。
 ルキアが処刑される様を、その後、彼女が居たはずの場所が完全な空白になってしまう事を思うと、恐ろしくて悲しくて、苦しかった。
「……左様か」
 山本は聞き取りにくいほど低い声で囁いた。目を開いた時、しかし山本の目には鋭利な光が浮かび、じっと雪音を見据えている。
「お主が人の死を恐れる気持ちは、よう分かる。じゃが、朽木ルキアの極刑は既に決定事項なのじゃ。隊員一人の感傷的な請願で曲がる法は無い」
「お……お爺様!」
 最後通告だ。ぞっとして裏返った声を上げた雪音に、山本は羽織を翻して背を向けた。
「職務へ戻れ、鑑原五席。話は終わりじゃ」

 総隊長室を辞去した雪音は、黙々と廊下を歩いていった。
 自分でもどこへ向かっているのか分からないまま、ただ規則的に足を動かしていると、徐々に視界がゆがみ始める。
「……また」
 雪音はぐいっと天井を見上げた。こぼれそうになるしずくをこらえながら、呻く。
「また、何も出来ない」
 人の命が失われようとしているのに、また何も出来ない。無力すぎる自分を思い知らされて、息が詰まりそうになる。
 悔しい。悲しい。歯がゆい。
 その思いが身体を駆け巡って、四肢の力を奪っていくように思えた。