「本っ当に、雪音はいねぇのか?」
苛々しながら問うと、四番隊の女は怯えた様子でおどおどと、一角を見上げた。
「は、はい、先ほど外へ出て行きまして……どこにいるかは、ちょっと……。あの、もしお急ぎでしたら、探しにいきますけど」
「……いや、良い。邪魔したな」
チッと舌打ちして隊舎を後にする。
たまたまそこにいただけの隊員に当たったところで、意味が無いのは分かってたが、どうにも気分が収まらない。
(ちくしょう、雪音の奴。絶対、俺の事避けてやがる)
あの夜以来、一角は雪音と顔を合わす機会が無かった。
仕事の合間を縫って、あるいは怪我をして、四番隊隊舎と綜合救護詰所に何度となく足を運んだが、いつ行っても雪音は居なかった。
どこかで仕事をしているには違いないのだが、どうも一角が来ると、逃げるらしい。
隊員の連中もきつく口止めをされてるのか、あるいは本当に知らないのか、一角が雪音の行方を聞くと、決まって「知らない、どこかへ行ってしまった」と答えるだけで、役にも立たない。
一角は怒りのままに、ドンドン、と床板を踏みしめながら、廊下を歩いていく。
(少しくらい、話をさせろってんだ)
胸中でそう愚痴るが、雪音が逃げるのもしょうがない、とも思う。
自分を力尽くで犯そうとした男の話なぞ、聞く価値もない、顔を合わせるのも御免だっというのなら、それは当然だろう。
だが一角自身、ああいう展開を望んだわけじゃなかった。
雪音に惚れてるとはっきり自覚した今、あんな事をやらかした自分に心底嫌気がさしていた。
一時の感情にまかせて襲ったりしなければ、今頃いつも通り、雪音と口喧嘩でもしてただろう。
こんなに長い事、雪音と言葉を交わさないのは初めてで、情けない話だが、彼女の顔を見られないのが嫌だった。
勝手な話だが、激怒していても構わないので、とにかく雪音の顔が見たい。
なのに、あいつは話さえさせてくれない。顔を合わせる事も出来ない。それが、腹立たしいし落ち込む。
(会うのが避けられるてんなら、手紙でも送った方が良いのか?)
そう思って文机に座っては、白い紙を前に何を書いたらいいか思いつかず、結局挫折してるのだが。
そういやこないだ硯を割ってそのままだったか、と視線を何気なく動かした時、
「あっ」
一角は思わず声を漏らした。
庭を挟んで向こう側の通路に雪音が居る。手に持った書類に目を落としているので、こちらに気づいた様子はない。今なら、捕まえられる。
「おい、雪音!」
そう思った一角は、すぐさま名を呼んだ。静かな空間にその声が響き渡り、木に止まっていた鳥がばさばさと飛び立つ。
そんなに大声を出したつもりは無かったが、雪音がびくっと背筋を伸ばした。
一瞬、こっちを向くか、と思わせる間があいた後、しかし彼女はいきなりダッシュで建物の中に逃げ込んだ。
「あっ、こら雪音、待ちやがれ!」
一角は手すりを飛び越え、反対側の廊下へ走った。
床板が割れそうな勢いで廊下に踏み込み、方向転換して後を追う。
たまたま通りかかった連中が何事か、と驚いた顔で道を空ける中、雪音は一瞬だけ後ろを振り返り、スピードを上げた。
(野郎、この俺から逃げ切れると思ってんのか!)
あくまで一角から逃げようとするその態度にムカムカして、更に足を速めた。
瞬歩まではいかないが、かなりの速さで走り、どんどん雪音との距離を縮めていく。
それを避けるように雪音はダンッ、と床を蹴って角を曲がった。一角もその後に続いて、向こう側へ飛び出す。と、
「きゃあっ!?」
「うわっ!」
ちょうど行き会った相手と思い切りぶつかった。
一角はその勢いで吹っ飛ばされて後ろの壁にぶつかってしまった。相手も弾き飛ばされ、床をごろごろ二・三回転して、ようやく止まる。しばらく沈没した後、くるくる目を回したまま顔を上げたのは、
「あ、あいたたた……あ、あぁ……、ま、斑目さん、せき?」
「おま……、虎徹、か?」
四番隊の虎徹勇音だった。
「悪ぃ、怪我ないか?」
慌てて駆け寄って、立つのに手を貸す。虎徹はくらくらするのか、頭をおさえたまま、大丈夫ですと答えた。
「び、びっくりしました……。どうしたんですか、三席。凄い勢いで走ってたみたいですけど、何かあったんですか?」
そう言われてパッと周囲を見渡すが、どこにも雪音の姿が無い。耳を澄ましても、足音さえしなかった。
「お前、今雪音を見なかったか? こっちに来たはずなんだけどよ」
念のため聞いてみたが、虎徹はさぁ、と頼りない様子で首を傾げた。
「私は向こうから来ましたけど、誰ともすれ違いませんでしたよ」
「そうか……」
この廊下はまた壁がなくなって、両側に庭が広がってるから、虎徹とぶつかってる間に、そちらへ逃げたのかもしれない。
あと少しで捕まえられたってのに、くそっ。
「悪かったな、虎徹。俺急いでるから、行くわ」
一角は虎徹に謝って、廊下の先へと足早に向かった。もしかしたらそちらで、雪音が捕まえられるかもしれないと思いながら。
ぺこり、と下げた頭を上げた勇音は、一角が遠ざかっていくのを黙って見送った。
角を曲がって、気配がもう十分遠くなった、というところで声を出す。
「行っちゃったわよ、雪音」
と、屋根から影がドンッと落ちてきた。地面に着地した雪音はすぐに立ち上がって、
「勇音、ありがと。助かったわ」
顔の前に手を立てて感謝してくる。勇音は思わずため息をついてしまった。
「もう、びっくりした。どうしたの? いきなり、斑目三席が来ても、あなたの事は言わないで、なんて。喧嘩でもした?」
「別に何でも。あ、さっき頭打ってたでしょ、たんこぶできてる。お礼に治すわ」
質問にそっけなく答えた雪音が、勇音の頭に手をかざして術をかけた。すうっと痛みがひいて気持ち良いのはいいが、はぐらかされたのは嬉しくない。
「雪音」
私にくらい相談してよ、そういう気持ちを声音に込めて見つめたが、雪音は首を傾げて苦笑すると、
「ほんとになんでもないから。じゃっ、またね」
一角が向かった先とは反対方向へ歩いていってしまう。
「……もう、ゆきねぇ~……」
雪音はいつも自分だけで悩みを抱え込んで、ちっとも頼ってくれないから、悲しくなる。本当に水臭いんだから。
転がったせいで緩んだ襟を正して、勇音はもう一度ため息をついたのだった。