犬もほかす

 はぁ、とため息が聞こえてくる。先ほどから、連続して十六回目。
 弓親が鏡の中の自分を見て、あまりの美しさにため息をつくのならともかく、一角が窓の外をぼんやり眺めて、物思いに耽るなんて、かなり気持ち悪い。
(まぁ、一角がああなる理由は、大体決まってるけど)
 どうせまた雪音がああしたこうした、どうだこうだで悩んでいるんだろう。
 お互い素直でない二人は、一角の好意が露見するにあたって、ややこしく仲をこじらせている。
 それを端から見ている分には、犬も食わない喧嘩だなと笑っていられるだろうが、何かあるたび、一角が弓親に相談してくるから、とても面倒だ。
 またその内何か言い出すだろうな、と思いながら雑誌をめくっていたら、十七回目のため息を吐いたところで、ようやく一角が口を開いた。
「なぁ、弓親。雪音の奴、今好きな奴いると思うか」
「何? 他の男のことでも話し始めたの?」
 予想外の質問に眉をひそめて問い返すと、こっちに向き直った一角は、曖昧な表情で顎を撫でた。
「そうじゃねぇんだけどよ。なんつーか……お前の目から見て、どう思うよ」
 一角らしくない、妙に回りくどい言い方だ。何を聞きたいんだろうと思いながら、弓親は答えた。
「特にそういうのは居ないと思うけど。というより、雪音ちゃんは一角が好きなんじゃないの?」
「そ……、そうか! お前もそう思うか!」
 うわ、思いっきり身を乗り出してきた。
 暑苦しいよ、といったら一角はすぐ後ろに引いたが、顔を赤くして、落ち着きなくもぞもぞ動いてる。
「いや、なんかよ、俺の勘違いかと思ってたんだけどよ。ほら、あいつを押し倒して以来、なんかこう、前より距離があるなってーか、避けられてるってーか」
「しばらくの間、思いっきり警戒されてたよね」
 ずばっといったら、一角がぐっさり傷ついた顔をした。しょうがないじゃないか、本当の事なんだから。
 いくら思い余ったからって、友達と思ってた男に襲われかけたら普通、女の方は注意するようになるものだ。
「……まぁ、何だ。一応仲直りさせてもらったとはいえ、もう希望はねぇなと思ってたんだけど、よ」
 あぐらをかいて一角はぽりぽり、と頭をかいた。
 顔の赤みが増してきてるから、見た目、気持ち悪い。男が赤面する様なんて、美しくないな。
「それがどうもこの頃、雪音の俺に対する態度が、変わってきた気がしてならねぇんだよな。こう、もしかしてこいつ、俺の事好きなんじゃねぇか、と思わせられるっつーか」
「あー、そう」
 ……思わず脱力してしまう。今更こんな事言い出すなんて、一角も相当抜けている。そんな兆候はとっくにあったではないか。
(恋をすると盲目になるっていうのはこういう事だっけ。ちょっと違うか)
 とにかくもう馬鹿馬鹿しくて、笑う気にもなれない。
 呆れる弓親に気づいていないのか、一角は真剣な様子で、
「俺が期待してるからそう見えんのかと思ったけど、お前がそう言うなら、間違いねぇかもな。なら、今度こそ」
「だからってまた押し倒すのはどうかと思うよ」
「しねぇよ!」
 先んじて念を押したら、耳まで赤くなって否定してきた。
 さすがにそこは懲りているらしい。そりゃそうか、雪音にあからさまに避けられてたから、そうとう苛々していたし。
「そういう事なら、今度はもう少し慎重にアプローチしてみれば? まずは、雪音ちゃんの気持ちを確認するところから始めてさ」
「おう……そう、だけどよ」
 ぱたぱたと赤い顔を手で仰いで、一角は悩ましげな顔になった。
「確認つったって、どうすりゃいいんだ? いきなり真っ向から聞いたんじゃ、引かれそうな気がするし」
(……うわー。何か青い春みたいな事言ってる人がいるよ)
 別に初恋というわけでもなし、何でこうも弱気なんだろうか、普段の勢いはどこへやらだ。
 弓親はいい加減にしてくれと思いながら、柱にもたれて雑誌のページをめくった。
「別に言葉にしなくても、態度で示せばいいんじゃないの。例えばほら、さりげなく手を握ってみるとか、肩抱いてみるとか。
 ま、いきなり肩抱いたら、びっくりして逃げられるかもしれないから、手からがいいんじゃない?
 触られて嫌じゃなければそのままだろうし、逆に嫌だったらすぐ逃げるだろうし」
「そうか、手か……。そうだな、それならすぐ分かるよな」
 自分の手を見下ろして、開き閉じしてから、一角は気合を入れるみたいにぐっと拳を作った。
「よし、今度そうしてみるわ。ありがとうな、弓親」
「んー」
 何だか妙に目をきらきら輝かせている一角から視線を外して、弓親はずるずる、と柱をすべり、床に寝転がった。
 本当に、いつまで悩みと称したのろけを聞き続けなきゃいけないんだろう。
 とっととくっついて、落ち着いてくれればいいのに、疲れるよ本当に。