「……はい、こっちは終了。じゃあ次は背中ね。後ろ向いて」
「うス」
雪音の言葉に、恋次は背中を向けた。
背中の傷は擦過傷で、範囲は広いが深くはない。これなら塗り薬で十分だな、と手当てを始めた雪音は、ふと思い出したことを口にした。
「そういや阿散井君って、朽木さんと仲良いの?」
「ハ?!」
「うわ!」
いきなり勢いよく振り返ってきたので、恋次の手で薬ビンをはじかれそうになる。間一髪持ち直して、雪音は恋次の頭を引っぱたいた。
「ちょっと、何してんのあんたは! 動くな!」
「す、すんません」
慌てて謝って、恋次は再び元の体勢に戻る。
もう、と口を尖らせて、傷の無いところに飛んでしまった消毒液を拭いていると、
「あの、朽木……さんって、誰ですか。まさか、朽木隊長の事スか?」
探るように恋次が尋ねてきた。雪音は、妙に慎重な口調だなと思いながら答える。
「そうじゃなくて、ほら、十三番隊の。朽木隊長が引き取った子。ルキアちゃん、だっけ」
「……」
沈黙が落ちて、恋次が体を強張らせた。素肌に触れていたから、はっきり変化がわかる。
「ごめん、何かまずい事聞いた?」
「あ。いや。そんな事ないです」
恋次は硬直を解いて、息をついた。
「あいつは幼馴染、だったんです。ガキの頃の」
なんでもない風を装いながら、この男にしては歯切れの悪い返事を返して来る。
理由は分からないが、あまり触れてほしくなさそうだと気づいて、雪音は眉を寄せた。
「あぁ、そうなんだ」
それならそれで話を終わらせるつもりが、
「何で急に、そんな事が気になったんすか?」
恋次の方から話を振ってきてしまった。
雪音は一瞬言葉を選んで黙り、しかし変に気を遣うと逆に迷惑かと思いなおして、普通に返す事にした。
「この間、海燕さんと都さんと立ち話してたんだけどね。
その時やってきた子が、こう、用事があるけど近づいていいものか、みたいに迷ってる感じでいてさ。
十三番隊の子だとは知ってたけど名前知らなかったから、海燕さんに聞いたら、朽木ルキアって教えてくれたの。
で、そういえば前、阿散井君がその名前言ってたことがあったなぁと」
「えっ、俺が!? いつですか」
「えーっと、
「…………まじっすか」
「まじっす」
恋次はまた黙った。ふと見上げると、恋次の耳がみるみる赤くなっていく。あらま、と雪音は思わずニヤリとした。
「何、もしかして朽木さんって、阿散井君の初恋とか?」
「なっ!」
「動くなっつってんでしょ。殴るよ」
またバタバタ暴れそうだったので、釘を刺すと、恋次は大人しくなった。
が、今度は首まで赤くなり始めたので、おかしくなってしまう。
「へーそうなんだ。あの子、阿散井君のねー。
もしかして、まだ初恋継続中? 道理で、阿散井君モテるのに、誰とも付き合わないわけだ」
「ちっ、違います。そんなじゃ無いっスよ」
「えーなんでよ。話したことないけど、朽木さん可愛いじゃない。ちっちゃくてきゅんって感じ。ぎゅーしたい」
「……ぎゅーって……。いや、鑑原さんが知らないだけで、あいつチビのくせに、殴る蹴る偉そうな口は利く、すっげー生意気なんすよ」
ぶつぶつと、けれど親しみのこもった口調で言うので、それだけ恋次にとって心許せる相手なんだな、と感じた。そして自分には幼馴染という存在がないから、羨ましいとも思う。
「いいじゃない、気心知れた相手って感じで。幼馴染みの恋人かぁ、いいなー」
「だから、違いますって。あいつは家族みたいなもんで……。つーかそんな事、あるわけないじゃないすか」
「何で?」
「……」
再度、恋次の体が硬直する。短い沈黙の後に出た声は、生硬だった。
「あいつは、もう朽木家の人間だから。俺みたいなチンピラとは、いつまでも一緒にいられないっス」
「…………」
今度は、気軽に何で、とはいえなかった。
雪音自身、流魂街の出だ。
護廷十三隊に入るまで、卯ノ花家で世話になっていたからこそ余計に、貴族と平民の、厳然たる身分差と軋轢は理解している。
例え、護廷十三隊に入り、席官となり、表面上は貴族と対等の立場と言われても、両者の間には越えられない溝があるのだ。
「そっか」
何と言っていいか分からなくて、雪音は短く呟いた。お節介と思いながら、そっと尋ねてみる。
「ルキアちゃんが朽木の家に入ってから、会いに行った事あるの?」
恋次は緊張したように肩を持ち上げた後、深々と息を吐き出した。返事が返って来ない。
(会わないって決めてるんだ、多分)
雪音はやれやれ、とわざとらしくため息をもらす。
「阿散井君って馬鹿正直ね。っていうか馬鹿ね。大馬鹿」
「……断言しないでくださいよ」
恋次が苦笑する。雪音は、だって馬鹿じゃない、と繰り返して、話を打ち切った。それ以上口を挟めないと思ったので。